「大関の名に恥じぬよう正々堂々精進します」 5月31日、大関昇進の伝達を受け、こう口上を述べた高安(27)。「夏場所を11勝4敗、直近3場所で34勝を挙げ、満場一致での昇進でした」(スポーツ紙相撲記者)

 そんな高安は茨城県土浦市出身。日本人の父とフィリピン人の母を持つ。「80年代半ばの土浦は、『つくば万博』の好景気のさなか。“リトル・バンコク”やら、“土浦フィリピン街”などのネオン街もきらびやかな時代でしたよ」(当時を知る地元住民)

 その頃、両親は結婚。次男として生まれたのが高安だった。母親のビビリタさんを直撃すると、少年時代の皸造砲弔い討海Ω譴辰討れた。「夫婦でフィリピンレストランを経営していたんです。彼は学校から直接、店に寄って、満腹になるまでたっぷりご飯を食べて、大きくなったのよ。相撲をやる前は野球をやっていたし、昔から元気だったよね」 強靭な肉体は、母の愛情たっぷりのフィリピン料理で作られていたのだ。

「中学卒業後、すぐに相撲部屋に入門したのは、相撲好きの父親・栄二さんの説得があったから。とはいえ、入門したのが最も厳しいとされる鳴戸部屋だったせいか、その後、10回も脱走。50キロ離れた実家に自転車で戻ったこともありました。それでも才能を認めていた故・鳴戸親方(元横綱・隆の里)は高安と家族、全力士を集めて会議を開き、兄弟子に、かわいがりを控えるよう伝えたそうです。それに対し、栄二さんは土下座して息子を部屋に置いてくれるよう頼み込んだといいます」(前出の記者)

 また、高安の母校、土浦第一中の長沼憲生元校長は、こんな感動秘話を明かす。「入門したのが卒業式の前でしたから、卒業証書は担任預かりになっていました。入門して半年後、たまたま再会したのは、彼が実家に逃げてきたときのことです。お父さんが卒業のけじめをつけようと来られて、校長室でいわば一人だけの卒業式をやりました」

 長沼元校長も大の相撲ファンで、「当時、校長室に番付表を張り出していたんです。その中の序二段のところに、小さい字で高安くんが載っていた。それに赤マーカーを引いて、“高安くん、この文字がもう少し大きくなるように、頑張ってみようね”と声をかけたんです。本人は分かっていたかどうか……。横にいたお父さんが“先生も励ましてくれたから、明日からまた相撲部屋に行こうな”と促していましたね」(前同)

 それから5年。十両昇進パーティが地元で開催された。「高安くんは20歳になっていましたね。十両昇進で、ようやく一人前の関取になったわけです。そのとき、彼は“これで親孝行ができました”と、しっかりスピーチしていたんですよ。あんなに立派になるとは、教師冥利につきましたね。今回の大関昇進はうれし涙ばっかりでしたよ」(同)

 “稀勢高ブーム”に沸く角界。“若貴”よろしく、W横綱になる日が待ち遠しい。