1830年の江戸時代にあった鎖国中の日本・徳島県牟岐浦に異国船が漂着していたことを示す水彩画についてアマチュア歴史家が調査した結果、漂着した船はオーストラリアで船を拿捕して逃走していた海賊だったことが判明しました。

Australian convict pirates in Japan: evidence of 1830 voyage unearthed | Australia news | The Guardian

https://www.theguardian.com/australia-news/2017/may/28/australian-convict-pirates-in-japan-evidence-of-1830-voyage-unearthed

日本で英語教師として働くニック・ラッセルさんは、アマチュアの歴史家でもあり、2014年に徳島県立文書館のウェブサイトでイギリス国旗を掲げた異国船の水彩画を発見し、興味を持ったとのこと。ラッセルさんは徳島県で活動するボランティアの写本朗読グループの助けを借り、この水彩画とともに書かれている文言の翻訳を行いました。



資料には日本を訪れた船の国籍などは書かれておらず、この資料だけでは手詰まりだったそうですが、ラッセルさんは「捕鯨船ではないか?」と考えて調査を続けたところ、当時の捕鯨船の中でよく反乱が起こっていたことを学びました。そこでラッセルさんがGoogleで「mutiny(船員の反乱) 1829」と検索したところ、「The Man Who Stole the Cyprus(キプロス船を盗んだ男)」という書籍のリンクを発見したそうです。この本は元イギリス海兵隊員でナポレオン戦争後に有罪判決を受けたウィリアム・スワロウという男が、1829年にオーストラリア都市ホバートからマクアリー港に移送される間にキプロス船をハイジャックし、海賊となって太平洋を越え中国にたどり着いた経緯を記しています。

The Man Who Stole the Cyprusにはスワロウが日本に立ち寄ったことも書かれており、海外ニュースサイトのThe Guardianが著者であるワーウィック・ハーストさんに確認をとったところ、「非常に素晴らしい発見です。日本の資料が示しているのは、キプロス船が日本に立ち寄ったことであることに疑いの余地はありません」と話しています。奇跡的に点と線をつなげることに成功したラッセルさんは、「私が資料を調べた結果、全てが完璧にフィットしたのです」とコメントしています。

なお、当時の侍であるハマグチマキタらが残した水彩画の資料によると、キプロス船が四国・徳島県の牟岐浦に漂着したのは1830年1月16日のことで、ハマグチらは将軍の命令で猟師を装って異国船の様子を確認に行ったとのこと。異国船については「船の近くで耐えがたい悪臭を覚えた」と書かれているとのこと。日本の侍グループが「とんがった長い鼻の船員」に接触したところ、船員は身振り手振りで木材と水を求め、その代わりにタバコやブーメラン、ガラス瓶に入ったアルコール飲料などを渡すと示したそうです。



調査にあたった侍の一団は、この船員らに一時は同情を寄せていたものの、接触時にあまり空腹に見えないことや、自分たちを嘲笑するような様子が見受けられ、その場を仕切る侍は「恐らくこれは海賊船だ」と判断したとのこと。キプロス船は日本を離れるよう警告されましたが、警告通りに日本を離れることに同意すれば水と木材を分け与えるつもりだったとのこと。しかしキプロス船の船員は身振り手振りで船の修理のために5日間の停泊を求め、断わると3日間の停泊を求めて交渉されたそうです。

キプロス船が警告に従わずに停泊を続けたため、侍グループがキプロス船に大砲による威嚇砲撃を開始した結果、キプロス船は帆を張ったそうですが、移動する気配を見せなかったため、さらなる砲撃が続けられました。そのうちいくつかの大砲が命中し、キプロス船の船員が死亡・または負傷を受けたように見えたと記されているとのこと。最終的にキプロス船は日本を離れていったそうです。奇跡的に江戸時代の日本の歴史が明らかになったことについて、The Man Who Stole the Cyprusの著者・ハーストさんは「私の見解では、キプロス船は初めて日本を訪れたオーストラリア船でしょう」と述べています。