「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」妙なタイトルも見終わってみれば腑に落ちる

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変則的なフィルムノワールかな……と思ってたら、あれよあれよと正統派のヒーロー誕生物語になる。妙なタイトルも見終わってみれば腑に落ちるという一本が『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』である。


スーパーパワーを手にいれたチンピラの物語


舞台は爆弾テロが相次ぐ現代のローマ。孤独な中年のチンピラであるエンツォはその日も警察に追いかけ回され、逮捕を避けて川の中に飛び込んだ。ところがその川には謎の化学物質が捨てられており、水を飲んでしまったエンツォは超人的な怪力と治癒能力と打たれ強さを身につけてしまう。

降って湧いたスーパーパワーを使い、ATM強盗などケチなチンピラ稼業に精を出すエンツォ。だがナポリとローマのギャングが絡む薬物取引の最中に、エンツォの面倒を見ていたセルジョが射殺されたことで状況は一変。エンツォはセルジョの一人娘であり、虐待によって精神障害を負い『鋼鉄ジーグ』の世界に閉じこもるアレッシアの面倒を見る羽目に。一方失敗に終わった取引がこじれてナポリとローマのギャングで抗争が勃発。エンツォのパワーを狙うローマの組織のボス、ジンガロが暗躍を始める……というお話である。

1975年に日本で放送が開始されたロボットアニメ『鋼鉄ジーグ』は1979年にイタリアでも放送された。現地では当時から大人気なんだそうで、本作の監督であるガブリエーレ・マイネッティ氏も少年時代から『鋼鉄ジーグ』のファンだとか。劇中では『鋼鉄ジーグ』に「虐待で精神障害を負った女性が大切にしている作品」というツイストをかけることで、一見突拍子もないこの要素が物語全体に深い哀愁をもたらしている。

というわけで、ストーリーの2/3はゆっくりと心を通わせつつギャングからの逃避行を続ける孤独な男女というノワールものっぽい内容。エンツォの超人的な能力というのも、単に力が強くて打たれ強いというものなので絵的には地味だ。そもそもアクションシーンも少ない。「これ、このまま地味に終わるのかな……ヨーロッパの映画っぽいな……」と思いきや、そこで終わらないのがこの映画のすごいところなのである。

「ヒーローとは何か」という問いとその答え


物語は後半、あるきっかけが原因で一気にギアが切り替わる。「孤独な男と女が一緒に行動することで心を通わせる」というベタなお話が、感涙必至のヒーロー誕生物語に変貌するのだ。

その転換は非常に鮮やか。積み上げてきたヨーロッパ映画っぽい地味めな要素全てが、ギアが切り替わった瞬間に生きてくるという強烈なカタルシスがある。詳しくはネタバレになっちゃうから言えないけども、ともすれば陳腐になりがちな題材を、『鋼鉄ジーグ』という横糸でビシッとまとめた手腕は見事だ。

主人公は単に力が強いだけのおっさんのチンピラ。アメコミのヒーローのように派手なコスチュームも着てなくて、服装はずっと黒いパーカーのみ。空も飛べないし光線も撃てない。しかし、終盤のエンツォは紛れもなくヒーローそのものにしか見えない。この事実は、「ヒーロー」という存在はどういう要素によって成立しているのかという点について考えさせるものがある。

少なくともこの『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』は、ヒーローにとって不可欠な要素について一定の答えを提示している。その答えはなんなのかという点に関しては、是非とも映画館で確認していただきたい。多分だれが見ても納得のいくものだと思う。また、昨今大量に公開されているマーベルなどのヒーロー映画に慣れ親しんでいる人間からしても新鮮に見られる作品なので、アメコミなどがお好きな方にもおすすめしたい。手垢のついた言い回しだけど、本当に胸の熱くなる作品だ。