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BE MY BABY、BE MY BABY、BE MY BABY、BE MY BABY……

東京ドームに鳴り響く、代表曲『BE MY BABY』のイントロ。
2011年7月10日、「日本一心」と銘打たれた東日本大震災のチャリティコンサートで、伝説のユニット『COMPLEX』が20余年ぶりに復活を果たしました。ステージ両端に現れた、吉川晃司布袋寅泰。歩み寄り、中央でガッチリ握手を交わすと、大きな歓声が沸きあがります。

20余年前、結成から解散までの経緯を知るファンにとって、きっと感慨深い瞬間だったに違いありません。

同じマンションに住んでいた吉川晃司布袋寅泰


COMPLEX結成が発表されたのは、1988年12月10日のこと。
もともとは同じマンションに住んでいて、夕飯のおかずを持ち寄ったり、2人きりでハワイ旅行へ出掛けたりするという、気持ち悪いほど仲が良かった吉川と布袋。

プライベートでの友人だった2人がビジネスパートナーになった経緯については、「タイミングが良かったから」という一言に尽きるでしょう。

BOOWY解散後の布袋と事務所独立後の吉川によって結成


1988年といえば、2人にとってターニングポイントとなった年です。

海外志向の強かった布袋はBOOWY解散後、シングル曲『DANCING IN THE MOON LIGHT』をイギリスで発表しましたが、これが全く売れずに大失敗。大きな敗北感の中で、もう一度、再起をかけようと野心を燻らせていた時でした。

一方の吉川は、所属していた事務所のアイドル的な売り出し方に嫌気がさし、22歳にして独立。ロックアーティストとしての飛躍に思いを馳せながらも、しばらくは事実上の休業期間に入っていました。

商業的成功を収めるためには、ヴォーカリストとしては未熟な布袋。アイドルからロックミュージシャンへ脱皮するためには、ソングライターとしてのスキルが足りない吉川。
双方、不足部分を補い合える関係ということもあり、最終的には飲み屋での「一緒にやろうか!」という一声で、COMPLEX誕生に至ったのです。

キレッキレなパフォーマンス! 『BE MY BABY』のミュージックビデオ


結成発表から4ヶ月後。満を持してリリースされたファーストシングルが、前述の『BE MY BABY』です。
布袋が手掛けるキャッチ―なサウンドと変幻自在のギター、吉川のパワフルかつ伸びのあるボーカルが融合した同曲は、デビュー曲とは思えないクオリティに仕上がっており、オリコンチャート1位を獲得しました。

特に話題を呼んだのが、MV(ミュージックビデオ)のカッコよさ。低視点の固定カメラで撮り続けるだけというシンプルな仕様ながら、高身長で足の長い2人がキレッキレな踊りを披露しつつ、情熱的に「BE MY BABY!」と歌い上げるそのパフォーマンスは圧巻の一言。
スーパーユニットCOMPLEXの伝説が幕を開けた瞬間でした。

「商業的な成功以外、何も得るものがなかった」と語った布袋


しかしその伝説は、デビュー曲からわずか1年半ほどで終焉してしまいます。
離別の原因は、世にいう「音楽性の違い」というものです。海外でも通用する音作りがしたかった布袋は、デジタル技術を多く導入したサウンド製作にこだわっていました。一方の吉川は、生バンドの魅力を前面に押し出したアナログな楽曲を標榜していました。

こうした音楽的な溝は、COMPLEX結成初期の頃からあったらしく、後に吉川は「(布袋とは)組んでみたら最初から全然感覚から何から違っていて、最後のアルバムを出すときには“もう勝手にやって”という感じだった」と当時を述懐。

布袋も「商業的な成功以外、何も得るものがなかった」というニュアンスのコメントを口にしています。

価値観の違いゆえ、レコーディングを重ねる度に不仲となっていき、最終的には1990年11月8日、東京ドーム公演をもって無期限の活動休止となったのでした。

そんな2人が21年の時を経て、少しずつ歩み寄った結果実現したのが、冒頭の「日本一心」コンサートだったというわけです。せっかく和解したのだから、たった一度きりではなく、また共演してほしいと願っているファンはきっと多いことでしょう。
(こじへい)

※イメージ画像はamazonよりCOMPLEX