アニメ『アリスと蔵六』の一話公開後、Twitterのタイムラインで「なんか思ってたのと違うぞ?」との声が飛び交った。
メインビジュアルはほんわか絵本チック。名作劇場的なイメージの人も多かったようだ。
しかし、鉄球が飛んできたり、でかい腕が女の子を追いかけ回しているなど、変なアクションシーンが多い。挙句、少女は車に拉致され、目隠し状態で失禁しているところを、銃で撃ち抜かれる、というわりとハードな展開。

これは、幼児期に叱ってくれる人がいて、前向きに解決できた場合の「エヴァ」のような作品だ。


曖昧な存在が家族になるまで


不思議な力を持つ少女・紗名。彼女は花屋を営む頑固爺の蔵六に出会う。
彼は所構わず力を使ってしまう紗名にげんこつを食らわせ、叱る。「俺は曲がったことが大嫌いなんだ!」
紗名は本当に何もわかっていない。自分と他者の境界線が曖昧で、感情が理解できていない。

どうやら紗名は人間ではなく、現象が人間の形を模倣しているだけの存在らしい。
うろたえる紗名。蔵六は、人間かどうかはそんなに重要ではないと受け入れ、正式に養子として引き取ることを決める。

どこまでが自分なんだろう


「制御できないモヤモヤした感覚はなんなのか」「どこまでが自分でどこからが他人なのか」
紗名の身体的は小学3年生くらいだが、精神年齢は1歳から3歳の幼児の状態。
能力アクションを交えながら、彼女の成長を通じて、子どもの発達段階が描かれる。

紗名の能力は「想像したことが全て具現化する」という、幼児期の万能感をそのまま扱えてしまう、とんでもないもの。
それをゲンコツ一発叱ってくれる蔵六が注意してくれる。「思った通りにいかない」ことに出くわして、彼女ははじめて「相手は自分と同じことを考えていない」「力をみだりに使ってはいけない」と認識できていく。
幼児が親に教わって、他人に挨拶をし、会話で意思を伝える術を学ぶのと同じだ。

「自分は本当は人間ではない」という紗名の悩み。
「自分は本当はお母さんの子どもじゃないのではないか」「みんなが自分に嘘をついているのではないか」という恐れを、幼児期に体験することがあるのとイメージは似ている。映画『マトリックス』や『トゥルーマン・ショー』にも通じる人間の恐怖感だ。
子供の頃に「橋の袂で拾われた」なんていう冗談を言われて怯えた人も多いのでは。

彼女は養子縁組を組んでもらってから、「樫村紗名」の名前をことのほか大事にするようになる。
自分の「個」がはじめて、形として認められ、家族としての絆を確認できたからだ。

セカイ系からの離脱


10年くらい前に「セカイ系」という単語が流行った。
一般的には『エヴァンゲリオン』や『最終兵器彼女』『ほしのこえ』のように、「自分と誰か」の感情的な問題が、社会を飛び越えて、世界規模・宇宙規模の話につながっていくスタイルの物語のことを指す。

『アリスと蔵六』も、設定自体はセカイ系のノリに近い。
現象である紗名は、想像と世界がそのまま直結している。ちょっとした感情で世界を滅ぼすことができてしまう。
第二部で出てくる羽鳥が、多数の人間の想像力を奪って操ってしまうという無茶苦茶な能力を発揮するのも、原因は親とのコミュニケーション不全への悩みだけだ。


この「自分の悩み=世界の動き」を、ズバッと蔵六が断ち切るのが、気持ちがいい。
自我がはっきりしていれば、たいていのことは曲がらない。「自己」を「世界の全て」と切り離し、「社会」に視点を切り替えることができる。
自分と世界の自我の境界があやふやな中に、意思の曲がらない老人が入ってくる。
世界の滅亡に怯えるより、朝刊を毎朝持ってくることや、目の前の花の水やりの重要性を、老人に学ぶ。


原作は時系列をシャッフルし、ミステリー要素多めの作品になっている。
アニメ版はこれをすべて並べ替えて咀嚼し、テーマにあたる「紗名の成長=子どもの精神的発達」をクローズアップ。
子どもたちの感情を表現するエピソードをかなり追加しており、育児ものとしても楽しめる作りのため、ぜひ子どもがいる方には見てほしい。

そしてかつて子どもだった多くの人に、子供の頃の怖かったことや、衝撃を受けたこと、一番嬉しかったことを思い出しながら、見るのをオススメ。
今だとバンダイチャンネルが一番見やすいです。
(たまごまご)