<「国境なき医師団」(MSF)を取材する いとうせいこうさんは、ハイチ、ギリシャで現場の声を聞き、今度はマニラを訪れた>

これまでの記事:「いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く

まず、ここで「スラム全景を空撮した映像と雨の日のスラム地区の様子を短くまとめた」映像をMSFに作っていただいたので見てみて欲しい。最後にトラメガでメッセージしているのはジュニーだ。

トンド地区の厳しい状況がよくわかる。

その上で、この地で粘り強く活動する人の話を読んでいただければ、と思う。

マニラ:スラム全景と雨天の活動(2017年3月)【国境なき医師団】

その人ジョーダン・ワイリー

さて、ではこの活動を取り仕切っている国境なき医師団(MSF)側のトップ、ジョーダン・ワイリーはどんな人物か。彼がナイスガイでまるで映画の中の人々のようなオーラを持っていることは、マニラ編の冒頭に書いた。

【参考記事】あまりに知らないスラムのこと

しかし経歴はまだ報告していない。私は鍋をかぶったデモ隊の運動をバランガイの中で見た日の午後、ジョーダンに時間をとってもらってくわしく話を聞いたのである。

【参考記事】鍋をかぶった小さなデモ隊──マニラのスラムにて

MSFマニラ本部、海沿いの建物の上にある広めの3LDKの奥が彼のオフィス。いつものことだが机と椅子以外、目立った荷物はなかった。机にはノートブックパソコンと数冊のノートがあるばかり。数年単位のミッションであっても、おそらくジョーダンからはいつものMSFのスタイルが抜けておらず、いつ活動の形が変わってもいいような仕事ぶりなのだ。

その机をはさんで俺と広報の谷口さんはジョーダンにあれやこれやと質問した。三十七歳のジョーダンは真摯にそれに答える。

米国ポートランド出身。もともとは一般病院でスタッフ・トレーニングや災害救急マネジメントなどの仕事についていたという。地震、テロ攻撃など多数の被害者が出るような事態で、病院はどのような対処をすべきかの計画立案や訓練をしていたのだ。

さらに遡れば、彼はシングルマザーだった母親のもとで育ち、六人の弟と一人の妹を持つ身として家計をどう助けるかを考えながら、警察官に憧れていたジョーダンは十歳の頃にはすでに人助けがしたいと思うようになっていた

はっきりと道が決まったのはなんと十一歳の時。テレビでアフリカの人道危機を知り、自分が役に立てればと思う。そのあと何年もしてから友達がMSFに参加してアフリカに行き、ジョーダンを誘った。すでに病院の仕事をしていた彼は、一も二もなくという感じなのだろう、二〇〇七年にはMSFに登録。

翌年にはナイジェリアに飛んでいた。

「このマニラで13ミッション目だね」

にっこり笑ってそう言うジョーダンは、几帳面な性格ゆえか、小さなメモ帳に小さな文字で全ミッションを書き出し、ボールペンの先でそれを数えた。

「うん、やっぱり13」

一番短いもので2か月、ナイジェリアでの緊急援助で500万の子供たちに髄膜炎のワクチンを打つという予防接種のロジスティック(運送や管理担当)をつとめ、一番長いのはもちろんここマニラでの2年だという。

いとうせいこう