2000年秋、シドニー五輪。中田英寿を中心に前進を続けたU-23日本代表にあって、ベンチにも入れない4選手のサイドストーリーがあった。(C)REUTERS/AFLO

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【週刊サッカーダイジェスト 2000年10月18日号にて掲載。以下、加筆・修正】

 メダル獲得へ邁進したシドニー五輪代表チームは、キャンベラ、ブリスベン、アデレードと戦いの場を移し、かけがえのない経験と苦渋を味わった。
 
 だがその裏側で、自問自答を続ける男たちがいた。
 
 ピッチで戦うことも、ベンチに入ることもなかったバックアップメンバー。そのひとり遠藤保仁が、自身の分岐点となった南豪での日々を、いま振り返る。

【PHOTO】遠藤保仁のキャリアを厳選フォトで振り返る
 
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 どこからか、記者の名を呼ぶ声が聞こえてくる。
 
 眼前では、これから延長戦を迎えようかという日米両雄が円陣を組み、後方を振り返ると、日本の各プレスがこわばった表情で控え、いかなる結末を迎えるのか、緊張のままに構えている。
 
 アデレードのヒンドマーシュ・スタジアムでは、シドニーオリンピックの準決勝進出をかけた大一番が、いままさに始まろうとしていた。
 
 ふと、視線を下段のスタンドへずらすと、遠藤保仁と吉原宏太が、笑顔で手を振っている。傍らには曽ケ端準、山口智の姿もある。
 
 記者席とピッチを結ぶ長い距離、そのほぼ中間の位置で、彼らは戦況を見つめていた。それはどこか、現実から切り離され、和やかで穏やかな時間が流れるエアポケットのようだった。
 
 なぜ、この雰囲気のなかで笑っていられるのか。瞬間的には理解できなかったが、彼らの境遇をよくよく考えてみると、胸の奥底からこみ上げてくるものがあった。
 
 オーストラリアでの日々を高速回転で巻き戻すと、当然ながら、日本チームのあらゆるシーンに4人は登場した。
 
 1人ひとりの笑顔に触れ、いま一度、1つひとつをコマ送りで思い返してみる。
 
 彼ら4人はベンチに入ることを許されなかった者たち。だが紛れもなく、栄えある日本五輪代表のメンバーであり、誰と登録が代わってもおかしくない実力者たち。バックアップメンバー――栄光への進撃を続けたチームにあって、自己との葛藤を繰り返す選手たちがいた。
 
 これは忘れられがちなもうひとつの、“南豪の2週間”である。
「モチベーションは低くなかったですよ。正直言って、どういう形にせよ来れてよかったってのが本音だったし、『選ばれなかった選手たちの代表』という意識もあったし。シドニーに行く前は、なにかを掴みとって帰ってこようという気持ちでいっぱいだった」
 
 飾らないいつもの口調で、遠藤はそう振り返る。
 
 大会直前の北海道合宿では、登録メンバーの正式発表を前にして、スポーツ雑誌上で事実上の『選考漏れ』を知ることとなった。
 
 諦めかけていた矢先、バックアップメンバーでの招集を受け、とりあえずホッと胸をなでおろしたという。いかなる状況が待ち受けているのか、そのときは考える余裕さえなかったのだろう。
 
 9月10日、日本五輪代表がキャンベラに到着する。冬を感じさせる気候のせいか、戸惑いの表情を見せる選手がちらほらいる。

 オーストラリア入りしてからというもの、フィリップ・トルシエ監督は怒りっぱなしだ。一向に上がってこない選手たちのモチベーションに対してで、チームにはピリピリとしたムードが蔓延していた。
 
 そして遠藤もまた、かつて経験したことのない日々をスタートさせていた。
 
「甘かった、とまでは言わないけど、あんなに辛いもんだとは思ってなかったですね。もちろんチームをバックアップするのがボクらの役目で、それは分かってるんだけど、どこに気持ちを持っていったらいいのか分からない。でもアピールするところではしなきゃいけないわけで、一方では、自分のなかにストレスもあるわけで。

 僕なんかはむしろ、ストレスの方を力に変えていったというか、そうするしかなかったんだけど……。ソガ(曽ケ端)なんてU-17、ワールドユースもバックアップで、今回が3回目だった。それでもキツかっただろうし、慣れるってもんじゃないと思う。

 試合が近くなって、みんな、プレッシャーを感じてたんじゃないかな。普段しゃべってるときはいつも通りなんだけど、緊張してたようには感じたし、どこかフツーじゃなかった。僕らにはプレッシャーがなかったぶん、余計にそう感じたのかもしれないけど」
 迎えたグループリーグ第1戦、対南アフリカ戦。
 
 バックアップメンバーたちは、メインスタンドの片隅に陣取り、試合を観戦することとなった。
 
 これはFIFAが定めたルールであり、控室には入れるがベンチには座れない。日本サポーターに囲まれるような形で、いまやJリーグでも有名な4選手はスタンドから、世紀のオープニングマッチを眺めていた。
 
「あのフェアプレーの旗が出てきて、いつもの入場の音楽が鳴るじゃないっすか。それを上から見てるのが、とにかく悔しくて。自分自身、ベンチにも座れなかったことってホントになかったから、どうしたらいいんだろって感覚だった。

 でもね、見るのとやるのは違うって、よく分かったってのもある。僕は日本が対戦したチームでは南アが一番強烈だったと思うし、フォーチュンのプレーなんか、感動的でさえあったから。同じピッチに立って得る経験はそりゃしたかったけど、上から見てたからこそ冷静に、アイツのホントの凄さを理解できたんでね」
 
 日本は苦しみながらも、クセ者揃いの南アに逆転勝ちを収める。
 
 試合翌日の練習は、出場組が軽く流す程度で、控え組がフルメニューをこなすカリキュラム。バックアップメンバーの4人は、次第に物足りなさを感じていく。現段階で、自分たちが試合に出る可能性は皆無。このままでは帰国してからのコンディションにも、少なからず影響が出てしまう。
 
 4人は早川直樹トレーナーに掛け合ってもらい、トルシエ監督に直談判した。時間外での練習を許してもらおうと。残念ながら受け入れてもらえなかったが、それは彼らの意思表示であり、徐々に開きつつあった“18人”との距離を縮める作業でもあった。
 
「スタッフの人たちには、ホントに感謝してますよ。ああいう立場だったからなおさらありがたみが伝わってきたし、少しでも無駄な時間がないようにと心配りをしてもらったから。なので、筋トレは必死に一生懸命やりました。

 18人のメンバーともまったくいつも通りでしたよ。変に気遣いをしてくる選手もいなかったし、まあ、仲がいいというかなんというか。でももしあそこで誰かが気を遣ってたら、きっとムカついたんだと思う。

 ただね、ボール回しをする練習中なんかは、さすがにちょっとね……。正直、輪の中に入り切れてないなって、どこかで思ってた」