20日、日本人はトイレの個室で食事さえもする。芥川賞作家が発表したこんなキテレツな物語は、「都合の悪いものは見て見ぬふりをする」という日本社会の暗部を示唆しているようにもみえる。写真は羽田圭介氏の著作「御不浄バトル」。

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2017年5月20日、日本人はトイレの個室で食事さえもする。こんな話を聞いて、度肝を抜かれない台湾人などいるだろうか。いや、日本人にとっても普通に受け入れられる感覚ではないかもしれないが…。台湾のネットメディア・風伝媒が伝えた。

数年前に初めて日本を訪れた時、それこそ到着した空港からはじまり、お手洗いのキレイさにはいたく感動したものだ。清潔なトイレ。これほどの幸せはあるだろうかとすら思った。日本の女性は心置きなく、お手洗いでメイク直しをする。それほどに清潔で快適な空間なのだ。近年、台湾のトイレ事情もずいぶんと向上した。それでも、日本のこの水準に遠く及びはしない。

けれども、トイレで食事までする日本人がいると聞けば話は別。あの清潔さからすれば不可能なことではないのかもしれないが、犬ですら排泄と睡眠は場所をきっちり分ける習性があるというくらいだ。やはり理解不能だし、そんな行為は恐怖でしかない。ある名門大学のトイレなどは、禁止事項として「喫煙、落書き、食事」と記した張り紙を張り出しているという。一体、どのような苦境が日本人の食事の場をトイレに追いやってしまうのだろうか?

芥川賞作家の羽田圭介氏が、同賞受賞前に発表した「御不浄バトル」は、主人公がトイレの個室内で繰り広げるあらゆるキテレツな行為を、これでもかと描写した小説だ。主人公は、いい加減な就職活動を経て入社した会社が、とんでもないブラック企業だと知る。辞めたい、辞めたいと思いながらずるずると過ごす日々のうっぷんを晴らすため、彼が編み出した気晴らし法が、トイレの個室にこもることだ。駅ビルや会社。お気に入りの個室で食事をしたりお菓子を食べたり、携帯電話を使って職場の内部事情を暴露する記事を投稿したりする。

日本も台湾も同じだが、自分の人生がまるで仕事に支配されているかのような感覚を持つ「社畜(会社の奴隷)」は少なくなかろう。時間も身体も、自分以外の誰かに拘束される感覚。狭い職場の人間関係にとらわれて、他人の一挙手一投足が気になる息苦しい世界。こうしたすべてから解き放たれ、短い時間ながらも完全な自分を取り戻すことができる空間が、「御不浄バトル」ではトイレだと位置づけられている。身体的な排泄と、精神的な発散が紐づけられているのだ。

トイレだとか排泄だとかいった話題は、なるべく触れたくないものだ。しかし、生きる上で欠かせない重要なものでもある。実は、就業環境だとか社会情勢といった問題にも似たような側面がある。みんな心のどこかで「おかしい」と感じ、「声を挙げなければ」と思いながらも、そうすることははばかられる。こうした「見て見ぬふり」は日本社会のあちこちに蔓延し、まるで排泄物のように無きものにされているのではないか。(翻訳・編集/愛玉)