宮里藍(31歳)が突然、今季限りの現役引退を発表。その一報には日本中が驚いた。

 5月29日には記者会見が行なわれ、本人の口から「モチベーションの維持が難しくなった」と、引退の理由が語られた。そして今週、現時点では現役”最後”の日本ツアー参戦と言われている、サントリーレディスオープン(6月8日〜11日/兵庫県)に出場。その一挙一動に注目が集まっている──。


2009年のエビアンマスターズで、米女子ツアー初優勝を飾った宮里藍 今季開幕前のオフも、例年どおりアリゾナ州でトレーニングを行なっていた宮里藍。ゆえに”引退”など、まったく予期していなかった。おそらく、今季もここまで「(今季が)最後だと思えば、がんばれる」と自らに言い聞かせ、周囲に対してはこれまでと変わらぬ姿勢を見せて、彼女らしく真っ直ぐ前を見て戦ってきたのだろう。そう思うと、胸が痛んだ。

 宮里藍は、ゴルフに対して常に真摯に向き合ってきた。その中で、ファンを大切にし、メディアへの対応も誠実にこなしてきた。だからこそ、多くの人々に愛されている。

 2006年に米ツアー本格参戦を果たしてからも、そのスタイルは変わっていない。その間、彼女の力強い言葉や前向きなコメントに、どれほどの感銘を受けただろうか。また、詰めかけたメディアのために披露してくれた微笑ましいエピソードや、人柄のよさがにじみ出た彼女の優しく、温かいフレーズに、どれだけ心を癒されたことか。

 そこで、米ツアー12年間における、印象深い『宮里藍・語録』を少し振り返ってみたい。

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「『藍の成績は、藍の英語力と比例する』って、父に言われていたんですね。それで、ロレーナ(・オチョア)から食事に誘われて出かけたんですけど、そのときに辞書を持っていったら、彼女に『ソー・キュート!(かわいい)』って言われて笑われました」

 2006年のルーキーシーズンでのこと。まだアメリカに来たばかりで、こちらの生活にも不慣れだった頃、宮里藍は早くツアーに溶け込もうと、会話がわからなくても、海外選手たちとの食事には積極的に出かけた。その甲斐あって、数年後には格段に英語力がアップ。日常会話はすっかり英語でこなせるようになった。優勝スピーチを堂々とこなせるのも、こうした地道な努力があったからだ。

「人生初のスランプに陥りました!」

 2007年は、シーズン途中からドライバーの不振に陥った。9月には試合途中で棄権するなど、かなり苦しい時期もあった。そのオフ、カリフォルニアの自宅で会ったとき、彼女が発した第一声がこれ。それでも、笑顔だったことを今でも覚えている。

「カッコいい自分を見てもらいたいわけじゃない。”それでもプレーしたいんです”っていうのを見てほしかった」

 同じく2007年、ドライバーのスランプに陥っている最中、日本ツアーとの共催で行なわれるミズノクラシック(現TOTOジャパンクラシック)に参戦したことを振り返っての言葉。ショットが乱れ、ほんの数年前まで日本中を熱狂させた宮里藍の姿はそこにはなかった。しかし、彼女は懸命にプレーし、多くのファンから声援を送られた。中には、心ない言葉を囁くファンもいたが、彼女は決して負けなかった。復活のときを信じて、必死に戦っていた。

「これを乗り越えたら、もっとすごい”自分”というのが先にいるかもしれない」

 2008年から2009年シーズンの序盤にかけては、なかなか結果も出せず、ショットのフィーリングを取り戻すことに専念していた。その苦しい時期での発言。その期間は本当に苦悩の連続だったと思うが、彼女は必ず復調できると信じていたし、我々もそれを強く信じていた。そして実際、もっとすごい”宮里藍”がその後に誕生した。

「これまで、ずっと走り続けてきた。スランプに陥って、プライドとか、見栄とかはなくなったけれども、”プロとしてのプライド”は失うことはなかった」

 2009年エビアンマスターズで米ツアー初優勝を飾った際のコメント。ドライバーショットの不振を乗り越えての、涙の勝利だった。

「ロレーナ(・オチョア)にウイニングボールをあげたくて。勝ったら、絶対にあげるんだ、と決めていた。そういうイメージを持ってプレーしていました」

 2010年、当時28歳だったロレーナ・オチョア(メキシコ)が現役引退。その最後の試合は、メキシコで開催されたトレスマリアス選手権だった。予選ラウンドをオチョアと一緒に回った宮里藍は、自ら掲げた目標どおり見事に優勝を飾った。表彰式では、こっそりとオチョアに”優勝ボール”を手渡した。

「私のような小さい子でも、世界ナンバー1になれるんだ、そう身近に感じてくれればうれしい」

 2010年、ショップライト・クラシックでシーズン4勝目を挙げて、世界ランキング1位の座に就いたときのコメント。先の引退発表会見では、このときがキャリアベストの瞬間だったと振り返っている。

「メジャーって、すごく不思議なもの。勝つタイミングとか、順番がある。だから、自分の順番が回ってくるまで、地道にがんばっていくしかない」

 2013年シーズンを迎えるにあたってのひと言。世界ナンバー1にはなったものの、なかなかメジャー大会を勝てずにいた彼女の、重い、重い言葉だったように思う。結局、現在までメジャータイトルを手にすることなく、引退を表明。それでも残りのシーズン、そのチャンスはゼロではない。

「11年ですよ。(自分だったら)11年、結果も出ずに、周りにいろいろと言われる中で、腐らずにやってこられるかな、と思う。だから、自分がスランプになった4年、その4年間は勝てなかったけど、大したことないなって。神様はちゃんと見ていてくれる」

 2013年12月、兄の優作がプロ入り11年目にしてツアー初優勝。そのときの感想を聞かれて。実は、その日本シリーズJTカップの最終日前夜、沖縄にいた父に応援に来るように進言したのは、彼女だった。父・優さんは「自分が(応援に)行くと勝てない」と言ったらしいが、「そんなの関係ない!」と言って説得したという。

「結婚にはタイムリミットはないけど、子どものことはある程度タイムリミットがある。現実的にいろいろ考えると、(結婚するなら)もうここ5年くらいですかね。そういうイメージはありますけど、あとは流れに身を任せています」

 2015年3月、30歳を目前にして、今後の人生設計について言及した。

「私にしかできないゴルフがあるので、それをどこまで突き詰めていけるか、だと思う。ロングヒッターと照らして比較される中で、(私が)生きていく道はショートゲーム。(今後も)より、それを磨いていきたい。4日間、自分のプレーができてうれしかったです」

 2016年4月、ANAインスピレーションを終えて。初日から首位に立って優勝争いに加わるも、最終的には18位に終わった。それでも、まだまだメジャーで戦える力があるということを改めて証明した。

 そういう意味では、やはり突然の、思わぬ引退発表だった。とはいえ、まだ今季の戦いは残されている。特に残りのメジャー4戦、KPMG全米女子プロ選手権(6月29日〜7月2日/イリノイ州)、全米女子オープン(7月13日〜16日/ニュージャージー州)、全英リコー女子オープン(8月3日〜6日/スコットランド)、そしてエビアン選手権(9月14日〜17日/フランス)は注視したい。そして、最後まで諦めない宮里藍の戦いぶり、その底力をしっかりと見届けたいと思う。

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