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1930年代半ば頃までに、クルマの構造体の基本形は出来上がっていた。つまり、シャシーの上に、木製あるいはスチール製のフレームを乗せ、そこにボディ・パネルを貼るという方式だ。また、新しいものとしては、シャシーと区別された一体成型のボディを持つものもあった。

現在でスチール、あるいはアルミニウムを使ったモノコック・ボディが多くのモデルに使われているが、それが常識となる前は、ある意味革新的なボディ素材が使われた。ユリノキ材を利用したイスパノスイザなどはその代表例だが、コルク、アスベストといったものまでが試されたのだ。これらの素材が将来再び使われることはないだろうが、面白い試みであった。これら「新素材」への取り組みは、1930年代になると緩慢になったが、それでも留まるわけではなかった。

第2次世界対戦の前後には、最初のスペースフレームが誕生し、プラスティック、合成素材、皮膜加工された合板なども使われた。戦後、間もなくすると、ボディとシャシーを一体化したスチール・モノコックが標準となっていく。

そして、今、アルミニウムやカーボンファイバーなどをモノコックに使う「新」技術もメインストリームになろうとしている。これらエキサイティングな新しい素材の使用は喜ばしいことであり、自動車の進歩を更にすすめるものであろうが、衝撃吸収やエミッションを気にしなければならない現代のボディ・ストラクチャーよりも、創世記の頃のアイデアのほうが創造性に満ち、可能性が溢れていたのかもしれない。

第10位 木製キャンバス

フランスのウェイマン社は1923年に創業し、独創的な軽量で布地のボディ・シェルを持つクルマを作った。それが、1927年製の華麗な直列8気筒、シュツット・ブラック・ホークだ。静粛性と耐久性を確保するために、二つの試みがなされた。

ひとつ目は、乗員はボディではなく、シャシー上に乗るというもの。そのため、シートはボディから独立して組み立てられた。ようするにシートがシャシーに直接打ち付けられたという。

ふたつ目は、木材は木材と直接接しないこと。そのため木製のフレーム・メンバーは角度のある鉄製ブラケットに1/4インチの空隙を残して繋げられた。ドアとボディとの隙間も広く確保され、その間はラバーと革で繋げられた。

革で覆われたボディは、ダブルスキンと綿と羊毛で部分的にカバーされたのだった。 

第9位 アルミニウム

世界最古の自動車メーカーでもあるパナールはシート・アルミニウム素材を用いてモノコック・ボディのクルマを初めて量産した会社としても知られている。

1953年製のディナZがそれだ。それはとても印象に残る作品で、強固でかつ軽量なシェル形状は、わずか845ccのフラット・ツイン・エンジンであったが、結果として6人乗りサルーンに充分なパフォーマンスを与えた。

しかし残念なことに、製造コストは良くなかった。というのも、コスト試算ではアルミニウムの不要部分をカットすることを想定していなかったからだ。

ディナは次第に全スチール製のクルマに再設計されてしまう。それは製造コストの引き下げにはつながったが、重量増を招いた。

第8位 合板の繋ぎ合わせ

1920年にウエイト島のボート製造職人のサウンダースは、ウーズレー社に銅板を繋ぎ合わせたボディを提案した。この方法は軽量で強度がある。

そしてパネルは多少の衝突では凹まない、また走行中にガラガラ音やきしみも発生しなかったと、当時のAUTOCAR誌ではレポートしている。

この発想はその後、ボディ全体のタブ構造にまで拡張しオーストラリアのマークス・モイヤ社のミド・エンジン・モデルであるヘロンでも採用された。

第7位 キャスト・アルミニウム・シャシー

発明家のディミトリ・センソード・ドゥ・ラヴァウドが、一体型のキャスト・アルミニウム・シャシーをベースにしたクルマをいつくか作り出した。

アルパックスとネーミングされた合金は窓枠やキャスト・ホイールに応用されたほか、フロント・フェンダーや他の場所にも使われた。

最初にこのモデルのプロトタイプが世に出たのが1926年のこと。ラヴァウドは、1929年まで毎年プロトタイプを発表したが、量産モデルにはいずれも採用されなかった。

第6位 スプリング鉄のフレーム

ヴァンデンプラ社は4.5ℓに排気量を増やしたベントレーを、ブルックランドの500マイル・レースに出場する予定のヘンリー・バーキン卿にプレゼントした。

ボディは多くのスプリングで構成されたもので、鋼鉄の骨組みはラダー・フレームにつなげられ、さらに最小の木材のフレーム上に重ねられた。外側は詰め物と布で覆われている。

この軽量な「かご」はアクシデントの際にドライバーを保護する、と言われた。

第5位 木製モノコック・ボディ

1919年に8hpリチャードソンが最も軽量でシンプルな全輪駆動車を作ったが、このクルマは木製ののモノコック・ボディを持っていた。それに続いて、第二次世界大戦中には実験的な木製モノコックを持つクルマが試作された。

フランク・コスティンは、モスキート爆撃機(ほとんどが木製の機体構造を持つ大戦中の王立空軍爆撃機)にヒントを得て、次の段階として、接着された合板を持つ木製モノコック・ボディをマルコスの試作車に採用した。

そのタブ構造はとても軽量でかつ非常に頑丈だったが、残念ながらマルコスは、最終的には木製モノコックを諦めて、鋼鉄製のチューブ・シャーシの骨格を採用した。