by Colin Maynard

「人間の価値」は非常に抽象的なものですが、「訴訟」においては人間の価値が経済的な価値に換算されます。そこでライターのAlex Mayyasiさんは、事故によって子どもを亡くした両親が訴訟によって過失ある当事者からどのくらいの賠償額を得ることができるのかを調査。1896年からの賠償額の変遷を調べたところ、興味深いことがわかりました。

How Children Went from Worthless to Priceless

https://priceonomics.com/the-price-of-a-child/

1896年、ジョージア州の南鉄道会社の過失で2歳になる子どもを失った両親が訴訟を起こした際、両親は子どもが使い走りとして月に2ドルの働きをしていたと主張しましたが、最終的に両親が得たのは葬式代のみでした。このときの裁判官の判断は、「このように未熟な年齢にある子どもは稼ぐ能力がないので、被告人は損害について責任を負わない」というものでした。一方で、1979年に起こされた訴訟では、歯医者からフッ化物を処置され死亡した3歳の子どもの両親に対して、75万ドルが損害賠償金として認められています。そして2017年現在は、裁判において失った子どもの経済的価値を計算する必要はありません。



by Drew Hays

1985年に出版された「Pricing the Priceless Child: The Changing Social Value of Children」という本の中で、著者であり社会学者のViviana Zelizer氏はアメリカおよびヨーロッパにおいての子どもの扱いがどのように変化してきたかを記しています。それによると、18世紀において子どもや幼児の死は「取るに足らないできごと」であり、その例の1つとして、フランスの哲学者が「私は2人か3人の子どもを失いました。残念ですが深い悲しみはありません」と記していたことを挙げています。イギリスでは幼い子どもが死んだ時に弔いのシンボルを掲げたという証拠が残っておらず、また、フランスでは子どもの亡きがらを墓地ではなく庭に埋めるのが通常でした。また、アメリカでは新生児を「それ」や「小さな他人」と呼び、子どもが亡くなった際には悲しまれたものの、次に生まれた子どもには亡くなった子どもの名前がそのまま付けられることがよくあったとのこと。

Zelizer氏は、子どもが神聖化された転換点は1800年代後半から1900年代前半にあったものと見ています。この時代には、中流階級の改革者が子どもの労働に反対する運動を起こし、子どもの労働力を頼りにする労働者階級の親の反対を押し切り、法案を通過させました。公衆衛生の分野においては幼児の死亡率を低くすることが目標として掲げられ、車の事故で子どもが殺されれば、それまでにはなかった悲しみや怒りが表現されるようになったそうです。このような流れから、経済的には価値があるが感傷的な存在ではない「子ども」が、経済的には価値がないものの感情的に貴重な「宝物」に変化していったことがわかります。

子どもが神聖化されるにつれ、児童労働がなくなり、代わりに両親は手当を受け取るようになりました。また、それまで養子として引き取られる子どもは労働力のある青少年が好まれましたが、労働力はないが愛らしい赤ちゃんが好まれるようになります。そして、冒頭にあったように子どもが事故で死んだ時の訴訟では、子どもが稼ぐことができた金銭が計算されることなく、子どもの死によって生じた両親の苦しみなど感情的な要素が考慮されるようになりました。

つまり、「子どもは未来である」という考えは、事実ではあっても比較的最近生まれた考えなのです。



by Anna Rygało

子どもの価値の変化は、賃下げ競争を減らしたい労働者が支持したことや、中流階級の子どもの就学期間が延びたことなど、経済的な要素の影響を受けていますが、こんなにも急速に「子どもは宝物」という考えが浸透するとは経済的に予測されなかったとのこと。このことから、Zelizer氏は「経済が文化に影響を与えるのではなく、文化が経済に影響を与えるのだ」ということを主張しています。