『BLAME!』のディストピアに恐怖を感じる理由 難解な世界をどう描いた?

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 1997年から2003年まで、講談社アフタヌーンにて連載された弐瓶勉作サバイバルSF漫画『BLAME!』が、待望の長編アニメ映画化を果たした。これまで幾度か短編映像化されてきた本作は、連載から20年という節目にあって、同じ弐瓶作品であるアニメ『シドニアの騎士』の劇中劇として描かれたことをきっかけに制作された。壮大なスケールゆえに難解ともいわれる本作だが、今回の映画は間口が広く、その世界観にすんなりと入っていけるのが印象的であり、エンターテイメントとしての完成度の高さを感じる。本作が幅広い層の観客を虜にしている理由を考察していきたい。

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 本作は、機械が人類を排斥するディストピアが舞台である。過去の“感染”によって都市の防衛システムが暴走、無限に増殖を続ける超巨大な「階層都市」となり、機械が人間を駆除・抹殺する時代に、人間たちは怯えながら暮らしていた。ある日、集落の食料難に耐えかねて狩りに出た電基漁師のづる達は、そこで防衛システム・セーフガードに襲われる。何人かの仲間が犠牲になり、づる達も絶体絶命かと思われたが、突然現れた霧亥(キリイ)と名乗る旅人に助けられる。彼は“ネット端末遺伝子”を探す旅をしており、それさえあれば機械を制御し、世界を正常化することができるという。希望を見いだした集落の人間は、霧亥と共にネット端末遺伝子があるという自動工場へ向かうことになる。

 この作品で特筆すべき部分は、まず映像と音響である。本作の3DCGアニメーションは『シドニアの騎士』にも携わる「ポリゴン・ピクチュアズ」が担当している。インタビューで瀬下寛之監督が「重視したのは縦の強調」と話していたように、作品の舞台は無限に続くとも思われる階層構造の超建造物だ。無意味に濫立する建造物と建造物の間には、どこまでも暗くて深い奈落が続いており、“都市防衛システムの暴走”の絶望が否が応でも伝わってくる。

 また音響には最新のシステム「ドルビーアトモス」が用いられている。これは音を左右だけでなく上下にも移動させることができ、空間全体を活用することが可能である。このため、四方八方から迫るセーフガードの恐怖感などを肌で感じることができる。

 この映像と音響の相乗効果で『BLAME!』の作品世界はリアリティを持ち、観客はその難解な設定を一瞬で理解するとともに、キャラクター達が感じる恐怖感、絶望感を鮮明に感じ取ることができるのだ。実際、戦闘シーンの迫力はもちろん、セーフガードがたてる不協和音や、都市自体が鳴らす腹の底に響くような作動音など、細かい所まで肌で感じることができる。まさに“劇場体験”といえる観劇は、普段はアニメを観ない映画ファンをも唸らせるだろう。

 また、状況説明的な台詞を極力排除しているのも、かえって作品への理解を深めている。なぜ機械が暴走したのか、霧亥の身体はどうなっているのか、作中で語られることはほとんどないのだが、状況がわからないのは、づるや集落の人たちも同じだからである。謎が謎のままであるからこそ、その不条理に直面し、思い悩むキャラクター達の心情を掴むことができるのだ。そういう意味では、自然の営みすべてが人間にとって未知であり、畏怖の対象だった時代の原初的な恐怖を描くことに、本作は成功しているといえるだろう。霧亥に惹かれていたづるがこの世界や霧亥のことを何も知らず、葛藤するシーンでは、彼女の心情が手にとるように伝わってきた。

 人間がモリを仕込んだ銃で戦うのに対し、人型セーフガード・サナカンが重力子放射線射出装置という周囲の建物を何層も貫くほど強力な武器を持っているのも、人類と機械の圧倒的な力の差を如実に描いており、その恐怖をさらに高める。

 本作では最終的に、人々はセーフガードに感知されない安全な層へと移住することに成功するのだが、しかし、根本的な問題は解決されないまま終わってしまう。2時間弱の作品で物語が完結するのではなく、『BLAME!』という世界の中で、霧亥の旅はまだ続くことを示唆しているだが、その余白の中に、我々は想像力をかき立てられるのである。考えてみれば、我々の住む現実の世界もまた、人の力の及ばない多くの謎と恐怖に満ちているのであり、それはまだまだ続くのだ。(馬場翔大)