25日、人民網は、第2次世界大戦末期に米国が日本に原子爆弾を落とした背景には、ポツダム宣言に関する誤訳があったとする記事を掲載した。写真は広島の平和記念公園。

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2017年5月25日、人民網は、第2次世界大戦末期に米国が日本に原子爆弾を落とした背景には、ポツダム宣言に関する誤訳があったとする記事を掲載した。

1945年7月26日、米・英・中3カ国はポツダム宣言に署名し、日本の無条件降伏を促した。記事は、「日本では翌27日に閣議が開かれ、28日午後、鈴木貫太郎首相が記者会見を開いた」と解説。その際のコメントを日本の通信社だった同盟通信社が「連合国の宣言は、カイロ会議における声明の繰り返しであり、日本政府にとって重大な意義は見当たらない。また、すでに他の選択はなく、完全に無視する他ない。戦争終結のために断固戦闘を行う」と英訳しており、記事は「この訳文からは、鈴木首相がポツダム宣言を明確に拒絶したことが見て取れる。その後、8月6日に広島、9日に長崎に原爆が落とされたのだ」と伝えている。

一方、トルーマン米大統領が後に「日本がポツダム宣言を拒否しなければ原子爆弾は投下しなかった」と回想したことを紹介。「戦後の文献や昭和天皇、鈴木首相の発言から、当時の日本政府はポツダム宣言を拒否したわけではなく、ポツダム宣言に署名していないソ連のあっ旋による和議を模索し、ソ連からの回答を待つまで態度を保留するつもりだった」と説明した。

また、鈴木首相の日本語によるコメントと同盟通信社の英訳を比較、日本語の「回答しない」が英訳では「完全無視」となっており、これをロイターやAP通信が「拒否」と報じ、トルーマン大統領らに伝わってしまった、と解説している。

記事は、鈴木首相が態度保留を明確に口にせず、無視とも拒否ともとられかねない「黙殺」というあいまいな日本語を使ったこと、同盟通信社が「無視」と英訳したこと、そして米メディアが「拒絶」と解釈したことが原爆投下につながったと結論付け、そこには「日米両国の民族的特性が関係しているかもしれない」と推測している。(翻訳・編集/川尻)