前回、タイトルにつられて誤解された読者もあったようですが、長年ご愛読いただいている皆さんにはたぶん明らかでしょう。私は大学受験にスマートフォンなどを持ち込むことに(特に日本の入試では)大反対です。

 今回は、将棋とコンピュータ―の関わりの変化から、私たちの社会とAIのクリエイティブな関係を検討してみたいと思います。その必然の結果として、テストにスマートフォンは不要という結論が出てくることになります。

[JBpressの今日の記事(トップページ)へ]

将棋に見るコンピュータ―の変遷

 必ずしも囲碁・将棋の熱心なファンではない私ですが、前回東京オリンピックの年に生まれた学年の私たちにとって、子供の頃の棋士と言えば、何と言っても大山康晴(1923-92)と升田幸三(1918-1991)が双璧でした。

 これに若手として加藤一二三(1940-)、米長邦雄(1943-2012)、中原誠(1947-)といった若手(だったのです)が綺羅星のように続いてしのぎを削っているところに、ほぼ同世代の谷川浩司さん(1962-)が颯爽と登場・・・といった印象で将棋を眺めていました。

 それが大きく変わったのは、私たちが成人し、5、6歳下に当たる世代が恐るべき中学・高校生として台頭してきた頃からと思います。

 端的には羽生世代、すなわち羽生喜治(1970-)、森内俊之(1970-)、佐藤康光(1969-)、村山聖(1969-1998) といった人々が登場して、棋界に新風を吹き込みました。

 ここで、ややとっぴな対比を記しておきましょう。NECから「PC98シリーズ」最初の「PC-9801」が発売されたのが1982年10月、この頃、私は高校3年生でしたが、まだ将棋で羽生世代は登場していません。1980年代を通じてPC98シリーズは進化を続け、その途中、1980年代後半から羽生世代が台頭する。

 彼ら「恐るべき子供たち」は、登場の当初からパーソナル・コンピュータ―が身近にあった世代として、棋士生活にこれを適切に生かしている印象が当時からありました。

 実際に、個々の棋士がどのようにPCを使っていたのか、あるいはいなかったのか、細かなことは把握し切っていません。

 しかし、棋譜がデータベース化され始めて検索可能となり、必要に応じてそれを呼び出したうえで、一度紙にプリントアウトし、さらに駒を盤面に並べて熟考の助けにするという形で、いま40代後半の棋士たちは「恐るべき子供たち」として当時の名人たちの前に立ちはだかり始めたように思います。

 これは、谷川氏と羽生氏の中間の世代として、畑は違いますがやはり電子計算機を援用しながら、自分自身の仕事もしてきた私の偏見かもしれません。

 ただし、当時の計算機は、その計算能力の限界から言っても「電子カルテ型」の使われ方をしていたように思います。

 従来なら整理に困るような膨大なデータを適切に整理整頓、漫然と考えていたのでは見えないような構造も、この道具の助けを借りつつ精進すれば、かなり効果的に処理できるようになる。

 普段言わないことをあえて書きますが、私は「マルチ」人間などと呼ばれることがあります。

 実際マルチな能力などないし、そもそも浅く薄っぺらな響きが嫌いなので、指摘されるたびに大きく否定させてもらい、単なる職人音楽家に過ぎませんとお伝えします。しかし、現実に仕事が一定の範囲で多岐にわたっているのもまた事実ではあります。

 音楽家の仕事をしながらこの連載のような原稿を書き、大学で研究教育にも携わっているのは間違いありませんが、これは要領よく電子計算機の助けを借りて、何とかやっているもので「電子カルテ方式」の賜物と自覚しています。

 1980年代後半、20代前半の私は、一方では大学で物理を学び、他方、駆け出しの音楽家としてはコンクール歴を重ねつつありましたが、1人で両方できたのは (1)留学しなかったこと(2)電子計算機の助けがあったことの2つなくしてはあり得なかったと思います。

 そういう偏見から将棋とコンピュータ―を眺めているもので、多々誤っている部分もあると思いますが、まげてお許しください。

電子カルテからEBMへ

 1990年代に入ると、世界は大きく変化します。端的に言えば冷戦が終わりました。すぐ続いて(第1次)湾岸戦争が発生、地球温暖化が本格的に問題とされ、またヒトゲノム計画などのバイオサイエンスが推進されます。

 この「ヒトゲノム」が電子計算機を大きく変化させたことには、この連載でも幾度も触れました。ゲノミクスの進展は「自然言語処理」のテクノロジーを大きく伸ばします。

 私たちが今日使っている検索エンジン、ツイッターやフェイスブックなどのSNSも、ゲノミクス以降の言語処理技術、特に知的検索の技術発展がなければ、存在し得ないものでした。

 ゲノミクス以降の検索エンジンを端的に特徴づけるのは、医療分野でのEBM(evidence-based medicine=根拠に基づく医療)の概念でしょう。

 これは、各地に点在する膨大な数の患者の臨床所見と診断、治療の経過と治癒率などを巨大な統計として扱い、実践での成功率を含めて患者にインフォームド・コンセントしていく、臨床医療におけるビッグデータ応用の走りと言っていい動きで、現在ではすっかり定着しています。

 すなわち、1980年代には原始的な表計算ソフトその他で整理の役に立つ存在であったパーソナル・コンピュータ―が、知的情報検索の技術革新によって、検索性、さらには将棋の手の先読みなど、応用検索技術にまで拡大されていったのが1990年代〜2000年代にかけての時期だったと思います。

 これらと軌を一にするように1987年コンピュータ―将棋協会が設立され、1990年から世界コンピュータ―将棋選手権がスタートします。

 単に棋譜を整理するという以上に、駒の動きを考える「人工知能」としてのコンピュータ―と将棋の関わりが本格化するのがこの時期と言っていいと思います。

 谷川名人と同世代の棋士のお1人に飯田弘之さん(1962-)がおられます。

 飯田さんは奨励会の会員時代に上智大学理工学部数学科に進学、3年生の終わりに4段へ昇進してプロ棋士となります。1983年、ちょうどPCが普及してきた頃でした。

 飯田さんは1987年、恐るべき子供の筆頭格、羽生さんと対戦して勝利を収めますが、この時期からコンピュータ―と将棋の関係に興味を持ち、88年から現役の棋士&大学院生としてコンピュータ―将棋の研究を本格的に始めました。

 1994年に東京農工大で博士の学位を取るとともに棋士の生活を実質的に休止、計算機科学としてのゲーム情報学を90年代後半から本格的に研究され、2005年以降は北陸先端科学技術大学教授としてこの分野を内外でリードしています。

 1990年代後半、将棋はまだ複雑すぎて十分コンピュータ―が実力を備えていませんでしたが、よりシンプルなルールのゲームであるチェスでは、人間の名人とコンピュータ―の対局が仕組まれていました。

 1996年にはIBMのコンピュータ―、ディープ・ブルーがチェスの世界チャンピオン、ガルリ・カスパロフ氏(1963-)と対戦して初めて勝利を収めます。もっとも、1勝しただけで、ほかの対局では敗れているのですが、翌97年の雪辱戦では通算でカスパロフ氏を下しました。

 私にとってはカスパロフ氏は同世代の世界チャンピオンで、この時期に学位を取り、大学の教壇に立ち始めた私は、カスパロフ対ディープブルーの話題を好んで取り上げ、最初の学生たちと議論しました。あれから既に20年、月日の経つのは速いものです。

 さて、取った駒を生かすことができ、チェスよりはるかに複雑なルールである将棋は1990年代いまだ人間の名人をソフトウエアが下すところには到達していませんでした。

 しかし、棋士=研究者である飯田弘之教授率いるチームが開発を進めている将棋ソフト「TACOS」は2005年時点でと橋本崇載(1983-)5段(当時)を敗北寸前まで追い込み、この対戦が契機となって、全プロ棋士にコンピュータ―との対局を制限する通達が出されることになります。

 羽生世代より明らかに1世代以上若い橋本さんたちの世代にとっては、デビューの時点でコンピュータ―は既に将棋を指しており、プロを下しかねない強さに到達しつつあり、2000年代の時点で「将棋の戦略検討ツール」として使用に耐えるレベルに肉薄しつつあった。

 物理化学の若い研究者だった保木邦仁さん(1975-) は、趣味として2005年、チェスの思考ルーチンをもとに新世代将棋ソフトの嚆矢というべき「BONANZA」 開発を開始、既にゲノミクス以降の自然言語処理エンジンが発達していた段階で、インターネット上で収集できた6万局に及ぶ棋譜をデータベース化、世界コンピュータ―将棋選手権に出場して居並ぶ強豪を抑えて初優勝して新風を巻き起こしました。

 次いで2007年3月、BONANZAは渡辺明竜王と平手で対戦、結果的には敗れますが十分に善戦して、将棋界を震撼させます。

 前後してBONANZAのソースコードは公開され、2009年以降は利用も許可され、ゲノミクス以降世代のアルゴリズム高度化が始まります。

 同年、複数のBONANZAを並列利用する「文殊」が登場、以降、BONANZAの思考ルーチンを並列応用するチームが複数登場、保木邦仁氏自身も単名で2011年には17台132コアの並列システムで構成された「BONANZA6.0」でエントリー、翌2012年には26台288コアに拡大しました。

 以後、2013年:31台388コア、2014年:35台400コアと拡充を続けました。このBONANZAの評価関数を参考に2009年から作り出されたのが「PONANZA」で、2011年には世界コンピュータ―将棋選手権で強豪の一角を占め、2013年には第1回電王トーナメントを制します。

 2015年には世界コンピュータ―将棋選手権でも優勝、2017年5月には前回も記したとおり佐藤天彦名人を下し、「コンピュータ―将棋が人間の名人に勝つ」状況が名実ともに社会に共有されました。

コンピュータ―の手筋に学ぶ

 このようにコンピュータ―将棋が進化する過程で、若い世代の棋士たちの向き合い方も全く変わってきました。

 千田翔太6段(1994-)がプロ入りしたのは2013年のことですが、彼が奨励会に入会した2006年の時点で、コンピュータ―将棋は既に橋本崇載棋士を苦戦させ、十分に強く「自分より優れた存在」である可能性をもって、少年棋士の卵に影響を与えます。

 2017年時点で20代である、若い世代の棋士たちにとっては、コンピュータ―はすで「電子カルテ」でも「EBM」の統計装置でもなく、あらたな手筋、勝つための創造的な手筋を検討する「知性」として、正面から位置づけられているようです。

 かつて名人が指した棋譜の「電子カルテ」管理でもなければ、自分が思いついた手筋の評価を検討する「EBM」検索エンジンでもない、金融工学で勝負に勝つために電子頭脳を駆使するのと同様「コンピュータ―に学ぶ」ところまで、事態は進んでしまいました。

 その典型と言える1つが、千田6段が2016年の日本将棋連盟升田幸三賞受賞で、授賞理由は「対矢倉の左美濃急戦」と「角換わり腰掛銀における4二玉・6二金・8一飛型」の2つの戦型を広めたこと、とされました。

 このうち、例えば「左美濃急戦」は典型的な「ソフト由来」の新戦法で、江戸時代から連綿と続いてきた「矢倉」の伝統的な定石を破壊する新戦法として、現在も「コンピュータ―を併用した探求」が進んでいる最中、最先端の1つと言っていいでしょう。

 既にデータ整理の「電子カルテ」でもなければ、既存の診断で何が有効だったを検索評価する「EBM」の段階でもない、コンピュータ―自身の指し筋のシミュレーションから人間が学びつつ、未踏の対局領域を拡大するところまで「コンピュータ―と将棋」の関係は進化している。

 そして、この関係は、私たちの社会とAIとの協奏的な発展を考えるうえで、強くポジティブな可能性を示していると思うのです。

 つまり、いま最前線の若手棋士たちは、人間相手の実戦に臨むに先立って、十二分にコンピュータ―を使い、その結果をも脳裏に刻みつけたうえで、素手の勝負に臨んでいる。

 実はこれと同じことを「入試についても考えるべきだろう」というのが、試験に関する限り、私の基本的なスタンスになっています。

 いまさら試験場に来て、新たにスマートフォンで検索するのは愚かしい。それ以前に、使えるあらゆる道具を使い倒して、ベストの準備の末に、素手で「決闘」に臨むのが、試験本来のあり方だと思うわけです。

 長くなりましたので、このあたりから先は次回に記しましょう。

(つづく)

筆者:伊東 乾