英領北アイルランドからアイルランド共和国へ入る目印。「ドネゴール郡へようこそ」としか書いていない

写真拡大

 EU離脱に揺れる英国。しかし揺れているのは英国だけではない。特に、陸地で国境を接するアイルランド(1973年にEU加盟、ユーロ導入)への影響は甚大だ。日本ではほとんど報じられることのないその現場をリポートする。

◆日常生活の中に浸食していた英国とアイルランドとの戦争

 英領北アイルランドとアイルランド共和国との国境の街・デリー(ロンドンデリー)。市街中心部にある城郭の上に登ると、眼下にはカトリック教徒が集まって住んでいる下町が広がる。隣接するアイルランド共和国ドネゴール郡で年金暮らしを営むエンリ・マッケイは、そこで生まれた。1kmほど先に見えるカトリック教会の尖塔を指差して、自身の生い立ちを語り出した。

「私はあの教会のすぐ目の前で生まれました。周りもみんなカトリック。神父の話を聞いて育った私がやはり神父になるのは、自然なことでした」。学校もカトリックとプロテスタントで分かれている。「そうやって、私たちは子どもの頃から自然に分かれてしまっていたんです」

 普段の生活に、戦争が侵食していった記憶が彼にもある。

「ある夜家路を急いでいたら、闇の中で突然何かにつまずいたんです。なんだろうと思ったら、地に伏せて銃を構えた兵士でした。銃撃戦の音が聞こえ、息を飲んで逃げるように帰ったことを今でも覚えています」

◆カトリックとプロテスタントの抗争の歴史が今も影を落とす

 現在でも、そのトラウマを抱えた住民は多い。

「今日ですら、鮮やかなオレンジ色をしたジーンズ姿の若者を見て、一瞬体がすくんでしまったという年配者もいます」とマッケイはため息をつく。

 オレンジは、1688年にイングランド王座を追われたカトリックのジェームズ2世と1690年に戦ってこれを破り、アイルランド支配とカトリック迫害を強めたプロテスタントのイングランド王、オレンジ公ウィリアム(ウィリアム3世)にちなんだ色だ。現在でも、その「功績」を讃える「オレンジメンズデー」(7月12日)にはプロテスタント系住民によるパレードが開催され、カトリック教徒とのいざこざが発生することもある。

 カトリック教徒が集中的に住む下町を歩くと、あちこちで壁画を見かける。そのほとんどが、“The Troubles”(「トラブル」)と称された、20世紀後半における英国による弾圧に戦った地元カトリック系住民の姿を描いたものだ。いかにして彼らが英国に対して戦い、また不当に抑圧され、投獄され、殺されていったかを、圧倒的な写実力で迫る。

 1969年から1972年にかけて、カトリック系の市民がバリケードを築いたボグサイド地区では住民が「自治」を宣言し、英国軍の侵入を阻んだその入り口で、“You are now entering Free Derry”(この先デリー解放区)と大きく書かれた壁が往時を伝える。その先にはフリー・デリー博物館があり、「血の日曜日事件」を中心に「トラブル」について詳細に伝承している。

 訪問者は、表面的には平和なこの街のあちこちに、紛争に起因する文化が深く根づいているさまを目の当たりにするだろう。平和構築を目指す地域住民の心からは、まだ紛争が完全に拭い去られたわけではないのだ。

◆国境をまたいで生活する人々

 アイルランド共和国ドネゴール郡。丘陵地に牧草が広がる片田舎に住むここの人びとにとって、最寄りの都市は英国領のデリーだ。マッケイもドネゴールの住人だが、買い物や妻の仕事などでデリーを日常的に訪れる。ドネガンもバンドの練習などのために国境をまたぐ。デリーのパブでは、どちらに住んでいるかなど関係なく、皆がアイリッシュ・エールビールを飲みながら、アイリッシュ・ミュージックを奏で、あるいはその演奏に耳を傾ける。