スカイマーク会長 佐山展生氏

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破綻から2年。「空の反逆児」と呼ばれたスカイマークが再生しつつある。新経営陣は金融出身のツートップ。会長はファンドの代表だ。しかし彼らは「カネ」より「ハート」の経営に挑むという。たとえば旧経営陣は客室乗務員に「サービスはするな」と指示していたが、新経営陣はコーヒーサービスを再開し、制服も刷新した。目標は「日本一愛される航空会社」――。経済ノンフィクション「企業の活路 スカイマーク」。前後編のうち後編をお届けする。

■「社員が動かなければ会社は動かない」

スカイマーク会長の佐山展生が率いるインテグラルは、企業の再成長や再生などを手がけるファンドだ。これまでにイトキンやアデランスなどの企業再生を手がけている。スカイマークへの投資を判断するにあたっては、小型機を効率的に稼働させるというスカイマークのビジネスモデルには十分に可能性があると見込んだ。しかし、複数のファンドがスカイマークへの投資を検討し、あきらめていた。

「自信があったわけではありません。ただし、誰でもやれるようなことに手を出しても意味がない。我々は、ほかがやらないような難しい案件をとりにいきます。会社を立て直すということは、社員が働きやすい会社にするということ。そこに我々が参画する価値がある」

佐山はそう言った。投資先企業を社員が生き生きと働くような会社に生まれ変わらせる。そうすれば、自ずと結果(リターン)はついてくる。それが佐山の考え方なのだが、このような企業再生を手がけるファンドがあること自体、まだ一般には知られていない。

「ファンド=ハゲタカ」というイメージを払拭するのは大変だったのではないか――。そんな編集者の問いに佐山はこう応じた。

「我々は経営陣の責任は厳しく問います。『ハートのある経営』が大事だと常々申し上げているのは、社員のみなさんにハートを向けなければいけないという意味です。社員が動かなければ会社は動きません。スカイマークでは、我々は経営者でもあります。ハートのある経営ができているか。社員のみなさんから問われる立場でもあるんです」

佐山の経歴は異色である。京都大学工学部高分子化学科を卒業後、帝人で技術者として研究・開発に携わったのち、33歳で三井銀行(当時)が立ち上げたばかりのM&Aの部署に転職。ニューヨーク赴任を経て、90年代に当時の日本で最大のM&A案件を手がける。その後、投資ファンドの設立などを経て、2007年、パートナーとともにインテグラルを立ち上げた。

スカイマークの現場を回ったとき、佐山は帝人の工場を思い出したという。

「工場には純粋でいい人が多い。そうでないと、ものはつくれないからです。口先でものはつくれません。きっちりと整備をして、きっちりと設計をして、きっちりと原材料を精査しないといいものはできない。真面目にきっちりやらないと成り立たない仕事。それは飛行機を安全に飛ばすスカイマークの現場も同じなんですよ」

2015年9月29日。佐山と市江のツートップ体制による新経営陣がスタートする。ANAからは取締役が2名参画した。

市江正彦は日本政策投資銀行の常務から、55歳で投資先であるスカイマークの社長に「片道切符」で着任した。前職では、ベンチャー育成や企業再生に関わり、2008年の同行完全民営化に際しては、新しいビジネスモデルの構築を主導した。エリートでありながらベンチャー志向の、本人曰く「変わり者」。佐山は新社長と連れ立って全国の支店を回り、市江は「骨を埋める覚悟で来ました」と挨拶した。このとき佐山は、社員の表情が2月に比べて明るくなったことに気づいている。

佐山は毎週月曜日に社内イントラネットでメッセージの配信を始めた。前の週に訪れた支店での出来事や、社外交渉、メディア発信など、佐山のトップとしての仕事を紹介する。そのメッセージのヘッダーには、佐山の個人メールのアドレスと、ケータイ番号、そして赤い字で「何でもご遠慮なく直接ご連絡ください」と書き添えた。また、支店に行くたびに懇親会を開いて社員と一緒に酒を飲んだ。

市江は社員と1対1で30分の面談を行い、約200人から「この会社をどうしたいのか」を聞き取っていった。

佐山と市江は、新体制は「話を聞く」体制だということを徐々に社員間に染み込ませていく。この「風通しを意識した」と市江は言う。

「ちょっと気づいたことを言えるかどうかが重要なんです。航空業は、1に安全、2に定時性、3が経済性です。時間通りに運航するとお客様は選んでくださる。でも、ともすれば時間を優先するあまり、安全をうっかりすることがありえます。そんなときに、気がついた人がもう一度ちゃんと見ましょうと声を出して言えることが大事。上司に対してもそれが言える環境にするのは上司の仕事です」

■ANAから来た上司にどう向き合えばいいか

現場に風が吹き始める。まず変化したのは整備部門だった。

整備部門の抱える課題のひとつに「当局とのリレーション」があった。経営破綻と同じ月の15年1月、スカイマークは国土交通省航空局による認定事業更新検査で、54カ所の指摘を受けている。同月20日には、必要な整備確認作業を実施しないまま機体を出発させたことから航空局より「厳重注意」を受けた。技術部長だった高木敬介(現・空港管理部長)が振り返った。

「経営難に陥った会社の先行きを見限った優秀な社員たちが、ANAや航空機メーカーなど同業他社へ転籍してしまうことが続いていました。いい人材がいない。そのうえ、我々は航空局との人間関係もありませんでした」

前経営陣は「因習打破」の方針を掲げ、現場に、航空業を管轄する航空局との接触を必要最低限にする指示を出していたという。それは、スカイマークを訪ねてきた航空局職員をビル1階の受付へ迎え出ることさえ禁じる仔細さだった。前経営陣が方針に込めた思いは決定権を持つ官僚に過剰におもねらないということだったのだろう。だが、その方針は行きすぎ、情報が入りにくいという支障を来していた。

そこへANAから管理職が出向してきたとき、現場はざわついた。

そもそもANAから出資を受ける際、ANAはチケット予約システムの統合を提案したが、筆頭株主であるインテグラルが「独立性の維持」を主張して拒んでいる。ANAの影響力が増すことに対して、現場にも抵抗感はあった。しかし、実際に一緒に仕事を始めると予想外のことが起きた。高木が言う。

「ANAの方の経験と知見に驚かされました。それだけでなく、航空局に説明に行く際にも、同行して我々の立場に立って説明をしてくれるんです。航空局との信頼関係があるため、話が早いのもありがたいことでした」

国交省との交渉窓口である品質保証部では、脆弱な体制や社内規定にある資格をすべて見直す必要に迫られた。部次長の河内辰弥(45)がそのときにアドバイスを受けたのも、ANAから出向してきた部長だった。河内は、ANAの蓄積してきた知識と経験に触れ、率直に「かなりの差がある」と感じたという。そのうえで、こう話した。

「我々が独立系でいるためには、早くANAのサポートなしでやっていけるようにならないといけない。人材育成の研修の仕組みづくりが急務です」

取材では、すべての社員が「会社は変わった」と言った。「どう変わりましたか」と尋ねると、ある客室乗務員は「現場のアイデアを取り入れてもらえる。しかも、すぐに」と答えた。前経営陣の強力なトップダウンが生んでいたさまざまな綻びが、修正に向かっていることを社員が実感し始めていた。

安全性に関する取り組みの成果は、17年3月の認定事業更新検査で注意項目ゼロという結果に表れた。

16年10月、市江を座長に全社の部署横断による「定時性向上対策本部」が発足した。目標は日本一。それは定時出発率で95%を上回ることを意味する。国交省航空局は国内運航航空会社11社の定時運航率を3カ月ごとに発表している。このなかでスカイマークは概ね3位につけているが、まだ1位を取ったことはない。日本一のためには、各部署の業務改善が必要になる。

「目標が示されたことで現場の意識が変わった」。そう話すのは、昨年12月まで沖縄支店で43人のスタッフをとりまとめていたランプ部門の田中だ。

「ランプ部門では次々に着陸する機体から荷物をスムーズに運び出すために、人員配置を工夫しました。1機あたり2人で担当していたのを、別にもう1人立てました。その1人が状況を見ながら複数の機体に目配りをして、遅れがちなところをフォローする体制に替えました。これは現場から上がったアイデアで実現できたことです」

目標に向けて自分にできることをとみんなが考えるようになった。そう田中は言った。

「それは、スカイマークというひとつの会社だからなんです。今月の売り上げがよかったと経理の人に聞けばうれしい。だから売り上げや定時性に少しでも貢献しようと思える。これが子会社だったら、親会社の売り上げが高くても低くても我々には関係ないと思ってしまう、それは正直、ありますよね」

■「上から指示」から「下から意見」に変化

客室部門にも変化が起きた。

きっかけは、16年秋から食品メーカー・ネスレと提携して機内サービスを始めたことだ。「サービスはしない」ことにまでなっていたスカイマークでは、コーヒーサービスを始めるにしてもマニュアルと訓練が必要となる。客室訓練課教官の佐々木美枝(37)は、ゼロから教育マニュアルを作成した。

佐々木の上司であり、ANAから出向中の客室訓練課長・青木智恵子は、マニュアルの作成は「独自のサービスを見出すプロセス」だと捉えている。

「丁寧すぎない自然なサービスを模索していけるのはスカイマークならでは。スカイマークらしさを伸び伸びと探していくのが大事だと思います」

佐々木は、最近、指導した若手が見事にサービスをしているのを確認して嬉しかったと、こう力を込めた。

「基本はマニュアルと訓練で押さえつつも、各客室乗務員がお客様に合わせて臨機応変に対応することがスカイマークらしいんだと思います」

16年11月には、オレンジ色のポロシャツから紺のジャケットに制服が変わった。主導したのは、約20人の制服検討委員会。メンバーで客室乗務員の橘真生(33)は、新制服ができるプロセスと組織の変化を重ねてこう話した。

「上から指示がおりてくる組織から、今は下から意見を上げていく会社に変わりました。新しい制服では、私たち客室乗務員が誠実さを表現しました」

17年4月。破綻から数えると3期目の17年度は「360度人事評価」という人事評価制度を始める。部下が上司を無記名で評価し、それを本人にフィードバックする仕組みだ。佐山は「会社を強くするためには公平な人事制度が不可欠」という。「経営者こそ厳しく仕事を問われるべき」として、外部から来た経営者としては異例だが、佐山と市江も評価を受ける。

ツートップには、金融出身であることともう1つ、共通項がある。佐山は一緒に暮らす祖父が経営する銭湯のタイルを一人で掃除していた姿を覚えている。市江は満州帰りの父が開業した饅頭店の経営の苦労を見てきた。現場を尊重することについて2人の価値観が通じ合うのは、実業を身近に育ったことも関わりがあるのかもしれない。

スカイマークの目標は「日本一愛される航空会社」だ。それはどういう会社なのか。佐山は「価格が安いだけでなく、価格に関係なくスカイマークに乗ると気持ちがいいという理由で選ばれること」と言った。そのためには第三極であり続けることが必要になる。自ずと、ANAとのシステム統合の実現は困難と予想される。

格納庫の機内で行われた入社式で、佐山は125人の新入社員に向かって、「自分で考えて仕事をする人になってください」と語りかけた。この2年で社員の変化を見てきた実感のこもった言葉だ。

17年度は国際線のチャーター便を計画している。目指す上場予定は2020年9月28日である。

(文中敬称略)

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スカイマーク会長 佐山展生
1953年生まれ。76年京都大学工学部卒業。94年ニューヨーク大学大学院(MBA)、99年東京工業大学大学院社会理工学研究科博士後期課程修了。帝人、三井銀行(現・三井住友銀行)勤務を経て、98年ユニゾン・キャピタルを共同設立。2008年インテグラル社長。15年より現職。
 
スカイマーク社長 市江正彦
1960年生まれ。82年東京大学法学部卒業、日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)に入行。2012年常務、13年取締役。15年より現職。

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三宅玲子
1967年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。「人物と世の中」をテーマに取材。2009〜2014年北京在住。ニュースにならない中国人のストーリーを集積するソーシャルプロジェクト「BilionBeats」運営。

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(ノンフィクションライター 三宅 玲子 撮影=篠塚ようこ(佐山氏、市江氏)、プレジデント編集部(羽田ベース))