子会社もたない"スカイマーク"の全員野球

写真拡大

破綻から2年。「空の反逆児」と呼ばれたスカイマークが再生しつつある。新経営陣は金融出身のツートップ。会長はファンドの代表だ。しかし彼らは「カネ」より「ハート」の経営に挑むという。ある社員は「大手と違って、ひとつの会社の社員として、飛行機を飛ばすことができる」と答えた。子会社をもたない挑戦者の「全員野球」は功を奏すか――。経済ノンフィクション「企業の活路 スカイマーク」。前後編のうち前編をお届けする。

■日本の航空市場に「価格」という選択を

東京・羽田空港に向かうモノレールの新整備場駅の一帯には、航空各社の格納庫が立ち並ぶ。4月初旬、航空各社はそれぞれの格納庫で入社式を行った。その1つ、スカイマークの新入社員は125人。全日本空輸(ANA)の約2800人、日本航空(JAL)の約1700人に比べるとケタはひとつ少ない。それでも役員のひとりはしみじみとこうつぶやいた。

「こんな日を迎えることになるとは、2年前には思いもよりませんでしたよ」

スカイマークは、国内第3位の航空会社だ。現在は、26機の小型機により国内9都市をつなぎ1日約130便を運航し、約400人の客室乗務員を含む約2000人の社員が働く。だが、そのスカイマークは2015年1月に経営破綻している。取締役のつぶやきには、2年でここまで復活したことへの感慨が込められていた。

日本の航空市場は、90年代から激動を繰り返してきた。きっかけは規制緩和。その参入第1号が96年のスカイマークだった。その後、エアドゥ、ソラシドエア、スターフライヤーが相次いで参入した。ところが01年のアメリカ同時多発テロ事件で航空需要が低迷。02年にJALと日本エアシステム(JAS)が合併するなど再編の嵐が起きた。先に挙げた3社はいずれも資金難のため現在はANAの傘下にある。

スカイマークは日本の航空市場に「価格競争」を持ち込んだ会社だ。その影響は現在も続いている。たとえば羽田―福岡線で大手2社の普通運賃は4万1390円で横並びなのに対し、スカイマークは2万2190円である。スカイマークの登場で、私たちははじめて「国内線を価格で選ぶ」という選択肢を手に入れた。

しかし15年1月28日、ついに翼が折れた。民事再生法適用のため東京地裁に申し出た負債総額は約710億円だった。直接の原因は、大型機材の購入後に急激な円安が進み、経営陣が予想しない資金難に陥ったことである。そのとき再建に名乗りを挙げたのが、現会長の佐山展生が率いる投資ファンドのインテグラルだ。

紆余曲折を経て、180億円の資本金は、インテグラルが50.1%、ANAが16.5%、残りを日本政策投資銀行と三井住友銀行が共同出資するファンドで折半することになった。

佐山が会長、日本政策投資銀行常務の市江正彦が社長という新経営陣による再建が始まったのは15年9月29日。現在、その翼は再生しつつある。15年度決算は売上高721億円で15億円の営業黒字。前期は170億円の営業赤字だった。

16年度決算はまだ発表されていないが、取材によると売上高750億円、営業利益60億円超と見込まれる。経営陣にとっても、予想以上のV字回復だという。

航空会社ではなく金融出身のツートップによる再生が順調にいけば、大手に属さない「第三極」の存在価値が証明される。それは航空市場にさらなる健全な競争をもたらすことを意味する。

この2年の成功のポイントは何ですか――。筆者の問いに対し、佐山の答えは「特別に何かあったわけではない。一つひとつの積み重ね」。市江の答えも、ほとんど佐山と同じだったが、「強いて言うなら」と続けてこう言った。「風通しを意識しました」。

筆者は昨年6月から今年4月にかけて、羽田、福岡、鹿児島の空港支店で取材をしている。

50人近い社員に会ったが、ほとんど全員が会社の将来に希望を持っていることに驚いた。破綻前に大手の子会社から転職してきたある社員は「スカイマークには可能性がある」と話した。

「スカイマークでは飛行機を飛ばすという目的のもとで、ひとつの会社の社員として働くことができる。子会社で働くこととは全然違う。僕は破綻直後も、この会社には未来があると信じていたし、それは今も変わりません」

今年2月、筆者は羽田から福岡に向かうスカイマーク機に搭乗した。機内では、客室乗務員が荷物を棚に上げようとする乗客を手伝っていた。離陸後、ほどほどに冷やされた「キットカット」が配られた。100円のコーヒーサービスがあると聞き、頼んでみると、客室乗務員はコーヒーを笑顔で手渡してくれた。

こうしたサービスは、破綻前のスカイマークにはなかった。西久保愼一前社長の経営方針は「安さ」が最優先で、客室乗務員には一切のサービスを禁じていた。

12年に客席に配られた「サービスコンセプト」には「機内での苦情は一切受け付けない」「不満は消費生活センターへ連絡を」などと明記され、物議をかもした。当時、筆者がスカイマーク機に搭乗したとき、客室乗務員は、無表情で乗客のシートベルトを点検していた。憧れて就いたはずのこの仕事を、この人はどんな思いで働いているのだろうと、心中を察せずにはいられなかった。

それが、現在は客室乗務員に限らず、カウンターでも社員が自然な笑顔で対応している。「笑顔」の概念が、「無駄」から「プライスレスなサービス」へと変化したかのようだ。

時計をいったん巻き戻そう。15年1月28日。福岡ベースの客室乗務員だった藤原里佳(32)が破綻を知ったのは、同僚からのLINEだった。「これから私の生活、いったいどうなるんだろう……」。メッセージを読んでまず、そう思ったという。夜になってマネジャーから「明日の乗務はいつも通りにお願いします」との一斉メールが届く。

翌朝5時、藤原は羽田行き7時台の初便乗務のため、福岡空港支店に到着する。支店長は徹夜明けの充血した目で、6人のクルーに「あなたたちの雇用は守るから、心配しないで仕事をしてほしい」と話した。翌日から、客室乗務員は乗客に経営破綻を詫びる機内アナウンスを行うようになった。

同じく福岡ベースの小田真也(32)は、「お客様に対して自分たちでできるサービスを、と支店の社員のひとりが描いたイラストをコピーして『塗り絵』をつくって、機内に持ち込みました」と振り返った。ニュージーランドの大学を卒業した小田は、海外の航空会社のように、日本で客室乗務の仕事をやりたいと考え、男性の客室乗務員が比較的多いスカイマークに入社した。会社も仕事も好きだったが、サービスを極端に減らす方針には違和感があった。

「荷物を棚にのせるのを手伝ったほうが出発の遅れを防げますし、小さなお子さんには絵本を貸し出したほうが、お子さんが機嫌よくいられて、まわりのお客様も快適に過ごせます。でも、サービスは禁じられていました」

破綻をきっかけに社員は手探りでサービスを再開する。乳児向けにおもちゃを手作りした社員もいた。藤原は「やっと客室乗務員らしい仕事ができると思った」と打ち明ける。

破綻時、沖縄支店ランプ管理課主任だった田中京太(39)は、知らせを「やっぱり」という気持ちで聞いた。田中は、半年ほど前から社内イントラネットに掲出される退職者の人数が急増していることに気づいていた。特に財務部門の離職者が多いことにイヤな予感がした。田中は「これで福岡に帰れる」と思ったが、すぐに「でもまだ辞められない」と思い直した。

「福岡支店の整備部門から、沖縄支店が開設された09年に那覇に転勤してきました。知り合いのいない沖縄で暮らすのは限界があり、福岡に戻してほしいと会社に異動希望を出していましたが、なかなか聞き入れられずに沖縄生活が長くなっていました」

無職になる不安より、福岡に戻れることを喜んだ田中だったが、部下の言葉に退職をとどまる。

「独身の私と違って、妻子のある若い部下たちはスカイマークでないと生活が成り立たない。だから、このままがんばりたい、と言うんです。私も、辞めるなら、技術面など彼らが一人前に働けるように支援をして責任を果たしてからだと思いました」

(一番上)左から、客室乗務員の藤原里佳氏、小田真也氏、ランプ管理の田中京太氏。(左下)掲示板には佐山会長の直通番号とメールアドレスが貼ってあった。(右上)福岡支店ではパイロット、整備、事務などがワンフロアで働く。(右下)乗務員が手作りした塗り絵。

■人は不安なときこんな表情をするのか

田中もその部下たちも、前職は大手航空会社の子会社で、ランプ業務を専門にしていた。同じ業務内容でも、大手航空会社の子会社とスカイマークを比較すると「スカイマークのほうが待遇はいい」と田中は言った。

2月5日。スカイマークとインテグラルの間で、再生支援基本契約の締結が行われた。佐山は、全国13カ所(当時)の支店に説明に出向いた。

「人が不安なときというのは、こういう表情をするんやな。そう思いました」

社員にとっては佐山が「投資ファンドの人間」ということも不安のひとつだった。「ハゲタカ」に例えられるように、投資ファンドに対する一般の印象はよくない。

「鹿児島空港支店では『人員削減はあるのか』という質問が出ました。それに対して私は『リストラは一切しません。これ以上、給与を下げることもしません。一緒に会社を再建していきましょう』と言いました」

佐山が沖縄支店を訪れた2月末、前出の田中は説明会に出席している。30人を超える社員で狭い会議室は満員だったという。

「説明を聞いて若い社員が安心したのを見て、ああ、よかったなと思いました。でもそのときはまだ、信頼していいのか半信半疑というところでした」

(文中敬称略)

----------

スカイマーク会長 佐山展生
1953年生まれ。76年京都大学工学部卒業。94年ニューヨーク大学大学院(MBA)、99年東京工業大学大学院社会理工学研究科博士後期課程修了。帝人、三井銀行(現・三井住友銀行)勤務を経て、98年ユニゾン・キャピタルを共同設立。2008年インテグラル社長。15年より現職。
 
スカイマーク社長 市江正彦
1960年生まれ。82年東京大学法学部卒業、日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)に入行。2012年常務、13年取締役。15年より現職。

----------

----------

三宅玲子
1967年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。「人物と世の中」をテーマに取材。2009〜2014年北京在住。ニュースにならない中国人のストーリーを集積するソーシャルプロジェクト「BilionBeats」運営。

----------

(ノンフィクションライター 三宅 玲子 撮影=篠塚ようこ(佐山氏、市江氏)、比田勝大直(福岡ベース) 写真=時事通信フォト)