先日、山梨県身延町の「湯之奥金山博物館」を訪れてきました。中央高速の甲府南インターチェンジから博物館まではおよそ50分。山深く、自然豊かな身延町にはじめて足を運びました。電車で行く場合は、山梨の甲府あるいは静岡の富士駅を結ぶ身延線の下部温泉駅下車になります。(写真は、甲斐黄金村・湯之奥金山博物館:山梨・身延町)

写真拡大

■「金山衆(かなやましゅう)」の意義
 
 先日、山梨県身延町の「湯之奥金山博物館」を訪れてきました。中央高速の甲府南インターチェンジから博物館まではおよそ50分。山深く、自然豊かな身延町にはじめて足を運びました。電車で行く場合は、山梨の甲府あるいは静岡の富士駅を結ぶ身延線の下部温泉駅下車になります。
 
 実際金が掘られていたのは、その博物館が位置するところからさらに30分ほど山に入ったところだそうです。博物館では、砂金採りが体験できるコーナーもあります。
 
 さて、博物館の近くの金山。湯之奥金山は3か所あり、ここを含めて甲州において金を掘っていた集団を「金山衆(かなやましゅう)」と呼ぶそうです。この集団は、武田家の領域にありながら、独自に金採掘を行う集団であったとのことです。この時期に、こう表現してよいかわかりませんが、ある意味で自治的な組織として機能していたことはひそかな驚きです。
 
 戦国時代にあらわれた「一揆」も自治的な側面を持っていたと考えることができますが、戦国の群雄割拠だけでなく、職人集団も独自な地位を持っていた、ということは日本の地方自治、分権性を考える上で大変意味のあることと思われるのです。また、この金山衆が金を扱う集団であったことは、前回述べました豊臣秀吉と千利休の話とは別の面で金をめぐる日本社会が持つ特殊性を表していると感じます。
 
■ 職人集団 金山衆
 
 博物館のジオラマを見ると、金山近くに住み、金鉱発掘の山を掘り、家内制手工業的に金を精錬していた様子がわかりました。金山衆は武田家の直属ではないようですが、必要に応じて招集され戦にも参加したようです。鉱山技術が城攻めに役だったようですが、平時は、金の採掘をしながら穏やかな生活を送っていたようです。
 
 博物館を訪れていて、かつて古代中国、具体的には春秋戦国時代に「墨家集団」という思想集団がいたことを思い出しました。「兼愛(区別ない愛。儒教的愛を差別的愛と批判)」、「非攻(戦争否定論)」、「尚賢(すぐれた頭脳、才能あるひとを政治に取り立てる)」というに三つの主要テーゼを掲げていました。この集団は、弱小国の防衛などに参加したといわれていて、防衛技術や工業的な技術を持っていました。
 
 今回のコラムで取り上げている金山衆は金を掘ることに徹し、武田家を助けたりしていましたが、自律的で、いざとなったときに現れる墨家集団の姿と重なるところがあると感じてしまうのです。
 
■ 金山衆の意義 再び
 
 金山衆はここで取り上げた湯之奥金山だけでなく、いくつかの金山で存在していました。ここで取れた金は、武田氏の武力をロジスティクス、金銭面で支えるものとなっていたようです。そして、甲州金と呼ばれる貨幣制度をも支えることになります。また、この金山が後に閉鎖されていくにともない、その技術は日本全国に散らばっていったとのことです。
 
 前回のコラムで、千利休が豊臣秀吉とは対照的に権力者の金利用を否定する側面を持っていたと述べましたが、金山衆は貨幣制度を通じて、権力者の金利用を否定するということより、権力者以外が金を利用する仕組みを下支えしていった、と考えることができると思うのです。
 
 多くのひとびとの営みと努力が、金の新しい時代をつくっていった、そう感じざるをえません。(情報提供:SBIゴールド)(写真は、甲斐黄金村・湯之奥金山博物館:山梨・身延町)