日本時間5月27日未明、カンヌ国際映画祭で70周年記念式典が行なわれた。ミヒャエル・ハネケ(Michael Haneke)、ケン・ローチ(Ken Loach)、デヴィッド・リンチ(David Keith Lynch)といった歴代のパルム・ドール(最高賞)受賞者が集い、カンヌの70周年を祝福した。しかし、式典に出席したニュージーランドの女性監督ジェーン・カンピオン(Jane Campion)がその場においてカンヌに対し、ついに沈黙を破った。VULTUREによれば、70年もの歴史のなかで彼女が唯一パルム・ドールを受賞した女性監督であることが"Insane(狂っている)"というのだ。

カンピオンは1993年に『ピアノ・レッスン』で、女性監督として初のパルム・ドールを受賞した(この時も、チェン・カイコーの『さらばわが愛、覇王別姫』と同時受賞であったため、女性監督の単独受賞は未だ前例がない)。そこから23年間、カンヌは一度も女性監督へパルム・ドールを授与していない。

『ピアノ・レッスン』
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カンピオンが特に言及したのが、昨年のカンヌだ。ドイツの女性監督マーレン・アーデの『ありがとう、トニ・エルドマン』がSCREENの星取表で星4つ中3.7と史上最高の評価を得て、パルム・ドール大本命とされていたが、結果的には国際批評家連盟賞受賞のみに留まったのだ。結果発表後はさまざまな媒体で、「『ありがとう、トニ・エルドマン』はパルム・ドールを取るべき作品だった」と書かれた。カンピオンは、マーレン・アーデが受賞を逃したことに対して「有り得ないことで、非常に腹が立った」とVULTUREで述べている。

パルムドールは白人男性のもの?


他の映画祭と比べてもカンヌの"白人男性優位"は際立っている。ヴェネツィア国際映画祭、ベルリン国際映画祭はこれまで女性の受賞者が4人いるほか、2000年以降は特にさまざまな国の監督に最高賞を与える"非・白人男性"シフトを進めている(下図参照)。


表は著者によるもの

IndieWireによれば、カンヌは今年こそコンペティションに選出された19作品中、3作品(約16%)が女性監督作品であったものの、2005年、2010年、2012年は一人も女性監督が選出されず物議を醸した。一方、最も先鋭的な映画祭の一つであるサンダンス映画祭は出品される映画の34%が女性監督作品であり、ロサンゼルス映画祭は出品される映画の42%が女性監督、さらに40%が有色人種の監督によるものと、カンヌとの違いが浮き彫りになっている。


映画界が女性監督を受け止めるには?


カンヌのプログラム・ディレクターであるティエリー・フレモー(Thierry Fremaux)は、昨年コンペティションにおける女性監督の少なさについて問われ、

そもそも、世界の女性監督の比率は非常に少ない。問題は、(女性監督が育成されるような環境が整っていない)フィルム・スクールや制作プロダクションの方にあるのではないか

とIndieWireで述べた。
確かに、カンヌに限らず、映画業界の"白人男性優位"はしばしば問題視されている。特に米国では、Celluloid Cellingの調査によると、2016年の興行収入トップ250の映画のうち、女性監督によるものはわずか7%で、2015年と比べて2ポイントダウン、1998年と比べて4ポイントダウンしたという。背景には、結婚や妊娠によるリスクを避けるプロダクションの意向があるとされており、米女優であり監督でもあるジョディ・フォスターはAFPBBによれば、
映画業界は従来のやり方にとらわれており、数億円規模の映画を女性に任せようとしない

と苦言を呈している。


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確かに、原因は制作サイドにあるのかもしれない。しかし、そうした状況を改善するための旗振り役となるのも、"最も権威のある映画祭"であるカンヌ国際映画祭の役割なのではないだろうか。


フレモー氏は前回の審査結果に対する厳しい糾弾に応じて、今年のカンヌでは作品と審査員の女性比率を増やしたほか、コンペティションの審査委員長にフェミニストとして有名なペドロ・アルモドバル(Pedro Almodóvar)を、「ある視点」部門の審査委員長にユマ・サーマン(Uma Thurman)を起用するなど、例年に比べて女性に開かれた映画祭に仕立てた。カンピオンの厳しい指摘も踏まえ、カンヌが現状打破に向けての旗振り役となれるかどうかが待たれる。

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