複雑さと分かりやすさが両立 ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督による渾身の一作『メッセージ』

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「ページに方程式をひとつ登場させるごとに、本の売れ行きが半減していくだろう」

参考:『メッセージ』好発進! ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品はブランドとして定着するか?

 天才物理学者として知られるスティーブン・ホーキング博士は、宇宙を題材にした自著を執筆するときに、そのようにアドバイスされ、苦心してほぼ方程式を使わずに物理の理論を説明することに努めたという。そのような努力もあって、ホーキング博士が一般向けに書いた科学入門書は、文系の私にとっても、感動的なまでに分かりやすく、参考になった。そう考えると、ときに難解だったり、最新だったりする科学の知識を利用し、その内容を噛み砕き説明した上で読者を楽しませるようなSF小説を書くというのは、さらに苦心するだろうと想像してしまう。そして、そのような科学的内容を娯楽映画に織り込んで仕上げるということは、さらに気が遠くなるくらいの苦心が必要なのではないだろうか。

 近年、その困難を乗り越え、名作SF映画を完成させてきたのが、クリストファー・ノーラン監督である。彼は、『インセプション』や『インターステラー』などのSF作品で、文章でも伝えづらいような複雑な理屈を映像化して観客に伝えることに成功している。とくに『インターステラー』が多くの映画監督から賛辞を贈られたというのは、この映画が、映像によって複雑な理屈を説明する、難度がきわめて高い作品だったことを示している。同業者だからこそ、商業映画という媒体において難解な内容を扱うことがきわめて難しいということを知っているのである。

 そこで注目したいのが、本作『メッセージ』であり、これを監督したドゥニ・ヴィルヌーヴである。彼は、SF映画の金字塔である『ブレードランナー』の続編、『ブレードランナー 2049』を任されたことでも話題を呼んでいる、いまハリウッドからも最も注目されている映画監督の一人だ。作品の規模は、新作を撮る度にスケールアップしているが、その完成度もまた同様にレベルアップしている。映画は脚本や役者など有機的な条件によって、その出来が左右されることも多いが、ヴィルヌーヴ監督の場合、新作を手がける度に必ず前作よりも良くなってきているのである。誰もが無視できない領域にまで作品の質を高めてきたことで、もはやヴィルヌーヴ監督には、クリストファー・ノーラン監督の背中が見え始め、いまにも手が届くところまで迫ってきているのかもしれない。本作『メッセージ』は、そう思わせるに十分な、複雑さと分かりやすさが両立した渾身の作となっていた。

 本作は、SF短編小説『あなたの人生の物語』を脚色したものだ。原作者のテッド・チャンは、寡作ながら複数の文学賞を獲得しているが、その中でも本作は彼の代表作にあたる。地球の各地に同時に飛来した、複数の巨大な宇宙船。それに乗っている、目的不明の宇宙人たちと人類の接触を描いた物語だ。そのテーマにはやはり、「フェルマーの最短時間の原理」などの難しい理屈が深く関わってくるが、それらが人間個人の感情につながっていくことで、表面的なとっつきにくさはあるものの、広く普遍性を獲得しているといえるだろう。

「あなたたちは、何故地球に来たのか?」

 地球の言語とは全く異なる未知のことばを発音し、未知の文字を書く彼らに対して、たったこれだけの質問をするのにも、人類は試行錯誤を繰り返す。これは、人間が「他者と分かり合う」ということの困難さを、根源的に表現したものともいえるかもしれない。演技派エイミー・アダムスが映画で演じたのが、彼らとコミュニケーションをとることをアメリカ政府に命じられた、言語学者ルイーズだ。意志の疎通を図ろうとするルイーズたちのチームの前に現れた、意外なほどクラシカルな形をした「エイリアン」は、空気中にイカスミのような煙を発生させ、それをコントロールすることで、円環のような文字を浮かび上がらせる。その、一気に浮かび上がり、地球の多くの文字にあるような、書き順や読む順番が存在しない文字の形状というのは、本作の謎を解き明かす大きなポイントとなっている。ヴィルヌーヴ監督と脚本家エリック・ハイセラーは、このためにわざわざ一から文字を開発したのだという。

 私は大学時代、それぞれに専門の学問の研究をする教師たちに出会ったが、興味深かったのは、彼らは皆、自分の研究する分野から、世界や社会を認識し、その学問によって全てを説明できるということを信じているように見えたことだ。本作の言語学者ルイーズもまた、世界を「言語」によって認識している。だからこそ、本作では彼女に奇跡が起こることになるのだ。「始めに言葉ありき」と聖書に記されているように、宇宙の法則が、言語という狭小にもローカルにも思われる存在に収斂されていくのである。なんと大胆な物語であり、驚異的な発想だろうか。そしてそんな常軌を逸するような内容を映画化し得たということも、驚異的だと言うほかない。

 本作が描こうとする、もうひとつのテーマは、現代の人類の愚かしさに対する警鐘である。宇宙人が現れたとき、足並みを揃えず、各国が思い思いの判断で勝手に行動することで、事態は深刻な状況に陥っていく。人類という同じ「種」同士が、国家という単位で対立し、お互いを滅ぼせるほどの武器を持って脅し合いながら均衡を保つということが、なんと非効率で非論理的でバカバカしいことなのかということが、宇宙人という、さらなる他者とのコンタクトを通して、浮き彫りになっていくのだ。

 軍のキャンプから、地上スレスレの位置に浮かんでいる、奇妙なかたちの宇宙船へと、放射能保護スーツを着込み、車両に乗って向かうルイーズたちの様子を、長い時間をとって描写していくシーンでは、重苦しい緊迫感と、静謐な空気感が美しく表現されている。本作では、宇宙の法則や世界の情勢という、大きなスケールのものごとが扱われているが、それを感じ取るのは、あくまでルイーズ個人であるという点は重要である。風の流れや木漏れ日が肌に触れる感触や、彼女の小さな娘との「記憶」。それこそが、ルイーズの目を通した本作にとって、最も大事なものであり、真に守るべき価値のあるものなのである。ヴィルヌーヴ監督の最も優れた点は、このように、大きな世界を見通した哲学的な視点と、小さく微細な感情を丁寧に写しとることのできる感性なのである。(小野寺系)