コーヒーを飲んでボーっとしているように見えても、頭の中はフル回転しているかもしれない(写真はイメージ)


[JBpressの今日の記事(トップページ)へ]

仕事の「コアの部分」が見えなくなった

「第4次産業革命」といわれるいま、生産現場やオフィス、店舗などあらゆるところへロボットやAI(人工知能)の導入が急速に進み、単純作業はもとより、管理的な業務や専門的な仕事まで人間に取って代わろうとしている。雇用や能力開発、働き方に大きな影響を与えることはいうまでもない。

 そしてもう1つ、マネジメントに与える大きな影響がある。

 それは、これまで当たり前のように行われてきた人事評価や勤怠管理が意味をなさなくなるということだ。

 IT(情報通信技術)の発達により、肉体労働だろうと事務作業だろうとパターン化できる仕事、すなわちインプットとアウトプットの関係が認識できる仕事は次々と機械やコンピュータに置き換わっていった。IoTやAIがさらに普及すれば、人間の出番はますます少なくなる。

 ただ逆にいうと、パターン化ができない仕事はなかなか代替されないということである。たとえばアイデアや勘、ひらめきが生まれるメカニズム、想像や感性による仕事などはパターン化が困難である。なぜなら、インプットとアウトプットの間に介在する重要なプロセスが人間の頭の中にあるからだ。人間の頭はいわゆるブラックボックスであり、そのメカニズムを正しく理解することはではない。だからこそ機械やコンピュータで代替できないわけである。

「コンピテンシー」も無意味に

 これまで人事評価にしても勤怠管理にしても、仕事のプロセスが見えることを前提にしてきた。だからこそ働きぶりを評価し、勤務時間や勤務態度を管理することに意味があったのである。

 ところが仕事の重要なプロセスが頭の中にあって見えない以上、それを評価することも管理することもできない。職場でボーッとしているようでも頭の中はフル回転で思考をめぐらせているかもしれないし、逆に見た目はがんばっているようでも頭の中では妄想にふけっているかもしれない。

 また仕事のアイデアは職場にいるときに湧くとはかぎらず、散歩中や入浴中に湧くこともよくある。とくに大部屋で仕切りのない日本のオフィスは、雑用や事務作業には適していても、クリエイティブな仕事には向かない。むしろ物理的、制度的な制約の少ない職場外のほうが、生産的な活動に適しているともいえよう。

 したがって表面に出た態度や行動を評価し、働く時間や場所で管理しても意味はないのである。それどころか評価・管理されていることを意識すると仕事に集中できず、かえってパフォーマンスが下がる場合がある。

 その意味では一時はやった「行動評価」や「コンピテンシー」、すなわちハイパフォーマーに共通する行動特性を抽出して評価や育成の基準に用いるという方法も、やはり有効性に限界があるといわざるを得ない。

 頭の中で行われている重要な仕事のプロセスが見えない以上、表面に出た行動だけを評価したり、まねたりしても無意味だからである。

評価も管理もしないという新潮流

 では、どうすればよいか?

 仕事のプロセスを評価することも、管理することもできなければ、アウトプットに注目するしかない

 営業のような「稼ぐ」仕事の場合には売上高や獲得した利益に基づいて報いるのが基本になるし、一般の仕事の場合には期待された成果をあげているか、役割を果たしているかどうかをチェックすることになる。いずれの場合にも働き方や働く場所、時間などは本人の裁量に委ねるのが望ましい。オフィスも、そこで働かせるというより、仕事をする場所を提供するという形になる。

 興味深いことに欧米の企業では近年、従来の細かい評価制度を見直す動きがみられる。そしてホワイトカラーの場合、仕事の成果を厳しく問う一方、いつ、どこで仕事をしているかを実質上管理しないところが増えている。日本でいう裁量労働に近い働き方が制度の有無と無関係に広がっているわけである。それが意図したものかどうかは別にして、仕事の重要なプロセスがブラックボックス化している時代に合っているといえよう。

 対照的にわが国では、「時間にとらわれない働き方」を導入することへの抵抗が根強い。たしかに欧米と違って個人の責任や権限が不明確で、組織内での地位も確立されていない現状では「残業代ゼロ制度」に堕する危険性がないとはいえない。けれども技術の発達や経営環境の変化に適合した働き方に切り替えていかなければ、企業にとっても人間にとっても未来がないことはたしかである。

 AIやIoTの導入を契機に、組織もマネジメントも再構築すべきではなかろうか。

筆者:太田 肇