中国の今後5年の最高指導部が決まる秋の中国共産党第19回全国代表大会まで半年を切った。党大会人事の大筋が決められる北戴河会議も間近に迫っており、習近平主席が2期目の態勢をどう整えるかが注目される。

 その文脈で、次期政治局常務委員の顔ぶれを予測する記事も散見されるが、概ね一致しているのが李克強総理の全人代常務委員長(国会議長に相当)への転出である。

 しかし、代わりに誰が国務院総理を務めるのか、また常務委員は現行の7人体制が維持されるのかどうか、さらには「潜規則(内規)」である「68歳以上の再任なし」を撤回し、69歳の王岐山を再任するのかどうかなど、中国政治を見通すのは依然として難しい。これは、習近平政権第2期の人事を巡って、いまだ調整の段階にあることを示しているのだろう。

[JBpressの今日の記事(トップページ)へ]

人民解放軍は「首から下」の改革へ

 そうした一方で、習近平体制の基盤強化を図る人民解放軍の改革は一定の進展を見せているようである。

 2016年は、軍の中枢と骨格を決める改革の年であった。中央軍事委員会に連なり権力をほしいままにしてきた4総部(総参謀部、総政治部、総後勤部、総装備部)が解体され、15の職能別機関に分散・再編された。従来の7大軍区も東西南北に中部を加えた5大戦区に区画変更・統合された。人民解放軍全体を牛耳ってきた陸軍は独立軍種とされ海・空軍と並列の関係に置かれたほか、第2砲兵部隊はロケット(火箭)軍に格上げされ、新たに戦略支援部隊が創設された。これが2016年までの軍事改革であった。

 それに対して2017年は、軍隊の規模、構成、戦力編成など「脖子以下(首から下)」の改革が主要課題となる。とりわけ、習近平主席が宣言した30万人兵員削減の実施期限は今年の年末までであるから、軍隊のスリム化、戦闘力の強化を図りつつの作業ということになる。

 そこで最も肝心なのは、「集団軍」の統合・再編である。集団軍こそ、軍内部における権力と腐敗の温床であったと言えるからである。例をあげれば、郭伯雄の第47集団軍(旧蘭州軍区)、徐才厚の第16集団軍(旧瀋陽軍区)などはその筆頭と言えよう。

 集団軍の統合・再編への関心は高く、現状の18ある集団軍からいくつ減らされるか議論を呼んできた。今年初めまでは3つ減らされて15になるのではないかという観測があったが、4月に入り出てきた答えは、5つ減らして13の集団軍にするというものであった。

「党への忠誠」を強調した習近平

 2017年4月18日、習近平主席が、人民解放軍において新たに改編された84の「軍級単位」の指導幹部を集め、訓令を発する式典が行われた。

 軍の階級で言えば、中央軍事委員会や5大戦区、各軍種のトップが最高位の上将ポストであり、「軍級」はそれに次ぐ中将、少将が率いる軍の中核である。「軍級単位」とは、中央軍事委員会や5大戦区、各軍種の司令員・政治委員に隷属する機関や各省軍区、軍政部門などと同格の機関である。

 そして、軍級単位の下に来るのが「師級単位」とされる。集団軍は「軍級単位」であり、それを構成する師団は「師級単位」ということになる。

 習近平主席が式典での訓令で冒頭に強調したのが「党への忠誠」であった。すなわち、「党の指揮に断固として従い、軍隊に対する党の絶対的指導を堅持し、党中央の権威を断固として守り、党中央と中央軍事委員会の指揮に断固として従い」「部隊建設の正しい政治的方向を終始堅持しなければならない」という。以下、戦闘態勢の準備強化、各軍種の一体化した合同作戦への適応、人民解放軍の栄えある伝統の堅持などが訓令されたが、重点はやはり「党への忠誠」であった。

 それは、とりもなおさず軍内における郭伯雄・徐才厚に代表される「腐敗した大虎」の影響力排除、さらに言えば、それを許した江沢民元主席の影響力を徹底的に排除することで、習近平体制下の人民解放軍の綱紀粛正と人心一新を図ることであった。

抹消された5つの「集団軍」

 それを端的に示したのが、この式典で明らかになった集団軍の新編成である。

 具体的には、従来の18の集団軍が13の集団軍に統合・再編され、5つの集団軍が消滅した。同時に従来の番号呼称が廃止され、13の集団軍は「第71集団軍」から「第83集団軍」までの連番呼称となった(注)。5つの集団軍が整理されたことで、15〜20万人の兵員が削減されたという観測もある。

(注)旧南京軍区を引き継いだ東部戦区の第12、1、31集団軍はそれぞれ第71〜73集団軍とされ、旧広州軍区と部分的に旧成都軍区が統合された南部戦区の第41、42集団軍が第74、75集団軍、旧蘭州軍区と分割された成都軍区からなる西部戦区は第21、13集団軍が第76、77集団軍、旧瀋陽軍区と部分的に旧済南軍区、旧北京軍区が統合された北部戦区は第16、39、26集団軍が第78〜80集団軍、内蒙古自治区が切り離された旧北京軍区と分割された旧済南軍区の第65、38、54集団軍が第81〜83集団軍となった。

 問題は、抹消された5つの集団軍の背景である。抹消されたのは、旧成都軍区の第14集団軍、旧蘭州軍区の第47集団軍、旧瀋陽軍区の第40集団軍、旧済南軍区の第20集団軍、旧北京軍区の第27集団軍であった。もちろん、抹消された理由は公表されてはいない。しかし、抹消されたのはそれなりの政治的背景が指摘できる。

 旧成都軍区の第14集団軍は雲南省昆明に置かれていた。この集団軍が形成される過程で、薄煕来(当時政治局委員・重慶市党委書記)の父、薄一波が指導的立場にあった。薄煕来は、失脚の契機となった「王立軍・重慶市公安局長(当時)の米国総領事館(四川省成都)への駆け込み事件」(2011年2月6日)の直後の2月8日から9日にかけて、昆明の第14集団軍の軍史陳列館を訪問し、第14集団軍と緊密な関係をアピールした経緯があった。第14集団軍は、結果として薄煕来系とみなされ、抹消の対象とされたのであろう。

 また、旧蘭州軍区の第47集団軍は、すでに述べた郭伯雄の直系であることが抹消の理由である。旧瀋陽軍区の第40集団軍が抹消された理由は、徐才厚との関係を指摘する報道もあるが、その事実関係を確認できない。前述のとおり徐才厚の直系は第16集団軍であり、それにもかかわらず抹消されていない。なぜ第40集団軍が抹消の対象とされたのかは、現状ではよく分からない。

 旧済南軍区の第20集団軍は、江沢民派を代表する軍人の1人である梁光烈(元総参謀長、国防部長)の直系部隊であり、徐才厚がかつて済南軍区の政治委員を務めたことがあることが抹消の理由と考えられる。

 旧北京軍区の第27軍は、1989年6月の「天安門事件」で民主化を求める学生たちを武力制圧した部隊として悪名高いことが抹消の理由かもしれない。この第27集団軍は当時の国家主席で中央軍事委副主席でもあった楊尚昆の甥が指揮をとっていたとされる。

 このように見ていくと、集団軍がなぜ歴史のある番号から、「71」から「83」の連番呼称に変更されたのか見当がつく。すなわち、抹消された集団軍の痕跡を消すためなのであろう。

軍の改革に残された大きな課題とは

 このように、「首から下」の軍事改革はそれなりに進展しても、実際は党大会を控えて軍の改革にはまだ大きな課題が残されている。それは、次期中央軍事委員会のメンバー構成である。

 中央軍事委員会の直属機関の改革で、従来の4総部が15の職能機関に分散された。また、陸軍が独立軍種となり、戦略支援部隊が創設された。これまでの中央軍事委の人事を踏襲するなら、主席1名、副主席2名、直属機関代表15名、軍種代表5名の計23名の大所帯となる。主席責任制とはいえ、軍の最高意思決定機関としてこれまでの11名(主席、副主席2名、4総部代表4名、軍種代表4名)の倍以上に膨らむことで、機能不全に陥る懸念も指摘できよう。

 同規模の組織として党中央政治局(25名)があるが、こちらはそのなかから7名の常務委員を選ぶことで機能分化を図っている。しかし、中央軍事委員会の場合、同様の「2階建て」構成は難しいだろう。軍令系統と軍政系統に分けるのも一案として想定できるが、その場合軍令系統に、これまでメンバーに入っていなかった5大戦区の司令員を加えることになり、かえって組織が大きくなってしまう。

 そうした点を踏まえると、習近平の軍事改革は、党大会前にもう一度「首から上」の改革を迫られることになるかもしれない。

筆者:阿部 純一