教育委員会はいつも「いじめはなかった」と繰り返す(写真はイメージ)


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取手市教育委員会の不誠実、無責任

 これまでどれほど多くの子どもがいじめによって自殺してきたことか。だが多くの場合、「いじめはなかった」「気が付かなかった」などという学校や教育委員会の無責任な発表ばかりを聞かされてきた。

 2015年11月に茨城県取手市の中学3年生だった中島菜保子さんがいじめによって自殺に追い込まれたという事件でもそうだった。菜保子さんは、「いじめられたくない」「学校に行きたくない」などとノートに書き残していた。この事実を見ただけでも、常識的な判断力を持つ人間なら、「いじめはあった」と判断して当然だ。

 しかし翌年12月、取手市教育委員会は、聞き取り調査を行ったが「いじめの事実は確認できなかった」と発表し、この問題に終止符を打とうとした。

 納得できない両親は独自に調査を行い、同級生からの証言でいじめの事実を把握した。調査を基に「学校でのいじめはあった」と訴え続けると、2016年3月に第三者委員会が設置され、再調査をすることになった。

 ところが、この第三者委員会というのはひどいもので、報道によると、聞き取り内容は「家族関係について」や「ピアノの悩み」ばかりで、いじめの問題に直結するようなものはなかったという。そして第三者委員会が出した結論は、やはり「直接的ないじめがあったということは把握できなかった」というものだった。

 中学3年の女生徒が、「いじめがあった」と書き残して自殺したことが「重大事態」ではないというのだから、呆れるほかない。なんという愚かさだろうか。

 取手市教育委員会は、両親が文科省に訴えると、途端に態度を180度変え、「不適切だった、反省している」と謝罪した。情けなくなる。こんな連中が教育委員、教育長だとは。しかし、こんな中身のない言葉では何の謝罪にもならない。「不適切だった」というが、何が不適切だったのか。「反省している」というが、何を反省しているのか。肝心なことがすっぽり抜け落ちている。

 教育長は辞任したが、ただ逃げただけのことだ。不誠実、無責任、無能・・・、いくら言葉を並べても足りないぐらいだ。

小学生が「150万円おごった」という横浜市教育委員会

 横浜市でも、福島から自主避難していた小学生が、転校先の小学校で小学校2年生のときから5年生のときまで、放射能に汚染された「〇〇菌」などと罵られ、150万円も脅し取られていたことが発覚した。

 ところが横浜市の教育長は、「関わったとされる子どもたちが『おごってもらった』と言っているから、いじめと認定することに疑問がある」というのだ。脅し取った子どもたちは、こんな見え透いた弁明をそのまま受け取る馬鹿な大人たちのことを嘲笑していることだろう。

 そもそも小学生が150万円もの大金をどうやって調達するのか。このこと自体も大問題であり、調査すべきことだ。150万円もの金がどういう場所で何に使われたのか。教育委員会なら大いに関心を持つべきことだ。

 それとも、横浜市の教育委員や、何の役にも立たなかった第三者委員会メンバー、親の訴えを真剣に聞こうともしなかった教師は、150万円ぐらいしょっちゅうおごってもらっているというのか。大人でも、何の利害関係もないのに数年間で150万円もおごってくれる人はそうそういない。いたら、横浜市教育委員会にぜひ紹介してもらいたいものだ。

 この生徒は、手記の中で「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」と述べている。震災で本当に辛い目に遭ったのに、よく頑張った。教師や教育委員会のメンバーよりも、この子どもの生きざまの方がはるかにけなげで、感動を呼ぶ。

 なぜ教育委員会の人々は、あるいは教師は、これほど“愚か”なのだろう。それは、馬鹿だからではない。保身のためだ。自分たちが関わる学校で自殺があれば、おそらくマイナス評価になるのだろう。だから隠そうとするし、真実に目を背けるのだ。

 こんな生き方しかできない人々は、子どもの教育に関わってはならない、と断言したい。

「いじめはある」ことを前提にせよ

 絶望的なことを言うが、人間社会でいじめは絶対になくならないと私は思っている。もちろん残念なことだ。だが自分の生活している周りを見てみればいい。ママ友なる集まりでも、会社でも、誰かを血祭りにすることはいくらでもある。いじめは大人社会だってあるのだ。

 動機は様々だ。妬みの場合もあれば、自分の立場を守るための場合もある。強者でいたいために、弱者を作り上げるための場合もある。烏合の衆になる場合もある。いじめに至る要因は、実に数多くあるのだ。

 それが学校現場では、実に簡単に「いじめはなかった」などという結論が下される。こういう結論を聞くたびに思うのは、「いじめはある」ということをなぜ大前提にしないのかということだ。

 多くの場合、いじめや嫌がらせがあっても、笑って済ませたり、無視したりしながら、みんな耐えているに過ぎないのだ。そういう想像力が必要なのだ。教育委員会や教師は、そういう想像力を持たなければならない。

 電通に勤務する高橋まつりさんという24歳の東大卒の女性が自殺をして、大きな社会問題になった。過酷な長時間労働や違法なサービス残業がその原因とされている。三田労働基準監督署が過労自殺と認定しているように、確かに、過酷な過重労働がその要因であったのだろう。だが私は、このことをニュースで知った時、とっさに高橋さんが東大卒ということで、下らないいじめのようなプレッシャーをかけられていたのではないのか、と思ってしまった。

 事実、母親は「『ハラスメントや長時間勤務に関する相談が本人からなかった』と言われていますが、彼女のメールにはくり返し『会社に行くのが恐い』『上司が恐い』『先輩が恐い』『相談したことがわかったら恐い』とありました。電通における社風『体育会系レベルではない異常な上下関係』『年次の壁は海より深い』と娘が言っていた社風であるのに、新入社員が相談できる相手は年のごく近い先輩だけしかいなかったのです。人事に相談しても有効ではなかった」と語っている。

 要するに、“いじめ”があったということだ。このいじめが、高橋さんを過労に追い込んだのである。

 そういうことはあるのだ。私は高卒で三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)に就職した。配属されたのは大阪府下の池田支店であった。同支店に配属された男性は私ともう1人いて、その人は大阪大学卒だった。先輩も同期も、女子行員はすべて高卒だった。

 当時はまだ算盤の時代だった。私は商工会議所3級の資格(たいしたことはない!)を持っていたし、札勘定もすぐに早くなった。だが阪大卒のI氏は、算盤は遅い、札勘定は遅い、計算は間違う、その度にベテラン女子行員から馬鹿にされ、嫌味を言われていた。I氏は相手にもしてなかったと思うが、大卒へのやっかみも相当あったのだろう。

 先日、ゴルフの宮里藍選手が今季限りでの引退を表明した。彼女も高校生時代に優勝し、先輩プロから、さまざまな嫌がらせをされたという。だが彼女が、嫌がらせをしたという話など聞いたことがない。それどころかほとんどの後輩の憧憬の的になっている。本当に強い人間は、そんなことはしないものなのだ。いじめは、自分を小さくするだけだということを知ってほしい。子どもにも、大人にも。

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筆者:筆坂 秀世