解読不能の奇書「ヴォイニッチ手稿」は1912年に発見されてから、100年以上が経過した現在もその内容が明らかになっていません。そんなヴォイニッチ手稿がなぜ「世界一ミステリアスな本」とされるのかを、TED-Edがムービーで明かしています。

The world’s most mysterious book - Stephen Bax - YouTube

イェール大学の奥深くにある……



バイネッケ・レア・ブック&マヌスクリップト図書館に……



240ページにもわたる1冊の本の原書が保管されています。



最近になってこの本を放射性炭素年代測定したところ、およそ1420年頃のものであることが判明しており、その羊皮紙のページには夢の中から出てきたかのような不思議な手描きのイラストが描かれています。



本に描かれているのは現実と想像の境目のような見た目の植物、空に浮かぶお城、女性、占星術のダイアグラム、黄道十二星座、そして顔の描かれた太陽と月などさまざま。





この縦24cm×横16cmの本は、「ヴォイニッチ手稿」と呼ばれています。



そして、この本は「世界一ミステリアスな本」として知られています。なぜ「世界一ミステリアスな本」と言われるのかというと、誰もこの本に何が書かれているのかわからないからです。



「ヴォイニッチ手稿」の名前は、発見者のウィルフリッド・ヴォイニッチにちなんだもの。彼はポーランド系アメリカ人の古書収集家であり、1912年にイタリアでこの本を発見しました。



ヴォイニッチは本を発見した際、とても困惑しました。なぜなら彼は「誰が」「どこで」本を作ったのかや、内容が何を示しているのかがサッパリわからなかったから。



そこで、ヴォイニッチは本の所有者であった大学の司祭から現金で本を購入し、最終的にアメリカへ本を持ち込みました。しかし、それから1世紀以上にわたって本の謎は明らかになっていません。



ヴォイニッチ手稿の解読に挑んだ暗号学者たちはそろって、「この本に書かれている言葉は実際の言葉と同じような特徴を持っているが、これまでに見たことがない」と語っています。



ヴォイニッチ手稿に書かれた言葉が「実際に存在する言葉」に見えたのは、実在する言葉のように文字や文字グループが一定の頻度で現れていたため。また、ランダムに生成した言語には見られない「パターン」も存在していたためです。



そのほかに分かっていることとしては、文字がさまざまな形と高さをしていて、他の手稿と共通する文字も存在しますが、多くは独自のものです。



中でも背の高い文字はその形状から「gallows characters(絞首台文字)」と名付けられています。



また、ヴォイニッチ手稿は2人以上の手によって記され、イラストはさらに別の人によって描かれたものと考えられています。つまり、著者は複数人いると考えられているわけです。



そんなヴォイニッチ手稿については、3つの仮説が存在しています。1つ目の仮説は、これが「暗号で書かれている文書」であるというもの。ヴォイニッチ手稿に書かれている内容を隠すため、意図的に設計された秘密のコードで暗号化した文字が使用されているわけです。



2つ目は、この文章がだまされやすいバイヤーからお金を稼ぐために「意図的にでたらめな言葉で書かれている」という説。その犯人は中世の詐欺師たちであると推測されており、ヴォイニッチ自身もその役目を担った可能性も考えられています。



3つ目は、ヴォイニッチ手稿が言語で書かれていることは確かなものの、未知の言語で書かれているという説。



これについて中世の学者は、ヴォイニッチ手稿の目的が「話されていたものの、まだ書かれたことのなかった言語」のアルファベット作成だったのでは、としています。



この説には、ヴォイニッチ手稿に書かれている言葉はイースター島で生まれたロンゴロンゴ語のようなもので、文化が崩壊してしまったことで判読不可能になってしまった可能性が含まれています。



ヴォイニッチ手稿の内容を読むことは誰にもできないため、人々は何が書かれているのかについての想像を止めません。



ヴォイニッチ手稿が「新しい形の書き言葉を作成しようとしている」と信じる人は、この本がそれを生み出した文明にとっての百科事典かもしれないと推測しています。



他にも、13世紀の哲学者ロジャー・ベーコンが著者であるとする説や……



錬金術師・占星術師・数学者でもあったジョン・ディーが記したのだという説もあります。



謎が解読されないまま100年以上が経過しましたが、最近になってこの謎の一部に光が当たっています。その最初のブレイクスルーとなったのは、放射性炭素年代の測定でした。



そして、歴史家たちの調査により、ヴォイニッチ手稿は皇帝ルドルフ2世やから医者のJacobus Sinapiusの手に渡ることで、1612年にはローマからチェコ・プラハに移動したものと推測されています。





しかし、ヴォイニッチ手稿についての謎は解読されていないままであり、解読もゆっくり進むであろうことが予測されています。



解読により忘れられた文明の一部が明らかになるのか、それとも神秘的なイラストの謎が明らかになるのかは神のみぞ知るところです。