韓国で開催されているU−20W杯では、試合前やハーフタイムに過去の大会の映像が流される。79年大会のディエゴ・マラドーナや97年大会のマイケル・オーウェン、さらには若き日のリオネル・メッシやポール・ポグバらが、スタジアムのビジョンで躍動している。

 日本人として誇らしさを感じるのは、大会ごとのレビューだ。1999年を振り返る映像で、“黄金世代”と呼ばれるチームに触れることができるのだ。

 スペインとの決勝戦は0対4で敗退したから、映像の主役は日本ではない。それでも、世界大会のファイナリストなのだ。スペインの歓喜が映し出されるたびに、「キャプテンの小野伸二が出場停止で出ていないのだ、稲本潤一も本調子でなかったのだ」と、ビジョンに眼を向ける観衆や関係者に説明したくなる。日本はもっとできたかもしれないのだと、声を張り上げたい欲求に駆られる。

 同時に、フィリップ・トルシエ監督と彼の仲間たちが成し遂げたものの大きさを、改めて讃えたい気持ちが沸き上がってくる。内山篤監督のチームが、ベネズエラに延長の末に競り負けた余韻が残っているだけに、なおさら99年大会が眩しく感じられる。

 ベネズエラがグループステージ最終戦を戦ったのは、5月26日だった。日本は翌27日である。この一日の違いが、時間の経過とともに日本にのしかかっていった。

 内山監督は早めの選手交代で停滞感を近づけないようにしたが、フレッシュなはずの交代選手もチームを活性化するには至らない。試合の主導権を握ることは最後までかなわず、延長後半の失点が致命傷となった。

 5大会ぶりの出場でベスト16入りしたのだから、それなりに納得できる着地点という印象はある。ただ、99年大会を思い返すと、中1日のスケジュールも敗戦の理由にはできない。内山監督も選手たちも疲労を敗因にはあげていないが、それ以前に“黄金世代”の逞しさに感心させられる。

 今回のU−20W杯が行われた韓国では、日本国内とほとんど変わらない環境で過ごすことができる。三度の食事では白米が当たり前のように提供され、食感も日本で食べるものと変わらない。

 食事と同じくらい大切な、入浴環境も申し分ない。さほど高くないホテルでも、客室にはバスタブが備えられている。海外での長期滞在で受けやすいストレスと、韓国ではほぼ無縁でいられるのだ。

 99年大会はそうもいかなかっただろう。開催国はナイジェリアである。治安に不安があると言われていたから、FIFAも安全確保を最優先したと聞く。

 トルシエのもとでヘッドコーチを務めた山本昌邦氏は、「シャワーが水しか出ないこともあった」と振り返る。95年と97年のU−20W杯でもチームに関わり、96年のアトランタ五輪のオペレーションも知る同氏によれば、食事も、睡眠、入浴も、満足できるものではなかったという。

 そうした環境下で、世界のファイナリストとなったのだ。「過酷な環境を楽しんでしまうところが、選手たちにはあった」と山本氏は話す。ピッチ内だけでなくピッチ外でも、選手たちは頼もしかった。逞しかったのだ。

 もっとも、小野や高原らの黄金世代も、99年以前に悔しさを味わっている。95年のU−17W杯で、1勝1分1敗の勝点4を稼ぎながらノックアウトステージ進出を逃したのだ。グループステージ最終戦は開催国のエクアドルが相手で、21世紀なら考えられないホームタウンデシジョンで引き分けに持ち込まれた。

 技術や戦術ではどうしようもできない部分も、国際大会では勝敗に影響してくる──はるか南米の地での体験は、99年のU―20W杯の成功につながったに違いない。

 だとすれば、ノックアウトステージで力尽きた今回のU−20W杯も、より具体的な教訓として2020年への道標となりうるはずだ。「ベネズエラ戦の敗戦があったから」と思わせるシーンを、3年後の東京で見せてほしいのである。