蘇州城内南の人民橋を越えた南門路南に、ヨーロッパ建築様式の蘇州領事館を1902年竣工し、上海領事館の分館とした。当時はまだ鉄道がなく、蘇州に行くには、上海市外灘北の蘇州河から船で行くしかなかった。筆者撮影。

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現在中国には、北京大使館の他に香港・広州・上海・重慶・瀋陽・青島に総領事館がある(大連は出張事務所)。戦前には、天津・漢口(武漢)・奉天・長春・上海・広州・重慶・ハルビン・青島・福州・杭州・鄭州・蘇州など39カ所ほどあった。のちに総理大臣となる吉田茂は、入省後20年間中国勤務で、天津・奉天総領事の経験があった。

蘇州城内南の人民橋を越えた南門路南に、ヨーロッパ建築様式の蘇州領事館を1902年竣工し、上海領事館の分館とした。当時はまだ鉄道がなく、蘇州に行くには、上海市外灘北の蘇州河から船で行くしかなかった。

当時中国で一番の工業は、製糸絹織物業である。財閥の一つであった片倉製糸(現在の片倉工業)は、明・清時代から繭の市場で成長している蘇州に目をつけ、領事館付近に瑞豊繭行という製糸工場建設に着手した。今は、蘇州金葉糸服有限公司敷地内である。そこはシルク製品を扱うショッピング施設にもなっているが、その施設に隣接して「日本国領事館」跡がある。

日本人が作ったとすぐ分かる石造り3階建てである。上海外灘の石造り建築物には規模で負けるが、非常に立派なヨーロッパ風建物である。特徴は、東方向を向いて玄関があること。東京を意識したのだ。蘇州市文化財であることも表示されていた。玄関扉を開けて入った室内には、金葉の職員が常駐し、全部を見ることは許可されなかった。各部屋には暖炉があり、ここで領事館業務をしていた事がすぐ理解できた。中央部に吹き曝しの階段があり、2階から上に行くことができた。総領事公室は突き当たりの20畳程度の広さである。部屋から外に通じるベランダを歩くと、周囲の木々に包まれ最良の環境であると感じられる。

領事館跡から見て北東部、ちょうど南門路に接する付近に小学校跡地がある。かつて「蘇州尋常高等小学校」は領事館西側にあったが、工場建設でこの跡地に移設したのかもしれない。当時22名の生徒がいたと記録されている。また、1920年代当時の在留邦人数は78名と記録されている。 写真は2013年11月に在上海日本国総領事館小原雅博総領事(現在東京大学法学部教授)ご夫妻と訪問した時のものである。

2013年4月に群馬県の富岡製糸場が世界文化遺産に登録された。この富岡製糸場は明治5年官営工場として操業開始、1939年片倉製糸(現片倉工業)により吸収合併、戦後も日本の復興に大きな貢献を挙げ、1987年に110年に渡る歴史に終止符を打った。その後、片倉工業は毎年1億円の維持費をつぎ込み、その甲斐もありこの度の世界遺産登録となった。歴史を後世に残したいいう意気込みがあってのことと称賛したい。また、製糸場内に学園を作り、良妻賢母教育も施したと記録がある。この片倉工業(製糸)こそ、百年前ここ蘇州に進出、貢献したわれわれ日系企業の大先輩になろう。

■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大学大学院工学研究科修了。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。2013年には蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、蘇州市ある日系2500社、約1万人の邦人と共に、日中友好にも貢献してきた。2015年からは最高顧問として中国関係会社を指導する傍ら、現在も中国関係会社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中国や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演会を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。