河野製作所で超微細針の加工を手がける社員(同社ホームページより)


 時計の針から手術用針の製造に事業をシフトした会社がある。秒針のように先端の尖った時計針の加工技術を生かしたこの手術用針は、直径0.03ミリで世界最微細を誇る。

 医療機器メーカーの河野製作所(千葉県市川市)だ。発売してから15年以上経つが、いまだ追随する製品は出てこない。この驚異的な製品を誕生させた技と工夫とは何か。医療分野のニッチを狙った同社のものづくりを紹介しよう。

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想像を超えた超微細、0.03ミリの手術用針

 「直径0.03ミリの手術針」と言われても、「日本が誇る微細加工技術の賜物なんでしょうね」という反応で終わってしまうのではないだろうか。その凄さはなかなか想像しにくい。実は医療の世界でも、この針が誕生した時、同じような受け止め方だった。

 当時の一番微細な手術針は直径0.08ミリ。ドクターにとってもその針でできる手術が最も微細なものだった。しかし、0.03ミリの手術針の登場は、これまで不可能だった太さ0.5ミリ以下の血管を縫合ができることを意味した。

 実際の医療現場で、何ができるようになったのか。例えば、直径が0.3ミリの非常に細いリンパ管の手術によるリンパ浮腫の治療だ。

 リンパ浮腫は、リンパ液が流れるリンパ管が詰まってしまい、手足がむくんでしまう症状を言い、子宮がんや乳がん、前立腺がん、大腸がんなどの術後の後遺症として起きる。

 このリンパ管と細静脈をつなぐことができれば、リンパ液が細静脈を介して排出される。この治療により手足の腫れが軽減されるのだ。今ではリンパ浮腫の患者を救う外科医から、この超微細樹な手術針が高く評価されるようになった。

 職人技に頼り切らずに半自動化

河野製作所の4代目社長 河野淳一氏


 そもそもなぜ、0.03ミリの針を作ったのか――。河野製作所の4代目社長、河野淳一氏(53歳)に開発当時の話を聞いた。

 時は半世紀さかのぼる1965年。奈良医大整形外科の玉井進医師が世界で初めて親指の切断指の再接着に成功した。

 この当時、切断された部位の再接着や、移植は非常に難しい技術だった。この頃に、こうしたものを縫えるような器具を作ってほしいと、外科医から言われたのがきっかけだったという。

 「0.07ミリ、0.06ミリ、0.05ミリまでは、何とか職人技で作ることができていました。とはいえ、100本中5本しか作れないレベルです」

 「また、ものづくりの世界で言われていた『職人の高齢化』問題にも悩まされたました。仕事を担っていた職人さんが病に伏し、引退。職場には仕事を引き継げる人も、同等の技術を持った人もいなかった」

 「これでは立ち行かない」と奮起した河野氏は、職人の感覚だけが頼りだった製造工程のうち、数値化できるものを洗い出し、半自動化を目指した。工具や機材なども社内で製作した。

 誰でも感覚を身につけて操作さえ覚えれば製品を作れる。そのようなシステムを試行錯誤ながらも完成させたのだ。この成果で生まれたのが、職人技だけでは生み出せなかった世界最小の手術用針だった。

今までにない市場を生み出してこそ

マイクロサージャリーの様子(河野製作所HPより)


 しかし、世の中になかった製品を開発しても、それを使える人が存在しない可能性がある。この超微細な針はまさにそうだった。

 河野氏と営業担当が「先生、使ってみてください」と提案をして回り、ようやく1人の医師と出会った。それがきっかけで、この針のリンパ浮腫の治療への採用が広がっていった。

 河野製作所は、創業者が時計メーカー勤務ののちに時計針などの下請け製造業として1949年に設立された。しかし、この業態は競争が激しく、経営が尻窄みになることは見えていた。

針と糸で血管を縫合するイメージ(広島大学病院国際リンパ浮腫治療センター センター長 光嶋勲先生ご提供)


 この頃、臨床医療の外科手術が発展していたことが幸いし、時計針の製造技術を見込まれて手術器具の開発依頼を受けたことをきっかけに医療機器メーカーに転じた。

 最近では、国産品としては初めて体内で分解吸収される縫合糸を市場投入した。この製品も試作品の完成からも平坦な道のりではなかった。

 複数の大学病院の協力を得て安全性などを確かめる治験を必要とし、厚生労働省の承認を得るまでに10年もかかっている。

 それでも、医療に新しい風穴をあけることに生きがいを感じている河野氏だ。新しいもの作りへのスピリットを次のように語る。

 「職人技の限界を超え、新規市場を作るのが、我々が取り組むべきもの作りです。大量生産品は大手に任せて、ベンチャーは多品種少量で、採算とブレークスルーを狙いながら市場を創造していかねばなりません」

全社横断型の組織が成長のエンジン

 医療機関など外部との密な連携が必要な医工連携。社内単独の部でやり抜くのは難しい。

 そこで同社は全社横断型の組織として、品質保証や営業、技術、購買の全ての課から人を集めたチームを編成、新製品を立ち上げていく組織「イノベーション&テクノロジー会議」を設置している。そこには上下関係は生まれない。

 「技術ありきだと、出口を見ずにモノを作ってしまう。価格も合わないしニーズとかけ離れることもある。最初から出口を見据え、プロモーション計画を考えたうえでどのように技術を製品化するかを考えてモノを作らないと、たとえ素晴らしい製品ができても、結果として誰にも使ってもらえません」と河野氏。

 技術シーズの発掘から基礎研究、試作、製造、承認、学会発表などの計画を一貫して考えるチームを社内で構築した。1つの組織に畑違いのメンバーが揃うと、感覚的なずれや、経験から身についた常識がやすやすとは通じない環境が生まれるからだ。

 「それまで全く理解できなかったことが分かるようになる。例えば、技術は営業に興味がないので、営業ともの作りを組ませて、意見を戦わせています。そうすることで、お互いに本質が分かってくる。これが訓練であり、我が社の人材育成です」と河野氏は言う。

医工連携のコネクター役になる

 工学の世界では、まだまだ研究課題が多い技術でも、医療の分野ならばそのままでも十分に対応できる技術があふれている。社員は、そういったものを吸い上げていく。

 それを医学部の先生からの相談ごとに「実はそれを解決するにはこういった基礎技術がありますよ」とコネクトしていくのだ。

 河野氏によれば、「医工」の医学部と工学部は、えてして話が噛み合っておらず、その理由は学部が違うと、同じ日本語でも 言葉が通じないことが多いからだそうだ。

 そうなると教授同士が会話をしなくなる。「伝えといてくれ」と人に頼んだところで、伝言ゲームではコトはうまく運ばない。

 そこで同社の社員が医学部と工学部の先生の間で意思疎通が生まれるようコネクトすることにより、開発を担う案件を増やしてきたというわけだ。

 市場規模が小さかったり採算が合いそうになかったりすると大手企業ではやらないと判断しがち。しかし、小さな市場でも医療の分野には非常に必要とされる製品はたくさんある。そこを河野製作所は狙うのだという。

 「大手企業がやらないこと、患者さんにニーズがあること、採算が合うかどうか分からないところを見極めています。これがニッチ分野のもの作り開発であり、企業として存続意義のあるところです」

 「新しいことに挑戦するベンチャー魂を育ててきた。無理難題に直面したときの社員の姿勢が大きく変わったと感じています」

 河野氏は確かな手ごたえを感じている。

 医工連携――。世界で最も早く超高齢化時代を迎える日本にとって、ここに大きなチャンスも広がっている。優れた技術とノウハウを持つ日本の中小企業がこの分野で飛躍的な成長を遂げることも可能だ。

 次回もこの分野に挑戦している日本の中小企業を紹介する。

筆者:柏野 裕美