なぜ、蕎麦の後に「蕎麦湯」を飲むのか

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■なぜ蕎麦湯を飲むようになったの?

蕎麦の後に、蕎麦湯を飲む習慣はいつ誰が始めたものか。江戸中期くらいにはあったそうですが、明確に記載された資料は残っていません。ただ、江戸蕎麦の成り立ちをさかのぼってみると、こう考えるのが自然ではないでしょうか。

「蕎麦湯を始めたのは、お客さんである」

江戸蕎麦は“つゆ”に膨大な手間とお金をかけます。極端な話、蕎麦粉を蕎麦にするのは、午前中の一仕事で済みますが、つゆは醤油に砂糖、味醂を加えた“かえし”をねかせるだけで最低でも1週間。しかも当時、とても貴重だった醤油、鰹節をたっぷり使う。この旨いつゆを、なんとか最後の一滴までおいしく飲めないものか――お客さんがそう考えるのも無理はないと思うのです。

江戸中期になると、蕎麦屋の形態が屋台から店舗に変わりました。厨房にドンと釜を置いて商売できるようになる。そこで、「おやじ、ちょいとこのつゆ薄める湯をくんねぇ」「ああ、湯はないが、目の前の釜に蕎麦湯ならあるぜ」。そんなやりとりがあったんじゃないでしょうか。健康にいいからという認識はあくまで後づけ。「蕎麦湯はつゆを飲むために始まった」。そう考えると、蕎麦湯に関するさまざまな疑問がすっきりと解決するのです。

■蕎麦湯ってどうやってつくるの?

蕎麦をゆでていると、蕎麦粉が湯に溶け出して濁ってきます。これがあまり濃くなると、蕎麦同士がくっつきやすくなったり、ゆでた蕎麦の風味が変わったりする。蕎麦職人はこの蕎麦をゆでる釜をいかに管理するかに腐心しますので、蕎麦をゆでている釜から途中で湯を引き上げ、減った分だけ湯を足します。この引き上げた湯を「蕎麦湯」としてお出しするのです。もちろん湯が濁っていなくても、お客さんがいらっしゃれば湯は汲み上げますから、たとえば店を開けて間もないときにお出しする蕎麦湯はどうしても薄くなりますよね。

かつては“蕎麦湯が濃いは蕎麦屋の恥”なんて言葉もありまして、蕎麦を打つのが下手な証拠とされてきました。まあ、最近は濃い蕎麦湯を好まれるお客さんもいますので、額面通りには受け取れませんが。

ともあれ、先にお話しした通り、「蕎麦湯はつゆを飲むため」と考えれば、いい蕎麦湯の条件は、濃さよりも「熱さ」です。これは冷めた蕎麦湯と熱い蕎麦湯でつゆを割って飲み比べれば差は歴然。つゆがもつ香りの立ち方、余韻もずいぶん違います。ですから、蕎麦湯が冷めるとすぐに新しいものを出すような所は、心がけのいい店と思って間違いありません。

■蕎麦湯の正しい飲み方は?

これが正しいということはありませんが、蕎麦湯の本来の目的を鑑みるなら、やはりつゆを存分に味わってもらうのが一番ありがたい。どの蕎麦屋もつゆには力を入れていますから、店は喜ぶと思いますよ。

先ほど温度の話をしましたが、注ぐ量も変化をつけると面白い違いがわかります。つゆを蕎麦湯で割ると、醤油が主体である“かえし”の塩分が薄まって、厚い削り節でとった“だし”の旨味と香りが立ってきます。

蕎麦湯を少なめにして、「おいしく飲める濃さ」もいいですが、多めに入れて「ちょっと薄味かな?」くらいだと、醤油に隠れていただしの強さが顔をのぞかせます。「お、この店は鰹節をケチってないね」なんてことがわかるのも、蕎麦湯で割る楽しみです。ちなみに“かけ”のつゆも蕎麦湯を少し足すと、つゆの持つ味の輪郭がよりはっきりわかるんですよ。

私自身は、薬味半分、つゆ半分で蕎麦を食べ、残った薬味とつゆを足して、熱めの蕎麦湯を多めに注いで飲みます。周りに迷惑をかけなければ、どんな飲み方でもいいのです。そういう意味では、いろいろ変化をつけて、「つゆを楽しんで飲む」というのが粋な飲み方かもしれませんね。

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「かんだやぶそば」 主人 堀田康彦
明治13年創業、藪系蕎麦の総本山と言われる「かんだやぶそば」4代目。2012年に火災に見舞われるも、2014年10月には無事、新店舗で営業再開し、蕎麦好きたちを安堵させた。

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(西澤 千央 文・西澤千央 イラスト・信濃八太郎 語る人:「かんだやぶそば」 主人 堀田康彦)