23日、捜狐財経に「日本のごみ分類を学ぶ必要はない」と題する文章が掲載された。筆者は人文経済学会特約研究員の陳興傑氏だ。写真は中国のごみ箱。

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2017年5月23日、捜狐財経に「日本のごみ分類を学ぶ必要はない」と題する文章が掲載された。筆者は人文経済学会特約研究員の陳興傑(チェン・シンジエ)氏だ。

筆者はまず、「日本に行ったことがある人はみな、日本のきれいさに驚かされる」と述べ、その背景にある代価として厳格なごみ分類を挙げる。その歴史を「分類が始まったのは1970年代。最初は燃えるごみ、燃えないごみの2種類だけだった」と紹介し、その後の環境意識の高まりに伴って極めて細かく分けられるようになったとの経緯を説明。「外国人にとっては並外れた細かいルール。日本の主婦でさえ分類ミスを防ぐためにいつも確認するほどだ」と指摘した上で、「多くの人が日本のごみ分類を称賛し、『中国も日本に学ぼう。日本人のように小学生のうちから教育を始めてきれいな環境を手に入れよう』と主張するが、自分はこの意見に同意できない」と持論の展開を始める。

筆者が批判的な態度を示すのは幼い頃からの教育ではなく、細かなごみ分類そのもの。文章では「幼い子どもにごみのポイ捨てや場所をわきまえない痰吐きをしないよう教えることはもちろん必要。実際のところ都市化が進むにつれて若者の痰吐きやごみのポイ捨ては大幅に減ってきた」とし、「ただ、ごみ分類を勉強して社会に広める必要はあるだろうか?そのような必要は全くないというのが私の考えだ」と訴えている。

筆者のごみ分類に対する考え方は「『回収の効率化、資源節約』が最終目標だが、人間の時間とエネルギーも資源であることを忘れてはない」というもので、各家庭でのごみ分類にそれほど時間はかからないとの反論に対しては「ごみ回収の中でコストが最もかかるのは『分類』ではなく『輸送』」と説明する。筆者は中国のごみ回収の光景を「収集車の中では資源ごみもそうでないごみもごちゃ混ぜになる。いわゆるごみ分類は笑い話になってしまう」と描写し、「ごみ分類で回収効率が上がるように見えるが実際はそうとは限らない。市民が苦労してまとめたごみも処理場に到着すれば人や機械によって再び選別される。作業員の選別スピードは主婦よりはるかに速い」。さらに「無分類もしくは直覚的な粗い分類」という米国の状況を紹介し、「粗い分類なら効率アップにメリットはあるかもしれない。細かすぎると主婦の労働量を増やすだけで、何の効率化にもならない」とも指摘。筆者は文章後半で中国の多くの都市で日本のごみ分類が採用されたものの最終的に失敗に終わったことを取り上げ、「(失敗は)決して悪いことではない」として中国の伝統的なごみ処理システムの優れた点に話を移していく。

筆者がここで「効率的な暮らし方」と評価したのは都市部で見られる「出勤のついでに居住エリアに設けられたごみ箱にポイ、ポイと家庭ごみを捨てる」光景だ。さらに巨大かつ高効率なごみ選別産業として資源ごみを集めて歩く人々や廃品回収業者、ごみ処理場などから成る産業チェーンを指摘。ごみ処理場の近くに積み上げられたごみの山から住民らが資源ごみを集め、それを工場が買い取るという事情にも触れている。筆者によると、工場と住民らの間に雇用関係はなく「作業効率アップ、コスト削減」になるという。

筆者は中国のごみ回収産業が多くの人手に頼っていることを「一見、ローエンドに見えるが本当は適切かつ効率的」と述べ、「日本が清潔である根本的な原因は経済発展にある。人々の素養が高く、多くの資源を環境保護に投入している」と説明する。その上で「中国人がきれいな環境を手に入れたいなら(社会への)呼び掛けと市場が解決してくれると信じることが必要」と主張。最後は「経済が発展し、ごみ処理技術が進歩してさえいれば、中国が清潔な社会になることに対して私は楽観的でいられる。日本のごみ分類を学ぶ必要は全くないのだ」と締めくくった。(翻訳・編集/野谷)