日本人同士で「お元気ですか」ってやり取りすることって、稀にあるじゃないですか。

 うっかり「いやー、マジで超絶元気っすよ!!!」と回答すると単なる馬鹿と思われるので、だいたいの日本人ってのは「お陰様でまずまず元気です」とか「ぼちぼちやらせていただいてます」みたいな回答になると思うんですよね。そう思いません?

 あ、思わない人は続きを読まないでください。

 話が続かないんで。また来週私のコラムを読みに来てね。バイバイ。

 ……と書くと、日本人特有の同調圧力が働いて「そうは思わないけど、まあ、山本の言うことを是としておいて、次を読もう」と考える人が出るわけです。ただ、最近親の介護をしていて思うんですけど、日本人というか日本社会ってそのとき思っている、気持ち、感情、雰囲気をその場でドーンと表現しないように訓練されてるんだろうなあと思う場面が多くあるんですよ。

日本人の『間』というか、言わなくても分かってるんだろ感

 例えば、老夫婦が入院して、お互い身体の具合が悪くて支え合うようにしていて、老奥さんが杖を落としてしまいソファから立ち上がれず、老旦那も膝が悪いのか、かがんで拾うことができなくて立ち往生している場面をよく見ます。大変だな。んで、老夫婦がじっとこちらを見ているんですよね。ああ、拾ってくれってことなんだろうなあ、と察して拾う。こちらも別にそう大きな親切をしているわけでもないんだけど、あまり多くを語らず「どうぞ」と拾って差し出すことを求められるわけです。

 もちろんそうしてやると、老夫婦は「どうも」と言う。この「どうも」が曲者でありまして、「どうもありがとうございます」なのか「どうも余計なことしやがって馬鹿」なのかは分からないようにできている。ひょっとすると馬鹿にされているのかもしれないが、この状況ならば感謝してくれているに違いないのです。きっと親切で拾ってくれるだろうということを予測して動き、感謝の意味を込めて短く礼を言うことで察してくれることを願っているのは、ある種の日本人の『間』というか、言わなくても分かってるんだろ感が充満するわけですよ。


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協調と我慢の日本人的な感じ

 別に電車の中で席を譲るのでもエレベーターの扉を開けて待っていてあげるのでもいい、ささいな「親切」をお互いに融通しあい、それとなく、さりげないほど望ましいとされるのが日本社会なんじゃないかと思う部分はあります。何かにつけて嫌われる団塊の世代でも、本当に図々しい人は見事かつ綺麗に町内会の幹事から外されたり、行事や宴会に呼ばれない村八分が実施され、かつそれは事後に本人にそれとなく、しかし確実に伝わり、「お前は世間から嫌われているのだ、なぜならば間が読めず図々しいからだ」という暗黙のマウンティングに気づかせて本人の反省を促すシステムが出来上がっているのが世間って奴なんですよ。

 それが、学校教育では「多様性を育みましょう」と多様性のない教師が言い、授業中立ち歩くという多様性を発揮すると、必殺「この子は協調性がない」ということで保護者が呼び出されるというシステムがあるようにも思います。昔はそれで良かったんだろうけど、いまは変な親の出現や外国人児童の増加で、むしろ教師の側が過酷な労働環境の虎の穴状態になって鬱になっていて、擦り切れて辞めるか、悟りを開いたり閉じたりできるスーパー教師になって無双状態になってるので、時代の流れというのは怖ろしいなと思うわけであります。

 最たるものは葬式であって、喪主も家族を失って辛いだろうけど、泣き崩れて葬式が台無しになるよりは、ぐっとこらえて見送りに来た人々に深々とご挨拶するのが日本人、とされることは多くあります。東日本大震災の特集を見て、家族を失った人が感情を表に出さず黙々とがれきを片付けていて、私なんかはグッときた側です。辛くても、前を向くんだ的な。ここで泣いたら死んだあいつが悲しむ、みたいな。そういう我慢が日本人的な感じがするんですよね。

日本の「熱意ある社員」は6%のみ、という米ギャラップ調査

 で、実はここまでが本稿の前置きだったのです。脱落する読者の心情を充分忖度したところで、先日結構な飛距離の飛ばし記事を量産することもあるスラッガー的な経済新聞に不思議な記事が掲載されていました。リサーチ業界界隈で騒ぎになっていたので、どれどれと見てみると「『熱意ある社員』6%のみ 日本132位、米ギャラップ調査」という内容でありました。なんだこれわ。なるほどこれは真っ芯でとらえた見事な放物線を描いての飛ばしなんじゃないかとさえ思います。

 調査の細目が出ていたので見てみると、どうやらこの調査そのものは「Q12」という12の質問からできているようです。要するに、調査項目に対し5段階評価で回答しているのです。例えば、「 職場でもっとも得意なことをする機会を毎日与えられていますか?」とか「職場の誰かが自分の成長を促してくれていますか?」とか「会社の使命や目的が、あなたの仕事は重要だと感じさせてくれますか?」とか「上司または職場の誰かが、自分を一人の人間として気にかけてくれていると感じますか?」などという質問に答えるものです。


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 日本で働いている日本人で「おう! 俺の勤めている会社はビジョンが俺を熱くさせるぜ」みたいに感じる人は通常「あいつはいかれているのではないか」と疑われると思うんですよね。当然、ほとんどの人が「いや、そこまででも」と"3"か"2"をつけると思うんですよ。

 そういう質問が続くなか、5段階評価で「ヒャッハーーー!!! 俺の職場は超働き甲斐があるぜ!!」という項目である"5"と回答した熱血被験者がどれだけいたのかという内容だったため、そりゃ日本は少ないだろ、となるわけであります。「仕事に不満はないけどもう少し給料が欲しい」とか「仕事をしていて楽しいのは間違いないが、もう少し休みがあれば」と思う日本人はたくさんいると思うんですけれども、そういう人はたいていの質問に"2"か"3"か"4"をつけるわけですよ。

ゲーマー市場の極端なレビュースコア

 これ、私の本業でもあるゲーム業界でもあることなんですが、ゲーム業界では新作ゲームにはユーザーレビューのスコアがつきます。コアなゲーマーからライトなユーザーまでいろんな人がいろんな角度から遊んだ結果は何点かということで、実際にこのスコアがゲームの売り上げにとても影響力が高いことが統計的に分かっているため、ゲーム制作の資金を出すパブリッシャーからゲーム開発をするデベロッパーに対して「お前んとこにゲーム発注するんだが、93点以上のメタスコア出してくれたらボーナス出すわ」「わっかりましたー!」みたいな図式は往々にしてあるわけです。

 ところが、日本人というのは面倒くさいゲーマーが集う面倒くさい市場で、まあ単純にいえばちょっとでも気に入らないところが出ると「0点」みたいな点数をつける馬鹿が続出する市場なわけですな。ただ、このメタスコアも、そういう極端な点をつける人間を平均点や最頻点から排除するために上下15%はノーカウントにするとかいう荒業を使うわけなんですけど(よくフィギュアスケートの芸術点やスキージャンプ競技の飛距離目視で使う方法)、日本人の場合は100点をつける奴が少ない代わりに0点をつける馬鹿が大量にいるため、このやり方だと欧米に比べてごっそりと平均点が下がる傾向にあるわけですよ。

 なので、世界同時発売だ! と日本も入れて一斉に大作ゲームやアプリをリリースすると、日本人ゲーマーからの厳しい採点に晒されて平均点が下がってしまいます。酷い話だ。そこで、2カ月後とか3カ月後に日本語訳つきのタイトルがひっそりとリリースされるという技まで開発されてしまうわけであります。

日本人ならではの「3」という選択肢

 翻って、この手のグループ労務調査などを手掛けている人たちが、「お前の職場環境どやねん」「お前、経営者に大事にされてると思うんか」「お前の会社のビジョンはお前を働きやすくさせとるか」なんて質問を世界同時に展開すると日本人は「まあ、ぼちぼちでんな」とみんな"3"をつけてくるわけなんですよ。日本人の「まあ、いいんじゃね」はだいたい"3"。「こんなもんですよ。まあ満足です」が"3"。一方、失業保険もない、期間が終わったらサヨナラで暮らしているブラジルとかスペインの労働者なんて「お、いま食えてる! マジ楽しく食えてるわ」で"5"。もうね、仕事とか社会とか人間関係などなどに対する考え方が根底から違うわけですよ。

 で、それは日本が良いとか悪いとか、海外が素晴らしいとか何だとかって論評するほうがおかしい。ついでに言えば、「お前らの仕事楽しい?」「おーー!!! 満点満点!!」とか回答する割合ってのは、日本に多いわけねえだろという当たり前の事実も、経済新聞社の記事書いてる人は分からないのかってことになります。

 リテラシーってのはそういうことなんですよね。

 記事見て、「おっ、日本人の『やる気のない社員は70%』か。こりゃ亡国ですな、わっはっは」とか真に受ける馬鹿もいっぱいいたってことです。「無気力な社員」と「やる気のない社員」の合計が94%って、そんな訳ねえだろ。


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根拠のない明るさよりも、前向きで明るい「間」がほしい

 でも、それって日本の大新聞たる某経済新聞のラベルの下に、アメリカの世論調査会社の発表によると、とか書かれたら「ははーっ」ってなるのが日本的な同調圧力ってやつなんじゃないかとも思うんですよ。明らかに間違っている情報で、クソの詰まった袋に「味噌」ってラベルが貼ってあったら、ありがたくお湯で溶いて飲んじゃう的な。

 かくいう私だって、専門分野ではない情報に接すると馬鹿丸出しになるわけです。この前だって「おっ、子供の身長伸ばすにはカルシウムの錠剤がいいのか」と買って帰ったら、家内から「カルシウムだけ摂取しても吸収されないし、悪影響なのよ」と諭されてがっくりしたりするわけです。よくも騙しやがったな健康食品会社。一刻も早く倒産しろ。

 やっぱり人間というものは、すべての分野において賢いとか偉いということなどまずないわけです。知らない分野は当然無知だし、馬鹿だし、変な判断をしてしまうものです。分からない分野だからこそ、ほかの人の意見を聞き、流され、変なことをして恥をかくよりは、と同調圧力に屈してみんなで残業すれば怖くないとかやってて、アメリカ人から「お前の仕事は楽しい?」とか聞かれて"3"に丸をするわけなんですよ。

 そういう意味で、日本人も「大将、今日は体調どうですか」って聞かれたら「おう!! バッチリよ!」みたいな根拠のない太鼓判を日々捺せる社会環境にしていくと、世の中が明るくなって毎日がプレミアムフライデーで財布の紐も緩んで経済成長で貯蓄が無くなって生活保護を受ける老人になる奴続出になるんじゃないかと思います。

 日本に前向きで明るい「間」ができるようになると、みんなハッピーなんじゃないですかねえ。


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(山本 一郎)