「鍛え直したい」との想いを叶えるべく、07年に甲府へ期限付き移籍。このシーズンは、コンスタントに出番を得て、実戦感覚を磨いた。(C)SOCCER DIGEST

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 出場機会を求めて新天地へ移籍した2007年、増嶋竜也は充実感を噛みしめつつ、一方で挫折も味わった。決して順風とは言えないシーズンだったにも関わらず、本人が「今となっては良かった」と、そう振り返る理由とは――。
 
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 このままじゃ、マズいぞ――。
 
 プロ2年目のシーズンから頭に鳴り響いていた警鐘は、3年目を終える頃、いよいよ高まっていた。
 
 2006年の冬、増嶋竜也の苦悩は深かった。
 
 市立船橋高の1年時からCBのレギュラーの座を射止め、全国制覇を達成した。3年時にはキャプテンを務め、U-18日本代表にも選出された。
 
 的確な指示で味方を動かし、自身はカバーに回ってさっそうとボールを奪う――そのクレバーでスマートなプレーは、甘いマスクとも相まって、当時の日本代表キャプテン、宮本恒靖を彷彿とさせた。
 
 高校ナンバーワンDFとの呼び声が高かった増嶋は、複数のオファーの中から、将来性が感じられたFC東京を選ぶ。
 
「高3の時の天皇杯で(横浜F・)マリノスと対戦して、そこそこやれたから自信も膨らんで、怖いもの知らずでした。プロでも絶対にやれるでしょって」
 
 ところが、いざプロになってみると、なにもかもが通用しなかった。
 
 それどころか、ストロングポイントだったはずの能力が、ウイークポイントとして指摘されるようになるのだ。
 
「1対1に弱いとか、戦えないっていうふうに見られて、ああ、自分の理想のプレーを追求していても、ダメなんだな、って痛感しました。実際、先輩たちに高さでもスピードでも勝てなかったし、これはヤバイなって」
 
 生き残るためには、自分を変えるしかなかった。変えなければ、プロの世界に居続けることは不可能だった。
 
 04年にFC東京でプロのキャリアをスタートさせた増嶋が、ヴァンフォーレ甲府に期限付き移籍をするのはプロ4年目、07年シーズンのことである。
 
 1年目はリーグ戦7試合で起用されたが、2年目は4試合にとどまった。ガーロ新監督を迎えた06年シーズンは14試合を数えたものの、ガーロが解任された8月以降は出番が激減という事実に、増嶋は背中を押された。
 
「鍛え直したかったし、戦えないっていうイメージを変えるためにも、出場機会が欲しかった。だから、環境を変えてチャレンジしたいって思ったんです」
 
 当時の『週刊サッカーダイジェスト』で増嶋は甲府を選んだ理由について、こんなふうに語っている。
 
〈甲府はA代表に一番近いサッカーをしていると思う。ここでレギュラーを獲ることが今はなにより大事〉
 
 だが、本当のところは、チームを選ぶ余裕などなかった。
 
「実は、甲府のサッカーはあまりよく知らなかった。『どこかオファーしてくれないかな』って思っていた時、最初に声をかけてくれたのが甲府だったんです」
 当時、甲府を率いていた大木武は、片方のサイドに寄せてプレスを仕掛け、パスワークで局面を打開していく戦術を採っていた。
 
 それに合わせてディフェンスラインもスライドを繰り返し、DF全員が潰しにいくことが茶飯事で、チャレンジ&カバーを鉄則とするオーソドックスな守備スタイルとは一線を画していた。
 
「こんなにリスクを冒すの?って驚きましたよ。自分のサッカー理論とまったく違うから、それはいったん脇に置いて、とにかく大木さんのやり方に合わせなきゃ、って必死でした」  
 
 だが、弱点を克服したい増嶋にとって、甲府のスタイルは打ってつけだった。
 
「それまでは身体を投げ出して防ぐとか、1対1で戦うってことがなくて、仲間のカバーをして奪うとか、きれいに奪うイメージしかなかった。でもチャレンジしてみたら、寄せたら意外と取れるんだ、寄せても簡単に抜かれないんだって。新しい自分を発見できて嬉しかった」