「敵は味方のフリをする。」これが『小さな巨人』のキャッチコピーとなっている。

参考:芳根京子、『べっぴんさん』の名演再びーー『小さな巨人』で見せた天真爛漫さと真摯さ

 この敵とは誰なのだろうか。最初は主役の香坂(長谷川博己)をある一言で一課から所轄へと追いやった一課長の小野田(香川照之)のことだと思っていた。しかし、その後には、香坂が恩師と慕っていた前一課長で芝署署長の三笠(春風亭昇太)が味方のふりをしていた敵であるとわかったし、豊洲署編になると、早明学園の専務であり前一課長の富永(梅沢富美男)が新たな敵にも見える。9話の予告編では、香坂と共に信念を持って捜査にあたっていた山田(岡田将生)すらも、敵であるような描写があった。

 ドラマを見ていくと、最初は完全なる敵であった小野田が、敵ではないように見えるときもある。それはなぜなのだろうか。

 実は小野田には、香坂との共通点がある。小野田も香坂と同じく所轄への横滑り異動を経験している。横滑り異動自体はめずらしいことではないが、出世の道は絶たれたと思われる次期もあった。それでも這い上がり、三笠所長をはじめとした一癖も二癖もある人たちの間を潜り抜け一課長となった。一課長になるということが、どんなに一筋縄ではいかないものなのかということを最も知っている人物ともいえる。

 そう考えると、小野田が香坂を毎回突き放しながらも、決して切り離さないのは、そんな苦難を乗り越えて、自分のところに到達してほしいという親心のようにも見える。

 小野田が敵ではないとすると、香坂の本当の敵とは何なのか。それは、もはや人間ではないように思えてくる。だからこそ、香坂は、毎回誰かを追い詰め、いいところまでいくのに、くじかれ、悔しい思いを残して次回につながる構成になっているのかもしれない。敵が人間ではないのだから、人間を追い詰めたところで、すっきりとカタルシスを得ることはできないのだ。

 人間ではない敵が何かと言えば、組織、そして組織という共同体に寄生する人間たちの集合体と言ってもいいだろう。劇中、香坂の同期である藤倉(駿河太郎)が「恐ろしいもんやな、組織っちゅうのは。顔も体もないのに意志だけは存在してる。正体不明の怪物みたいなもんや」と語る。怪物は人間の行動を抑制する。

 最近、忖度という言葉が話題となった。この言葉は、他人の気持ちをおしはかることを意味している。一時の流行語のように扱われてはいるが、組織に所属していて、忖度を強いられたことのない人はいないのではないだろうか。自分より偉い人の意見に逆らって、面倒なことにならないように言いたいことを隠したり、仕事を始めた当初は、正しいと思うことをやりたいと思っていても、時間が経つうちに、周囲のやり方に迎合して流されてしまい、そのうちそのことを意識すらもしなくなる。

 このドラマでも、出世を考える人たちは、忖度なしには生きていられない。その上、警察という組織で一課長という「神」のような存在にまで上り詰めたら、そこから転落することは許されない。しかも、到達したものは誰もが多少の泥水をすすっている。組織の存続のためには、そんな「神」のやってきた過去のほころびが見え隠れしたとき、一緒になって隠蔽せずにはいられないのが人間というものなのかもれない。

 小野田は、香坂にとって絶対的な敵ではない。むしろ、一課長という「神」の座についてしまったからこそ、前一課長たちの罪のせいで警察組織全体を貶めるわけにはいかないと先回りをしてしまう組織の悲しい犠牲者だ。ときおり、小野田が正義感だけで行動できる香坂をまぶしそうな、懐かしそうな目をして見ているのは、かつての自分を見ているようだからだろう。

 香坂は、最終話で大きな敵と対峙して、どんな結末を迎えるのだろうか。毎回、いいところまで追いつめながらも、悔しい思いをしてきた香坂だけに、最後には純粋なカタルシスを得られることを期待する。一方で、組織という怪物の正体がつかめても、その怪物が変わらないかぎり、香坂の戦いは続くのかもしれない。『シン・ゴジラ』といい、長谷川博己は、巨大な怪物と戦ってばかりである。(西森路代)