5月10日、韓国の新大統領に左派野党「共に民主党」の文在寅(ムン・ジェイン)氏が就任した。この政権交代が日本や米国、そして北朝鮮に対する韓国の姿勢を大きく変えることは確実である。

 東アジアのこの新潮流の中で日韓関係はどうなるのか。そして韓国と米国との関係はどう動くのか。韓国新政権の誕生を機に、日米韓三国の古くて新しく、直截ながら屈折した関係を改めて点検してみよう。

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在韓米軍の撤退計画に韓国が猛反対

 私が日米韓三国関係の複雑な構造に初めて接したのは、ちょうど40年前だった。米国の首都ワシントンに毎日新聞特派員として駐在し、在韓米軍撤退問題の取材を始めた時である。

 1977年1月に登場した民主党のジミー・カーター大統領は、朝鮮戦争以来、米韓同盟の支柱となっていた在韓米地上軍の撤退を選挙公約としていた。

 カーター氏は、ベトナム戦争後遺症のなかで誕生した大統領だった。米国内ではベトナム戦争の苦い体験から外国への軍事関与にきわめて慎重な態度が広がっており、米軍の在外駐留にも批判的な世論が高まっていた。カーター氏はその世論に沿う形で、1976年の大統領選挙で「反ワシントン」の旗を掲げる民主党のリベラル派として米国の海外への軍事関与に警鐘を鳴らし、韓国に長年、駐在してきた米軍の存在にも批判の目を向けたのである。

 カーター氏は選挙キャンペーン中に、在韓米軍合計4万1000のうち3万2000を占める地上軍(米陸軍第二歩兵師団が主体)の撤退を公約として掲げた。北朝鮮の軍事的脅威を考えた場合、韓国防衛の最大の支柱となってきた在韓米軍の地上部隊を引き揚げてしまうというのは、米国の対アジア政策としてはきわめて大きな方針転換となる。

 カーター氏は現職の共和党ジェラルド・フォード大統領を破って当選した。そして1977年1月にホワイトハウス入りすると、本当に在韓米地上軍の撤退を実行するような構えをみせ始めた。

 この米側の動きに対し、韓国の当時の朴正煕政権は激しい反対を表明した。周知のように、朴正煕氏は刑事訴追の対象となった朴槿恵前大統領の父親である。

 当時の韓国では、軍事独裁の朴正煕政権への反発が強く、反米の動きもみられた。在韓米軍の存在自体に反対する勢力もあった。ところがカーター政権が実行しようとする在韓米地上軍の撤退計画に対して、官民いずれからもものすごい反対が沸き起こった。

 この反応に面食らった朴政権は、米側の政府や議会への説得を始めた。韓国中央情報部(KCIA)の秘密工作員を使って、米国の政府や議会に対するロビー工作も開始した。

 KCIAは米国議会に対して「在韓米地上軍が撤退することの危険性」を説いた。基地撤退計画に反対させるため、工作員が100ドル札を白い封筒に詰めこんで議員たちに手渡すという荒っぽいことまでやってのけた。なにしろ韓国側には対米ロビー活動などという概念も経験もなかった時代だったのだ。

 私はこのときのワシントンでの取材で、韓国側のいわゆる反米姿勢も、いざ在韓米軍の撤退という可能性が現実味を帯びると一気に変質することを知った。韓国の対米姿勢は矛盾が錯綜しているという実態を初めて目の当たりにした。

本音と建て前を使い分ける日本

 当時の米国では政府も議会も、在韓米軍の撤退を日本がどう受け止めるかを非常に気にかけていた。とくに議会では「日本の反応こそ最も重要だから、それを確かめよう」という声が多く聞かれた。

 当時の福田赳夫政権は、本音としては在韓米地上軍の撤退に反対だった。韓国にいる米軍が縮小してしまえば、北朝鮮の軍事的脅威が拡大し、その悪影響は日本の安全保障にまで及ぶという理由から、決して撤退すべきではないと考えていた。

 だが、日本政府はカーター政権の撤退案に明確な意見を述べることはなかった。「在韓米軍問題は米韓二国間の案件」と言明するだけで、沈黙を保ったのである。

 だが、これは明らかに建前だった。当時は、日本の政治家が軍事や防衛について明確な発言をすることは許されない雰囲気があった。また、日本が米国の軍事政策に見解を表明することも、現在でいうところの「ポリティカル・インコレクトネス」(政治的な不適切)とされていた。日本が韓国の防衛に意見を述べることに対する韓国側からの反発を恐れるという要因もあったのだろう。

 とにかく私はこのとき、日本は日韓関係あるいは韓国に関して本音の意見を簡単には語れないという実態を強く実感させられた。

大統領が悲惨な末路をたどる国

 1979年6月、私はホワイトハウスの記者団の一員として、カーター大統領の韓国訪問に同行した。米韓首脳会談の成果は大きかった。北朝鮮の兵力が従来の推定以上に強大だと認定され、米地上軍の撤退は中断されることになったのだ。

 だが、そのほんの4カ月後、朴大統領は側近に暗殺された。最後は悲惨な末路をたどる韓国大統領の呪われた宿命の始まりだった。

 1980年代から1990年代にかけての全斗煥、盧泰愚両大統領は、いずれも国民弾圧や不正蓄財の罪で刑事訴追され、死刑や長期懲役刑を宣告された。その後の金泳三、金大中、李明博各大統領も、退任後に司法や国民一般から厳しい追及を受けた。最近の朴槿恵大統領の弾劾や逮捕も強烈だが、それ以上に悲劇的なのは廬武鉉大統領の自殺だった。

 こうした事件の連続は、決して偶然ではない。韓国という国家の民主主義の成熟度や国民性と明らかに関連があるとみるのが国際的な常識である。だから韓国を正面から相手にする日本やアメリカは、「大統領の末路」が象徴する韓国の特質を常に念頭において対処しなければならない。

日本の同盟パートナーではない韓国

 日本にとっての韓国の重要性を考えると、最も重要な構成要素はやはり安全保障だろう。安保面では、日本も韓国もアメリカの同盟相手である。

 だが、ここでは「友の友は友」という法則は通用しない。韓国はアメリカの同盟国であっても、日本の同盟パートナーではないのである。とくに、韓国は日本との関係の中心に、いつも陰に陽に「歴史問題」を据えてくることを忘れてはならない。

 こうした韓国の特徴の数々を、私はワシントンで米韓関係や米韓日関係のうねりを追うことによって認識した。そこで見てきたのは、韓国という国家や民族の表と裏、日本側の本音と建前など、一筋縄ではいかない屈折したうねりの現実である。

 韓国の文在寅政権誕生によって日米韓三国関係がどう変化するのかを占う際は、まずはこうした過去の実態を知ることが大前提となろう。

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筆者:古森 義久