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【AFP=時事】さっぱりと整理の行き届いた家の小さな居間に入ると、2枚の大きな写真がまず目に飛び込んできた。そこには笑顔のハビエル・バルデス(Javier Valdez)氏が写っていた。だがその両脇に、故人を追悼する太く赤いろうそくが置かれているのを見て、たちまち暗鬱(あんうつ)なムードに気おされた。メキシコ北西部シナロア(Sinaloa)州の州都クリアカン(Culiacan)で15日、この大胆で果敢なジャーナリストが殺害されてからというもの、もう何事も以前と同じではあり得ない。

 天井で軽い音を立てて回る扇風機からは、ほの温かい風が心地よく届いた。別の部屋からは、バルデス氏が生前「好きな歌手」だと言っていたホアキン・サビナ(Joaquin Sabina)のハスキーな歌声が聞こえてきた。こんな時でなければ、のどかな春の朝だったはずだ。しかしバルデス氏の妻、娘、義息の静かなすすり泣きを耳にし、バルデス氏の早過ぎる死がもたらした虚無感、喪失感が改めて痛いほど迫ってきた。

 バルデス氏の妻、グリセルダ・トリアナ(Griselda Triana)夫人に対し、AFPメキシコ市(Mexico City)支局のシルバン・エスティバル(Sylvain Estibal)支局長が、バルデス氏に関する記事を書くために取材班がクリアカンを訪れたのだと告げた。ほぼ30年間、ジャーナリズムと、出身州での麻薬密売や腐敗の調査報道一筋にまい進してきたバルデス氏をたたえる追悼記事にしたいのだと説明すると、夫人は取材班を受け入れてくれた。

■血まみれの凄惨な実態を暴露

 バルデス氏はシナロア州から10年以上にわたり、AFPに寄稿し続けた。組織犯罪のまん延する暴力に関する同氏の記事では、血まみれで凄惨(せいさん)な実態が描き出され、麻薬密売人らの凶暴で残忍な手口が詳述されていた。彼の記事の多くは、同国最大の麻薬密売組織「シナロア・カルテル(Sinaloa Cartel)」の伝説的な元最高幹部で、「エル・チャポ(El Chapo)」の通称で知られるホアキン・グスマン(Joaquin Guzman)受刑者を軸に展開していた。

 バルデス氏は主要日刊紙ホルナダ(Jornada)や、攻めの報道で知られるリオドセ(Riodoce)の記者でもあった。リオドセはバルデス氏が数人の仲間と共同創設した週刊紙で、麻薬密売をめぐる調査報道の質の高さは国内随一だった。

 グリセルダ夫人はわれわれに座るよう促した。夫人は話すこともままならないまま、エスティバル支局長の弔辞に耳を傾け、当局が彼女に対する警備といった保護措置を一切講じておらず、バルデス氏の通夜に当局者がたった1人訪れ、死亡補償金について話して行ったことを知って私がどれだけ憤怒したかを語ると、うなずいて謝意を示した。

 グリセルダ夫人は息子から、残された家族も危険なのかと聞かれ、「私たちは皆危険にさらされている」と答えたと振り返った。

 リオドセの編集者の話では、バルデス氏は身の安全に対する懸念から、近く他州に避難する予定だったという。その懸念が強まったのは、バルデス氏のインタビューが今年2月に掲載されてからだった。インタビューの相手は、「学士(The Graduate)」という通り名で知られ、グスマン受刑者の右腕にまで上り詰めたダマソ・ロペス(Damaso Lopez)容疑者だった。グズマン受刑者の逮捕後、その息子らと他の派閥を屈服させ、「シナロア・カルテル」を牛耳ったのがロペス容疑者だ。

 私はグリセルダ夫人に対し、彼女を警備面で支援してくれる市民団体と連絡を取る役目を自分に任せてもらえないかと申し出た。彼女は自分に保護が必要なのか、そうだとすればどんな保護が必要なのか分からないとためらった。私は長年共に働いてきた友人の妻を抱き締めたい気持ちに駆られたがそれを抑え、遺族の身に降りかかりかねない危険について説明した上で、とにかく誰かに連絡しないと、と何度も何度も訴えた。そんな私を制止したのはメキシコのAFPの写真部長、ユリ・コルテス(Yuri Cortez)カメラマンだった。「夫人には考える時間が必要だ」

 長い、気詰まりな沈黙が続いた。それを破ったのはグリセルダ夫人だった。彼女はバルデス氏と家族との最後の幸せな思い出について語り始めた。2月にはマサトラン(Mazatlan)のビーチで一人娘の結婚式があり、うれし泣きする夫を「あなた、もう泣かないで」となだめたんです…4月14日には、リオドセ本社から目と鼻の先にある行きつけのバー「エルグアヤボ(El Guayabo)」で彼の最後の誕生日を祝いました…壁にあの人が鉛筆で描いたスケッチが、大事に残されているんですよ…

 グリセルダ夫人は「火葬の直前、二人きりになれたので、彼の唇にキスして、ウイスキーで唇を湿らせてあげたいと思いました。彼はウイスキーが大好きだったから」と語った。BGMには、サビナのあの独特の、自由奔放な歌声が流れていた。娘がこう付け足した。「最後の数日間はご機嫌斜めだった。(鼻炎の)薬を服用中で、ウイスキーを一口も飲めなくて」彼女はそう言って笑い、そして泣いた。

 グリセルダ夫人はインタビューを受けるのも、夫の死に絡む諸説について語るのも嫌がった。口数は少なく、夫の死後は自分が「家長」になったということは分かっている、とだけ辛うじて口にした。ただAFPのピエール・オッセイユ(Pierre Ausseil)中南米統括部長との電話には応じた。部長が何と言ったかは聞こえなかったが、応答する夫人の最後の言葉から想像が付いた。「もしあなた方が怒っているとおっしゃるなら、私なんて激怒していますよ、それはもう怒り狂っている」

 彼女は信じられない様子で、ささやくようにこう言った。「私たちも、ハビエルがいつも話していた犠牲者になったんですね」──彼女の心痛は、誰の目にも明らかだった。

このコラムはメキシコを拠点に活躍するジャーナリスト、ジェニファー・ゴンザレス(Jennifer Gonzalez)記者が執筆し、2017年5月19日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。
【翻訳編集】AFPBB News