希望は多くても在宅勤務が普及しない理由

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在宅勤務は生産性が向上する」と言われるが、実際に在宅勤務をしている人はまだまだ少数派だ。在宅勤務を始めてみたものの、撤回する企業も出てきている。ニーズが高いのに、普及しないのはなぜなのか。在宅勤務経験者、その上司、人事担当者など、複数の視点から考えてみよう。

近年、在宅勤務などのテレワークを導入する企業が増えている。政府の「働き方改革実行計画」でも柔軟な働き方としてテレワークの普及を加速させていく方針だ。

確かにイントラネットの活用やWeb会議といったITを駆使したコミュニケーションツールの進化により、以前よりもかなり在宅勤務がやりやすい環境にはなっている。

在宅勤務、実際にしている人は1割未満

業務でメールを利用している20〜69歳の就業者を対象に実施した調査では「メールと電話さえあればオフィスに出勤しなくても仕事ができる」と答えた人は50.1%。「毎日出勤しないと仕事ができない」と答えた49.8%を上回っている(日本テレワーク協会2015年12月)。

最近は、就活の学生を含めて在宅勤務のニーズは高いが利用者は少ない。先の調査では在宅勤務をしたい人は59.1%だったが、実際に在宅勤務をしている人は8.9%にすぎなかった。

在宅勤務はワークライフバランスの観点から社員のメリットの大きさが強調されている。確かに通勤時間がなくなることで時間の余裕が発生し、子育て世帯などにとっては便利な制度かもしれない。最近は企業の在宅勤務ブームを狙って、IT企業を中心に情報機器ツールの販売競争が過熱している。

■上司がマネジメントの方法を変えられない

その1つが、社員がパソコンの前にいることをカメラで確認し、勤務時間をカウントするというシステムだ。「社員がちゃんと仕事をしているか確認できない」という声を反映した商品だが、社員にとっては会社に監視されているようで気持ち悪いだろう。

だが、このシステム開発の背景に在宅勤務が普及しない理由が隠されていると、あるIT企業の人事課長は語る。

「当社も在宅勤務を導入していますが、利用が進まないのは本人より上司が積極的に認めようとしないからです。上司にとっては部下が見えないところで仕事をしているのが不安なのです。つまりフェイスツーフェイスのコミュニケーションがなくなることが不安で仕方がない。在宅で仕事ができるのはわかっていても、自分の視野から消えるのが怖いのです」

職場では常に部下の仕事ぶりを観察し、何かあれば「報・連・相」を通じてコミュニケーションを取ることが習い性になっている上司にとってはそうかもしれない。だが、逆に言えば部下を信頼し、仕事を任せ切れていない上司の側にも問題があるだろう。在宅勤務を普及させるには上司のマネジメントのあり方を変える必要もある。

■在宅だと「働き過ぎてしまう」問題

一方、在宅勤務は本人にとってもメリットばかりではない。例えば労働時間管理である。多くの企業では始業時間、休憩、終業時間を上司に連絡することになっている。会社の終業時間が午後6時であれば、そのときに「本日の仕事は終了しました」とネットで報告しても、本当に仕事が終わったのか、もう仕事をしないのかどうかは分からない。

本来であれば、在宅勤務であっても定時を過ぎて働けば残業代の対象になるが、残業時間を申請する人がどれだけいるのだろうか。「他の同僚が会社に出勤して仕事をしているのに自分は在宅で仕事をさせてもらっている」と負い目を感じている人は申請しにくいだろう。

その結果、長時間労働に陥る危険もある。前出のIT企業で在宅勤務者のアンケートを取ったことがある。

「注意しないと仕事をやりすぎてしまうという意見が結構ありました。やりすぎるのは、成果を出さなきゃ、アピールしなきゃという無言のプレッシャーを感じているから。実際には誰もプレッシャーをかけていないのですが、わかっていても真面目なのでつい長時間仕事をしてしまいやすい。もちろんそういう人ですから、残業代を申請することもありません」

実はこういった人たちは特別な人ではない。慶應義塾大学の鶴光太郎教授は、アメリカの研究調査ではテレワークによる生産性向上の効果を確認していることを踏まえ、こう述べている。

「生産性向上に関する研究はテレワーカーの自己申告に基づくものであり、彼らにはテレワークが成功していると考えるバイアス(偏り)があることを指摘している。実際、テレワーカーの67%が生産性向上を報告したが、そのうち40%が自分は働き過ぎであると答え、生産性向上が労働時間の増加で水増しされた可能性を示す調査例を紹介」(『日本経済新聞』「経済教室」2017年5月15日朝刊)。

労働政策研究・研修機構の調査(2015年)でも、テレワークのメリットとして「仕事の生産性・効率性が向上する」と答えた従業員が50%を超えているが、長時間労働になりやすいと答えた人が約20%もいる。つまり、在宅勤務をすれば必ずしも生産性が向上するとはいえないということだ。

■妻「家で仕事なんかしないでよ」

また、在宅勤務は電話応対など余計な雑用が回避され、仕事に集中できるので生産性も上がるという意見もある。だが、子育て世帯であれば小学生の子供は午後4時過ぎには帰宅する。友だちでも家に連れてきて、仕事をしているリビングのテーブルの周りで騒がれたりすれば、仕事に集中できるとは思えない。そうなると残りの仕事は家事を終えてからの“持ち帰り残業”にならざるを得ない。

労務行政研究所が実施した人事担当者に対するアンケート調査でも、デメリットとして「子どもや配偶者が在宅中では仕事がやりにくい」「職場にいると気軽に仕事の相談ができるのに対し、在宅勤務は仕事のやりとりをメールと電話等でやらなければならず、限界がある」などの答えが挙がっている。育児・介護中の社員などに限定して在宅勤務を認めている企業も少なくないが「自宅に専用のスペースを確保することが不可能な現状では、勤務時間と育児時間が混在せざるをえない。執務に集中できない状態で在宅勤務を行うことは、会社・本人の双方にとってデメリットしか生まない」という意見もあった。

自宅に仕事ができる専用スペースがなければ、リビングで仕事せざるをえない。ある電機メーカーが在宅勤務のトライアルを実施したところ、自宅に書斎がある社員は3割に満たなかった。例えば50代の男性社員がリビングで仕事をしていると、妻が掃除を始める。掃除機の音がうるさくて仕事に集中できないというアンケートの回答もあった。中には専業主婦の妻から「家で仕事なんかしないでよ!」と怒られた人もいたという。

■カフェに仕事をしに行く途中、交通事故にあったら労災?

それが嫌でパソコンを持参し、近所のカフェで仕事をしようという人も出てくるかもしれない。自宅以外で仕事をしてはいけないと言っている会社は少ないだろう。だが、自宅からカフェに向かう途中で交通事故に遭った場合はどうなるのか、あるいはカフェの階段で人とぶつかって転倒するような事故に遭った場合はどうなるのか。

在宅勤務中に業務が原因で生じた災害は労災保険の保険給付の対象になる。実際に高い棚から物を取ろうとして腰痛になったとか、仕事中に上から物が落ちてきてケガをしたことで労災を認定されたケースもある。だが、会社の上司に「午後から駅前のカフェで仕事をします」と連絡をすればいいが、何も言わなくて出かけた場合の災害の認定はかなり微妙だ。

在宅勤務の範囲内と思われるが、上司は何も聞いていないし、見てもいないので事実関係が分からない。労働基準監督署に交通事故を通勤災害、カフェでの事故を業務上に起因する災害として労災申請しても、間違いなく会社と本人に問い合わせがあり、事実関係について聴取されることになる。本人が仕事をしていた、あるいはするつもりだったという証拠としてカバンにパソコンを入れていましたと主張しても、本当に仕事をしたのか、どんな仕事をしようとしていたのか厳しくチェックされるだろう。もし認定されなければ、療養補償給付や休業補償給付も受けられなくなる。

在宅勤務は必ずしも本人にとってメリットばかりではない。時間管理が表面的にはできていても、在宅でのサービス残業が横行することになれば、ワークライフバランスとは真逆の事態になりかねない。

(ジャーナリスト 溝上 憲文 文=溝上憲文)