これまで、戦国時代を取り上げて金の一面を見てきました。今回は、江戸時代に金山開発に功績があった大久保長安に関して書いてみたいと思います。歴史物が続きますがお付き合いください。(写真は、大久保石見守長安陣屋跡:東京・八王子)

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金貨流通の時代へ―大久保長安をめぐって
 
■江戸時代の金、銀産出
 
 これまで、戦国時代を取り上げて金の一面を見てきました。今回は、江戸時代に金山開発に功績があった大久保長安に関して書いてみたいと思います。歴史物が続きますがお付き合いください。
 
 江戸時代は、金の産出が拡大しました。今までのコラムでは、織田信長、豊臣秀吉らに触れました。徳川家康もその流れを引き継ぎました。その流れを引き継ぎながら、佐渡金山、石見銀山を直轄統治し、金、銀の産出をさらに拡大させていきました。そして江戸幕府は、戦国大名の仕組みを踏襲しながら金貨を導入し、次第に金貨、銀貨、銭貨の三制度が整っていきます。江戸の商品経済の発展は、この貨幣制度の確立とともに拡大していったと考えてよいかと思います。
 
 金に詳しい方の中にはすでにご存知の方もいらっしゃると思いますが、江戸の金産出、量産に貢献した人物に大久保長安がいます。この大久保長安の指揮により、佐渡金山、石見銀山、その他の金山、銀山が開発され、産出量が拡大しました。
 
■歴史の謎!?大久保長安というひと

 大久保長安は、いまでいう能楽師、当時は猿楽師といったそうですが、猿楽師を父に生まれたそうです。父、長安とも、武田信玄おかかえの猿楽師であったそうです。その長安は、はじめは甲州の黒川金山などで従事し、武田氏の勢力衰えた後、徳川家康について、金山、銀山の開発の才能を発揮し始めました。みなさん、ここまでお聞きになってどう思われますか?適切かわかりませんが、いまでいう芸術家、芸能人が科学者、工学者のような活躍をしたというのです。もちろんいまでも、芸能人で本職とは別に異色な才能を持ったひとはいます。
 
 能は、観阿弥、世阿弥によって確立されたとされます。そしていろいろ流派がありました。大久保長安は、その流派のひとつ金春流に属していました。こうした役者、俳優がどこで、どのようにそうした金を取り出す技術を身につけていったのか興味のあるところです。もちろんそうした点も興味深いところですが、なぜ芸能をやっていたひとが、こうしたまったく異分野といってもよい領域に乗り出すことができたのかということは、ある意味で歴史の謎だと思います。前々回取り上げた千利休もそうですが、商人である一方芸術を極めました。今回の大久保長安も、まったく異質な世界から転じ、江戸の貨幣制度を下支えするような大きな貢献をした-このこと自体が、歴史の謎だと思うのです。武士が社会をリードし、庶民が社会を支えたなら、こうした商人や芸人、あるいはその背景を持った人たちが社会を変革していく側面を持っていた、またそれが金とかかわりが深い、そういうこともできるかと思います。
 
 なお、長安については、その死後の扱われ方(墓から遺体を引き出し、さらし首にされた)、嫡男たちの切腹、家系が絶えた、そうしたことが歴史の謎として取り上げられる場合が多いようですが、このコラムでは全く違う謎、不思議を提起してみました。
 
 いずれにせよ、この長安らの貢献で江戸時代の貨幣制度が整備されていくことになります。
 
■日本全体に広がった貨幣システム
 
 金山、銀山をおさえた徳川幕府は、既存の貨幣制度を整理しつつ整えていきました。そして、金貨、銀貨、銭貨を鋳造していきます。以前触れた金座の話につながっていくのです。ただ、全国をおおう貨幣制度が整ったものの、まだ小判などの金貨を庶民が手にする機会はめったにありませんでした。小判は、武士や商売で大金を扱う商人の世界のものでした。時代劇で悪い家老などが悪徳商人から賄賂をもらい「おぬしも悪よのう」というあれですね。また、歌舞伎の中の、「恋飛脚大和往来」(大元の原作は、近松門左衛門の「冥途の飛脚」、それを改編してつくられた作品。上方歌舞伎の「世話物」)の中で、主人公忠兵衛が芸者梅川を身請けするため飛脚の小判を着服し、その小判の包みの封印を切ってみせるというのも、小判が流通した江戸時代の一光景でしょう。
 
 ただ、まだ、庶民のところまでは、金は降りてきていないといってよいでしょう。
 
 今回のコラムは、江戸時代の貨幣制度を下支えした大久保長安と、出自が芸人であったという謎と金の絡みを取り上げてみました。

【参考・情報源など 】
西川裕一「江戸期三貨制度の萌芽―中世から近世への貨幣経済の連続性」『金融研究』日本銀行金融研究所1999.9(情報提供:SBIゴールド)(写真は、大久保石見守長安陣屋跡:東京・八王子)