「いわき放射能市民測定室たらちね」公式Facebookページより

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 2011年3月東日本大震災から6年がたった。6年という月日は、人々の記憶の中で震災を過去の出来事としてしまったのだろうか。

 震災のその後にフォーカスした報道が減っているのは明らかだ。筆者は福島で生まれ育った。福島を離れ関東に暮らしてはいるが、故郷には愛着がある。時折帰る故郷は、表面的には穏やかさを取り戻しているように見えるが、その穏やかさとは裏腹に、まだ不安を抱える人がたくさんいる。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故で、原子炉から漏れ出した放射線物質の影響は、目には見えない。その目に見えない影響は、いつ、どのように健康被害として現れるのか予測がつかないという不安をもたらす。健康被害を最小限に食い止めるには、放射能に汚染された場所や物から遠ざかることがもっとも有効だ。そして放射線量を具体的な数字で知ることが重要になる。

 放射能に対する地域住民の不安を少しでも軽減するため12年12月、いわき市小名浜花畑町に「放射能を識知する」ことを使命とする「いわき放射能市民測定室たらちね」が設立された。

●地域住民の現在の声

 たらちねで働くスタッフたちのほとんどは、地元の母親たちだ。彼女たちの声は、まさしく地域の母親たちの思いである。彼女たちは、こう話す。

「震災後、原発事故による広範な放射能被害の下で、不安な生活を強いられてきました。事故当初から学校での給食は選択制になり、『給食』『ごはん(米)のみ持参』『弁当持参』の3つから選べるかたちになっています。不安を少しでも減らすには、放射能汚染を数値で確認し、安心して食べさせることができる食材を使用するしかありません」

 筆者も子を持つ身なので、福島の母親たちの気持ちは痛いほどわかる。そのように放射能汚染を懸念する母親たちが食材などの放射線量の測定を依頼しに訪れるのが、たらちねである。

●放射能測定の必要性

 たらちねは、放射能の定点測定を行う。福島県教育委員会の許可のもと、県内200カ所を超える幼稚園、保育園、小・中・高校でのダストサンプルの放射線量測定を実施している。また、いわき市漁協の協力を得て定期的な海洋調査も手がける。その一方で、県内外からの放射線量測定の依頼も受けている。

 いわき市行政も放射線量測定の依頼を受けているが、自家栽培した物に限られる。それに対し、たらちねに持ち込まれる検体は、農作物、スーパーマーケットで販売される食品、雑草、木の実から虫やみみず、腐葉土、薪ストーブの灰、掃除機のゴミなどさまざまだ。それも、地元ばかりでなく遠方からも数多く寄せられる。

 放射線量は、セシウム量で示される。掃除機のゴミは、測定地点での比較になるという。測定するスタッフは、「北海道や沖縄などの検体に比べると、北は岩手から南は東京までの測定値は桁違いに高く、明らかに原発事故由来のものだと思われます」と話す。筆者は東京で暮らしているが、これまではそれほど放射能について気にかけていなかった。しかし、実際に数値が高いという事実を知り、不安を感じるとともに原発事故による放射能の影響について、自分も当事者であるという考えに変わった。

●セシウム測定だけでは不十分

 たとえば、スーパーで売られる福島産の生鮮食品などは、放射性セシウムの基準値(一般食品で100Bq/kg)に合わせて、店独自の基準が設けられている。その基準のほとんどは、セシウム量による評価だ。しかし、セシウムのみにフォーカスするのは不十分だ。注目すべきはストロンチウム90だ。セシウムもストロンチウム90も、継続的に摂取していると、時間とともにその蓄積量は増えていく。

 ストロンチウム90が体内に蓄積して起きる健康被害は、すぐには見えてこない。まず骨に蓄積され、そこからベータ線を発して細胞を攻撃し続ける。その結果、骨や血液のがんになる可能性があるが、現段階ではその発現頻度は未知である。

 たらちねでは、独自の測定法を確立し、ほかの機関よりも安価で依頼を受けている。セシウムに関しては食品1検体500円、ストロンチウム90に関しては1検体3000円で行っている。ストロンチウム90の測定には、検体から有機物などを取り除く前処理が必要であり、設備の整ったベータ線ラボが必要だ。民間でこのベータ線ラボを持つのは、たらちねのみだという。通常、ストロンチウム90の測定が可能な機関に依頼すると、1検体20〜25万円の費用がかかる。一般の母親たちが、子供の弁当に入れるおかずひとつの放射能汚染量を知るために20万円は出せない。たらちねのスタッフたちも、「安価でなければ意味がない」と声をそろえる。

●運営の現状とこれから

 たらちねは、認定NPO法人である。事業収益はほとんどなく、企業、団体、個人からの寄付で成り立っている。フォトジャーナリズム誌「DAYS JAPAN」(講談社) の元編集長である広河隆一氏の協力のほか、多くの企業が寄付を寄せている。そして地元福島の母親たちを中心とした使命感溢れるスタッフにより運営されている。国からの補助金などを得ることが難しいため、資金の安定がひとつの問題ではあるが、2016年よりファンドレイジングにより資金を集め、17年6月には同施設内に内科・小児科「たらちねクリニック」がオープンする。たらちねクリニックでは、保険診療や甲状腺検診を行うほか、健康被害への不安や相談に応え、地域の健康増進・維持に努めていく。

 震災の時に幼稚園の年長(5〜6歳)だった子供たちは、震災のことを鮮明に覚えているという。そんな子供たちが、震災後から現在までの大人の意識の変化に困惑しているのではないかと懸念する声がある。実際に、時間の経過とともに家族間、学校などで、放射能に対する大人の態度に温度差が出てきているという。

 普段通りの生活を取り戻しつつある今、放射能汚染に関する考えに違いが出るのは当然かもしれない。しかし、それが子供たちの心の安定を奪ってはいけない。私たち大人も長期的に学んでいく必要がある。

 また、母親たちが危惧する新たな問題がある。国は、事故を起こした福島第一原発について「30〜40年後に廃炉を目指す」と掲げている。一方、震災後の福島の学校教育に大きな変化が起きている。工業系高校で、廃炉教育に力を入れているのだ。放射性物質について学び、廃炉の技術を学ぶためのカリキュラムが導入された。これについて、地元の母親たちは、複雑な気持ちをこう明かす。

「もちろん、誰かがしなければいけないのはわかります。しかし、私たち母親からすると、子供が使命感に駆られて廃炉作業に従事するのではないかとの懸念があります。複雑な気持ちです」

 筆者も母として、彼女たちの苦悩が理解できる。原発事故により残された問題の解決は、簡単ではないだろう。

 また、放射能が人体に及ぼす影響は、時間が経過しないとわからない。だが、すべての子供は、放射能から平等に守られる権利がある。経済的格差や知識の格差などによって、一部の子供たちが放射能に野ざらしにならないように私たちができることは、関心を持ち続けることではないだろうか。

 たらちねの設立以来、英BBCをはじめアメリカ、フランスなど、多くの海外メディアが取材に訪れている。本来、日本でこそ福島のその後を伝えなければならない。筆者は、今後も福島の取材を続け、放射能の問題を社会に投げかけていきたい。
(文=吉澤恵理/薬剤師)