【さえりさん連載】恋する女子には映画と紅茶【vol.6】〜運命のひとは存在するか〜『あと1センチの恋』
「運命のひとと、必ずしも結ばれるわけじゃないって僕は思うんだよね」。
深夜2時に男友達からLINEが届いた。
「運命ってあると思う?」などとわたしが質問したせいだったが、深夜2時にもかかわらず彼はとつとつと自分の持つ「運命論」を話し始める。
……運命のひと。
もし本当に「運命のひと」がいるなら、結ばれるものだと思っていた。
出会った瞬間にビビっと来て、初めて会ったような気がしなくて、お互いがお互いを探していたと思えるほどに強い結びつきがあり。そんな運命があればいいなとどこかでずっと思ってきた。
けれど彼は言う。
「運命はある。でも、結ばれるかどうかは別なんじゃないかな」と。
*
深夜2時に20代後半の男女が「運命」などという単語を用いて会話をしたのには理由がある。他の男友達がおすすめしてくれた『あと1センチの恋』を観たからだ。
おすすめしてくれた彼は「ぼくは“運命論者”だから共感したけど、一緒に見た女性は『結婚しているのに他の人をひそかに想うなんて無理』といっていたから、賛否両論なのかも」と言っていた。
出典:https://www.amazon.co.jp/ 出演: リリー・コリンズ, サム・クラフリン 監督: クリスチャン・ディッター 販売元: TCエンタテインメント
あらすじも、彼の言葉を借りて紹介する。
「すれ違いを描いた映画なんだよ。主人公の女の人と幼馴染の彼の人生が、あと一歩ってところでいつまでも交わらないの。あと一歩で結ばれるところだった!ってところで、相手に恋人ができたり、女のひとが思わぬ妊娠をしてしまったり、邪魔者が入ったりして、ずっとすれ違っちゃうの。それでお互い別の人と恋をしたり結婚をしたりする。でもお互い、ずっとどこかで相手を想ってるんだよね」
映画はすごくもどかしくて、リアリティがあった。一人の人を想い続けてじめじめせずに、その時々の自分に必要な相手と付き合ったり結婚したりする様子も、とても現代的だと感じる。そのせいで、何度も泣きたい気分になった。
どうして「好き」って気持ちはかみ合わなくて、どうして「愛」って遅れて現れるのだろう。
そしてこの映画について話した男友達二人が口にした「運命」についてふたたび考えを巡らす。 *
忘れられない恋をしたことがある人は多いと思う。他の恋愛とは比べ物にならないくらいの何かがあり、未練の有無に関わらず忘れることができない。
どこかの映画や小説なら、恋のキューピット的な第三者がいて、彼らの活躍や予期せぬアクシデントにより二人の人生がカチリと噛み合うのだが、現実はそうもいかない。「その時」を逃してしまえば二人の人生は永遠に交わることなく終わっていく。
結婚した友人は、飲むたびにこっそりと元カレの話をする。
「今の暮らしに満足しているけれど、あの彼以上に好きになれる人はいないかな」とサラリと言う。他の友人はこうも言う。「あの彼とわたしは、お互いをとても大事に思っているの」。その“彼”にはもう奥さんがいる。
これをわたしは「罪」とは言えない。
映画内で、お互いがそうしていたように、残念ながらわたしたちは目の前の現実を生きていかなくてはいけない。現実を生きるために、運命とか理想とかを忘れて、目の前の出来事に適応して生きていく。
でも心の中にはとある人がいて、そして相手の心の中にも自分がいる。望む・望まないに関わらずその人は何度も目の前に現れて、心を揺さぶるだけ揺さぶり、会わなかった時間など無かったかのように一瞬で近づき、そしてまた離れていく。そしてお互い、日常に戻る。
本当に二人が同じくらい想いあっているなら、自動的に「運命認定」をして、マッチングするサービスがあればいいのに、なんて夢のないことも思う。
こういういろいろを考えていると、冒頭の友人の言葉が妙に説得力を帯びてくる。
「運命だとしても結ばれないこともある」……?
いや、そうかもしれない。
でも。
やっぱりわたしは恋愛における「運命」は、自分の手で作れるんじゃないか、と思う。そう思いたい。
「運命のいたずら」などともいうが、神もキューピットもそんなに暇じゃ無い。結局「運命」も、自分が選んだ行動の積み重ねの結果だ。
恋愛においてすれ違いは、嘘みたいに多発している。「あの時言えばよかった」「もっと早くに出会いたかった」。
いつだって、もう一度伝えることができる。いつだってスタート地点に立つことができる。ただしそれに伴ういろいろなことを引き受ける覚悟が必要で、わたしたちは時にその勇気が出ないまま時を過ごす。
でも、失ってからじゃ、遅い。待っていては、手遅れになる。人生は思っているよりも長くて短い。自分の人生の時間をどういう人とどんな風に過ごしていきたいのか。何度だって考え直したらいい。
そう、思えるような心持ちで生きていきたい。せめて心だけでも。
* たぶん現状に適応することを選んだ人たちが、きっと『君の名は。』で泣き、『ラ・ラ・ランド』で泣くのだ。
『君の名は。』で泣き、『ラ・ラ・ランド』で泣かなかったわたしは、『あと1センチの恋』で泣いてしまった。運命論の、2勝1敗。わたしはこの先「運命」をどう扱っていくのだろう。
運命は決められたものか、運命は決めるものか。
映画を見た後からずっと、その問いがわたしから離れない。
好きな人がいるけれど、何らかの事情で一緒にいない人たちにこそ見て欲しい。そして自分の「運命」をどのように扱うのか、いま一度考えるきっかけにしてほしい。週末に、ぜひ。
●さえり●
90年生まれ。書籍・Webでの編集経験を経て、現在フリーライターとして活動中。 人の心の動きを描きだすことと、何気ない日常にストーリーを生み出すことが得意。
好きなものは、雨とやわらかい言葉とあたたかな紅茶。 Twitter:@N908Sa (さえりさん) と @saeligood(さえりぐ)