「指差し」が内面のイライラを図らずも示してしまうボディ・ランゲージである事実を、乳児の発達生理を参照しながら前回記したところ、ご反響をいただきました。

 そこで、より意識的に、でもやや反射的になされる、もう1つの「イライラ」の発露にも触れておきたいと思います。「野次」です。

 まず「野次」という言葉の語源から確認しておきましょう。

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意外にも「オヤジ」が語源だった「野次」

 「野次を飛ばす」などという表現が定着し、「野次は国会の華」などという恥ずかしい流言もありますが、野次の語源は「野次馬」にあり、さらにその元は「オヤジ馬」であると言われています。

 オヤジ馬、すなわち年寄りになって農耕の労役に供しなくなった馬は、役立たずで脇につないでおくしかなく、早晩つぶされて桜鍋などにされてしまう悲しい運命なのかもしれません。

 また同様に、落ち着かず人の言うことを聞かず、鍬も弾けない荒れ馬も、同様に脇に繋いでおくしかないので、これらを併せて「オヤジ馬」→野に次いでおくしか能のない馬→「野次馬」と転じた経緯であったようです。

 何分、こういう「語源」は各種の説がありますので、あくまでご参考まで。ただ「野次馬」という言葉の意味は確定していて

 「何も役に立たないところで勝手に騒ぐ人間」を「ああいう野次馬は相手にしない方がいい」などと称するようになったものです。

 で、そういう連中が発する「野次馬の上げる冷やかし」そのものを称して「野次」と呼ぶようになった。

 つまり「野次」の本質は「役に立たない人間が、あさっての方向で勝手に騒ぐ、無意味な放言」という原点を確認しておきましょう。

 国会に議席を持つ人が「野次馬」では困るわけで、「野次は国会の華」などという言葉を口にする人間は、議員バッチをつける資格がないと思います。なぜと言って、自ら役に立たず、局外で無責任であると宣言しているのと同じですから・・・。

 「野次」は壇に立てない「野党」議員が、名前を隠してこっそり飛ばすことがあるかもしれない恥ずかしい代物であることを、昨今は学習と縁がなくても人気だけで登院できるようになってしまった議員諸兄姉には最初に覚えておいていただきたいと思います。

 ろくに働きもできず、実は若い馬について歩く程度しか能がない「親父馬」が、後ろから負け犬の遠吠えよろしく無関係に空騒ぎするのが「親父馬」に由来する「野次」の定義と覚えられたい。

 これは単に語源であって、与党も野党も関係ありません。

国会における野次

 簡単のため、以下では国会における野次に話を限ろうと思います。この「野次」、日本の国会では「不規則発言」と呼ばれます。

 「不規則」に発言される放言、とも読めますが、これは「規則」に反する発言、つまり「不法行為」と同じような意味での「不規則」で、場合によっては懲罰の対象となることもある「ルール違反」であることを最初に確認しておきます。

 「国会の華」などと開き直る対象ではなく、交通渋滞の中で自然に呼ばれて「発される」軽犯罪と同様、議場を汚染する違反行為にほかなりません。

 議事録に「**と叫ぶものあり」などと記載され、静謐冷静な議事を範とする観点からは単なる「汚点」であること、中継その他で少しでも目立ちたいのか、存在感を誇示したいのか、陣笠ご連中には何を勘違いしているのか、想像するしかありませんが、ろくなものではありません。

 過去40年にわたって国会での「野次」で懲罰委員会が開かれた事例は見あたりませんでしたが、懲罰委員会が開かれた6件のうち5件が21世紀に入ってからのもので、しかもその内容が

*他の議員を羽交い絞めにした
*他の議員にコップの水を浴びせかけた
*衆院議員が参院に乱入し議長の登院を妨げた
*議運に無断で北朝鮮に渡航した

 など論外なものばかりで、日本の議員のレベルが今世紀に入って急速に低下し、町場のチンピラと大差ないものに変質しつつあることがよく見え、とても残念に思います。

 人気取りで衆愚選挙を繰り返し、チルドレンばかり増やしてしまった結果、チルドレン程度の了見が増えてしまったことを示しているのでしょう。次節では幼児の発達心理でこの問題を検討してみましょう。

 前回、国会で「野次」によって懲罰委員会が開かれたのは1976年10月、日本共産党所属の紺野与次郎議員(1910-77)のケースと思われます。

 紺野議員は公明党の矢野旬也議員に対して「反共のイヌが吠えている」との、まことに野次らしい野次を飛ばし、これが問題とされて懲罰委員会が開かれました。しかし議事未了で廃案、次回選挙で紺野議員は落選し、翌年議員自身が亡くなって、この問題はうやむやになりました。

 ただ、このときの騒ぎは大変なものであったようで、自席から野次を飛ばした紺野議員に対して、前に立ちはだかって演壇を背にして、(何者かが:これも議員と思いますが)数回に渡って肩や胸に暴力を加えるといった光景が展開されました。

 この様子は数社のテレビ放送によって全国通津浦裏に生中継され、短期間とはいえ世論を揺るがす騒動に発展した様子が見て取れました。

 正確を期すため、昭和51年度・第78回国会衆議院の議運会議録(Pdf文書)を添付しておきます。暴力を振るった議員(?)の名などは記されておらず、20世紀は20世紀で別の闇があったのかもしれません。

 ともあれ「野次」すなわち、発言権がなく、当然ながら発言者として議事録に記されることのない放言が「無責任」なもので、場合によっては懲罰委員会が開かれ、決議によっては何らかの罰が適用される対象でもあることは、再確認しておくべきポイントと思います。

 ちなみに、議員に対する懲罰としては「**日間の登院停止」といったものが代表的で、この間、バッジはつけていても議事の採決に議員は票を投じることが出来ません。つまり有権者に付託された権利を自ら棄てているわけで、代議士の本分に照らして実に情けない、恥ずかしい状況であると言わねばならないでしょう。

 懲罰の対象となるような行為は大半が幼稚な行動ですが、特に「不規則発言」については発達の観点からも検討することが可能です。

野次の発達心理

 幼稚園や保育園に通う小さな子供で、本来はみんな静かにしていなければならないとき、不規則に発言してしまうというケースが見られます。

 これを「多動児」とか、ADHD(Attention Deficit Hyperactivity Disorder)すなわち注意欠陥・多動性障害などと見なす観点も存在するようです。しかし、医師によるそうした診断以前に、思わず不規則に発言したくなってしまうような心理は、誰しも持っているものでしょう。

 例えば、何か理不尽な目に遭ったりすれば「そんな・・・」と思わず声が漏れてしまって、何も不思議なことではありません。普通の人がごく当たり前に持つ、生理的な反応、反射の範疇で考えることすら可能かもしれません。

 ただ、それを抑止できるだけの大人の理性、分別が、多くの社会人成人には備わっている。

 逆に幼稚園児などでは、そうした分別が未発達であるので、勝手に声を上げてしまったり、人の迷惑や発言後の影響など、後先を考えずに騒ぎたてるという「野次馬」的な行動が見られる。そのような考え方の方が、より妥当性が高いように思います。

 少し古いデータですが広島大学(現日本赤十字広島看護大学)の山本(丸山)愛子さんのご研究(Pdf文書)から、幼児の発達と問題解決手段の変化を簡単に引いてみましょう。

●身体的攻撃による自己主張:4歳児の方が5、6歳児より多い
●言語的手段を用いない直接行動による自己主張:4歳児の方が5、6歳児より多い
●抗議・説得による自己主張:5、6歳児のほうが4歳児より多い

●協調的な自己主張:6歳児の方が4、5歳児より多い
●向社会的な自己主張:4、6歳児の方が5歳児より多い

 最後の「向社会的」というのはやや見慣れない表現ですが、問題があったとき、その相手に対して直接クレームするのではなく

 「あーらら こらら いーけないんだ いけないんだ せーんせいに いってやろ」

 式に、不特定多数の社会に向けて訴えるというもので、議会における野次と並行性が指摘できるかもしれません。

 いずれにせよ、これらは4〜6歳児の発達に関する問題で、小学校に上がる程度の年齢になれば、自然と解消していくものと考えられ、学齢に達してもこうした行動が抜けない場合、発達障害などを疑われる、というものだと思います。

 さて、こうした正確な発達心理学のデータを、雑駁な国会での懲罰履歴とあえて結びつけるなら、ざっくり言って

*他の議員を羽交い絞めにした=身体的攻撃による自己主張:4歳児レベル
*他の議員にコップの水を浴びせかけた=身体的攻撃による自己主張:4歳児レベル

*衆院議員が参院に乱入し議長の登院を妨げた=言語的手段を用いない直接行動による自己主張:4歳児レベル
*議運に無断で北朝鮮に渡航した言語的手段を用いない=これまた直接行動による自己主張ですから、つまるところ:4歳児レベル

 となり、およそ「学齢に達した児童の水準に及ばない」幼稚なレベルと言わざるを得ないでしょう。

 さて、ここで「野次」はどのレベルに相当するかと考えるなら、言語を用いますら4歳児よりは進んでいますが、相手との協調的な対話を欠く、一方的な抗議・説得による自己主張ですから6歳児の水準に達しません。

 すなわち、議員の野次は高々5歳の知能発達レベルで、健全に発達した小学校1年生が持ち合わせている、自己抑制の衝動を抑えられない程度に、幼稚で未発達、大変恥ずかしい行為と言わざるを得ません。

 ここで私は何も、国会議員が未発達と言っているわけではないのです。かつては発達していた時期もあるのでしょう。

 しかし、高齢者に成人用オムツが必要になるよう、盛りの時分であれば自らコントロールできたかもしれない、不用意なものが漏れてしまう、その緩み方が「オヤジ馬」で、使い物になっていない。

 若い戦力層の局外で「負け犬の遠吠えよろしく無関係に空騒ぎするしか能のない、老駄馬に堕ちてはいないか」を案じるものです。

 昨年の国会では、あろうことか閣僚席の主要な椅子近傍から「日教組日教組」「日教組はどうするんだよ」という野次が飛ばされる、あり得ない光景がテレビ中継され、議事録に記載されるという前代未聞の事態があったのはご記憶の方も多いと思います。

 元来議会における「野次」は政権を担う力を持たぬ側、野党が、仮に本領があるとすればそれを発揮する領域、与党それも閣僚席、さらにその最右翼から発せられるような代物ではありません。単に論外としか言いようがない。

 が、こうしたあり得ない野次は与党野党を問わず、主権者国民の票を集め、その代表として国会に議席を持つ人が発するには、あまりに恥ずかしい「無関係なあさってでの空騒ぎ」である基本に立ち返っておきましょう。

 すなわち、語源に正確に戻るなら、年寄りになって農耕の労役に供しなくなった馬は、役立たずで脇につないでおくしかなく、早晩つぶされて桜鍋などにされてしまう悲しい運命・・・であったりするわけですから。

筆者:伊東 乾