ウラジーミル・プーチン大統領がフランスを訪問した。ベルサイユ宮殿で開かれている300年前に訪仏したピョートル大帝を記念する展覧会で序幕式に出席するためであった。

 エマニュエル・マクロン新大統領は、ホストとしてベルサイユの豪華絢爛な空間を活用し、文化的にも大国であるフランスが、長期政権を担っている大先輩のプーチン大統領を恭しく迎えたといった図であった。

 しかし両者の会談終了後、開催された記者会見は、マクロン大統領が、ただの新米大統領ではないことを見せつけたという意味で衝撃的だった。

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「ロシアの通信社はプロパガンダ機関」

 プーチン大統領の面前で、ロシアの通信社、RTとスプートニクという2つの機関は報道機関ではなく、フランスや他の国々に影響を与えるためのプロパガンダ機関であると明言し、これを非難したからである。

 フランスとロシアの関係は、歴史的に見ればおおむね良好な関係が続いてきていた。しかしながら、マクロン大統領の強烈なプーチン大統領への一撃は、近年の両国の緊張関係の表れである。

 昨年12月、プーチン大統領はフランスへの訪問を突如取りやめた。

 セーヌ川左岸にオープンが予定されていたロシア精神・文化センターの序幕式に参加する予定だった。しかし、シリア問題をめぐるフランソワ・オランド前大統領との意見対立から、これに抗議した形で訪問を取りやめたのだった。

 1期目でありながら国民の支持を急速に失ったオランド前大統領は、2期目の大統領選に出馬することができず、大統領選は混迷を極めた。

 まず、右派の代表予備戦で、アラン・ジュッペ前首相や二コラ・サルコジ前大統領を抑えて、フィヨン前首相が大統領候補となった。

 フランソワ・フィヨン候補とプーチン大統領は、大統領が首相を務めていた時代に外交関係上のパートナーであったことから仲が良く、フィヨン氏はロシアに対する経済制裁解除を公然と主張していたこともあって、この予備選にロシアの介入があったのではないかと、早くも噂された。

 しかしその後、フィヨン氏は身内の不正雇用疑惑で逆風に晒され、結局大統領選では決選投票まで残れなかった。

 一方で、高まる移民排斥の機運と歩を合わせて人気を高めたのがマリーヌ・ル・ペン候補だった。

 ル・ペン候補の率いる国民戦線は、ロシアの金融機関から党運営のために資金融資を受けていたり、ロシアも支援する欧州の反体制勢力を糾合する会合に出席したりと、親ロシア、親プーチンの傾向は最初から明らかだった。

選挙戦中にモスクワで会談

 決定的だったのは、選挙戦の最中、プーチン大統領自身がル・ペン候補にモスクワで会見したことだった。

 一般的に言って、選挙中の候補者と国の大統領が会見すれば、それが政治的な意味を持たないはずはなく、また万一、その候補者が敗れれば当選者との間で軋轢を生むから非常なリスクを冒すことになる。

 プーチン大統領がそれを知らないはずはなく、この会見を通じて、フランスはもちろんロシアの意図を正確に受け取ったと考えられる。つまり、ロシアはル・ペンを応援すると見なしたのである。

 さらに大統領選挙が行われる1日前に、マクロン陣営の私的な文書がウィキリークスで公表されるという事件が起こった。

 フランスの大統領選挙は、マスメディアの情報で選挙結果が変わることを恐れ、選挙前の1日は候補者は選挙活動をしてはいけないとされる。これでは情報漏洩の中身について弁明することもできない。このタイミングでの情報漏洩はマクロン側の反論を封じるという意味で、大変巧妙だった。

 フランスの大統領選挙に、ロシアが介入する恐れがあるという点は、米国からも発信されており、ある意味では予想通りに、ロシアが悪者になる形でフランス大統領選挙は進行した。そして、新大統領にはまだ30歳代の若いマクロン氏が就任したのだった。

 こうした背景の下、仏露首脳の会談が、大変に緊張をはらんだものになったであろうことは想像に難くない。

 マクロン大統領は就任後、重要で多様な外交日程をこなしてきたが、外国首脳をフランスに招くのはこれが初めてだったのである。その意味で、ベルサイユ宮殿へのプーチン大統領受け入れは、フランス当局として十分に練られた外交政策だったと言っていい。

 そのメッセージの肝は、ピョートル大帝にある。

 ロシアのピョートル大帝は、後進国ロシアを目覚めさせ、ほぼ1代で、ヨーロッパ大国の1国にロシアを仕立て上げた人物だった。

 サンクト・ペテルブルクとして知られるロシアの西の都をほぼゼロから築き上げたことはもちろんだが、その精力溢れる行動力は、欧州各国への視察旅行としても記録されている。偽名を使い、オランダの船大工とともにかんなを握ったとの伝聞もある。

毀誉褒貶のピョートル大帝

 ピョートル大帝は、西側の先進文明から学び、先進文明を凌駕するまでに国を導いた強力な指導者だった。サンクト・ペテルブルク生まれのプーチン大統領も、ピョートル大帝を尊敬しているという。かつて執務室には、大帝の肖像画が掲げられていたとの情報もある。

 しかしながら、ピョートル大帝はその並外れた行動力ゆえに、ロシアの一部の人々の間では、理解できない人、ロシアの旧来の伝統を壊す人と見られていたのも事実である。実際、彼の事業を受け継ぐべき息子は父の方針を受け入れられず、父により獄につながれ、そこで死んだ。

 こうした歴史的背景を勘案すれば、マクロン大統領のメッセージは次のようなものだ。

 「ピョートル大帝が目指したように、ロシアを再び西ヨーロッパの価値観の中に戻してほしい!」

 ロシアとEUの間では、多くの懸案がある。ウクライナにおける紛争継続と、それに端を発した経済制裁の応酬。シリアの体制をめぐる支援のあり方。最近明らかになったロシアのチェチェン共和国における性的マイノリティーに対する弾圧への対処。ロシアが展開する「プロパガンダ戦争」。

 これらの問題を解決するには、ロシアが西側と同じ価値観を持つだけでよい。「さあ、あなた自身も尊敬しているピョートル大帝に倣おう!」というわけである。

 プーチン大統領は、マクロン大統領のメッセージにどう反応したか。彼は歴史には歴史で切り返した。それもフランスとロシアの歴史的関係をただの300年ではなく、1000年も遡ったのである。

 曰く「フランスとロシアの歴史的関係は、キエフ・ルーシのヤロスラブリ賢帝の娘が西フランク王国カペー朝アンリ1世に嫁いだところから始まる」と述べ、ロシアとフランスの関係が対等だった時代を思い起こさせ、フランスが先生、ロシアが生徒という関係を復活させるつもりはないとの意思表示を行った。

 史実に照らせば、カペー朝の嫁探しは、権威を求めていたと言われる。東ローマ(ビザンツ)帝国の皇帝の血を引くキエフ大公の娘アンヌは、アンジュー伯、ノルマンディ公、フランドル伯など力のある領主を押さえ込むことができなかった王家カペー家にとって、王家の権威づけに不可欠だったのである。

ロシアの方が権威が郄かった

 もともと予定していたドイツの皇帝コンラッド2世の娘は結婚する前に亡くなってもいたからだ。つまり、ロシアの方が高い権威を持ち、それをフランス側が欲したという構図を見せて、どちらが先生、どちらが生徒などと言うことはないと切り捨てたのだ。

 アンリ1世はアンヌとの結婚を経て、その子フィリップ1世を共同統治者として戴冠させ、その後の王国の統治体制の基礎を築く。

 プーチン大統領は、アンヌが高い教養を持ち、幼いフィリップ1世の事実上の摂政の役割を果たしたことにも触れて、その役割を高く評価した。ロシアがフランスの発展に貢献したのですとマクロン大統領に教え諭したのである。

 実は、この話はここで終わらない。

 プーチン大統領が提起したキエフ・ルーシは、ロシアなのか、ウクライナなのかという問題があるからだ。

 ウクライナ側はキエフ公国はロシアではない。我々がロシアの先輩だという感覚がある。ロシアがフランスに貢献したのではなく、ウクライナの人物こそがフランスに貢献したのだというのだ。

 ヨーロッパは長い歴史を持ち、東西の交流を幾重にも積み重ねているので、歴史問題は掘り返せばきりがない。そんな中、プーチン大統領の今回の対応は、ロシアの国益を守るべく歴史の知識を振りかざしながらの奮闘が続いていることを示している。

筆者:杉浦 史和