あなたの周囲に、頻繁に人を指差す人はいますか?

 もし、そういう人がいたら、例えば上司や同僚、部下などに見かけるようだったら、注意した方がいいかもしれない、というお話です。

 世の中には「人を指差すのはやめた方がいいですよ」と言いながら指で差す動作を繰り返す人がいます。国会の内外でしばしば指摘されますが、一向に直る気配がありません。

人を指差すのは無礼、失礼な行為などと言われます。しかし、この種の曖昧な指摘には「そんなのは主観の問題、マナーは文化によって違う」と開き直られてしまえばどうしようもありません。

 そもそも日本語で、2番目の指を「人差し指」と言うではないですか。これは英語でも同様で「ポインター、Pointer」とか「インデックス・フィンガー、Index finger」と呼ばれます。

 インデックスというのは目印、指数などという訳語もあるくらいで、この指にとって「指差し」という動作はなかなか本質的であるのが知られます。

 フランス語では人差し指そのものが「l’index」、これはラテン語が直輸入されたもので、今日私たちがインデックスをつけていく、なんていうのは、古代ローマ人たちが人差し指でチェックしていた習慣そのままなんですね。

 現代でも電車の車掌さんも「指さしかくに〜ん」なんてやっている。またドイツ語では「Zeigefinger、人に何かを指し示す指」と、この指を名づけています。単に自分が指差すだけでなく、これこれ、と第三者、人に対して教えるということですね。

 さらに中国語では人差し指を「食指」と名づけている。現代人も「食指が動く」なんて言いますよね。何かに興味を持ち、特に「食べたい、欲しい」と思ったとき、この指が動いちゃう・・・。

 中国四千年の伝統でも、どうやらこの指の動きは本能と直結し続けてきたらしい。こうやって考えてみると、人差し指ひとつでも源流探訪はなかなか興味深いものです。

 洋の東西を問わず、これほど普遍的であるというのは、何か人間にとって本質的な背景があるからと考えるのが自然と言うより、自然科学を学ぶと、そのような問いかけが有効であることを知ることになります。

 実際、この問題については生理的な背景がきっちり存在しています。

 「人差し指」で何かを差す行動とは、本質的に何であるのか、明らかにしてみましょう。

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生命の進化と人間のアタマ

 人類がサルではなくヒトらしいヒトになった、決定的な進化は「直立歩行」であったとされます。

 2本の足で立てば、頭が肩の上に乗る。これが四つん這いだと、頭は前に下がってしまう。

 犬や猫の頭はコンパクトです。だから機敏に走ることができ、獲物を捕らえるのにも便利です。これがゴリラやオランウータンだとどうでしょう?

 彼らが走る姿は人間のそれにも通じますが、あまり格好のいいものではありませんね。でも彼らは頭蓋骨を背骨の真上、肩の上に乗せているので、頭が大きく成長し、脳が大きく発達する可能性を、人類の進化に与えました。

 「個体発生は系統発生を繰り返す」という言葉があります。お母さんのお腹の中で精子と卵が結合した瞬間、まだ1個の細胞でしかない「胚」は盛んに分裂を始め、地球上での全生命の進化史をなぞり返しながら、その現時点での到達点である霊長類である人間、つまり私たちの体を作り上げます。

 進化の結果、私たちは大きな頭蓋骨を持ち、大きな頭脳も持ち、高い知性も持って高度な文明生活を営んでいます。

 しかし、赤ちゃんがこの世に生まれて出てくるとき、そんなに大きな頭では、お母さんの出産が大変です。仮に大人の頭が出てきたら、妊婦の産道は破れてしまうでしょう。

 出産のたび、いちいちそんなに産褥のリスクが高ければ、とてもではないですが、過酷な自然の淘汰の前に人類は生き延びることができなかったに違いありません。

 結果、人間の赤ちゃんは分娩時、まだ比較的小さな頭のまま、この世に生まれ出てくることになります。新生児の頭は継ぎ目がまだフカフカしていますよね。ああいうのを見ると、これから大きく育てよ! という気持ちになるものです。

 翻ってサイエンスではこういう進化と発達を考える学問は「あかちゃん学」と呼ばれています。

 私たち音楽家にとって重要な赤ちゃん学のポイントは、二足歩行ができるようになると首がまっすぐになるので、普通の発声ができるようになり、言葉を覚え、歌が歌えるようになるという部分にあります。

 それ以前のあかちゃんは「なん語」と言って、むにゃむにゃした発音しかできません。私たちの作曲指揮研究室ではこれに関連する仕事がありますが、ここで触れる紙幅はありませんので、別論といたしましょう。

 ご存知のように生まれたばかりの赤ちゃんは立つことができません。首も据わっていない。これは、今後大きくなっていくだろう頭蓋に合わせて「座る」必要があるから、柔軟なまま誕生してくるわけですね。

 馬でもトムソンガゼルでも、キリンでもインパラでも、サバンナを俊足で駆け巡る草食動物の赤ちゃんは、生まれた直後から立ち、歩き、そして走り、必要があれば肉食の天敵から逃れ去ります。彼らは軒並み小さな頭をしている。これと対照的と思っていただければと思います。

乳児の発達と指差し

 人間の赤ちゃんは9か月齢ほどになると「ハイハイ」から「つかまり立ち」そして「二足歩行」へと発達していきます。

 生物の系統進化としてはサルからヒトに進む段階で、実際、先ほど記したように、この時期の赤ちゃんは人間の「声」を獲得し、母音の分節があり、そのうえで「言葉」を発し、「言語」を理解できるようになっていきます。

 それ以前の赤ちゃんにはミニマムの自他の別以外、分別がほとんどありません。

 さて、赤ちゃんがつかまり立ちや二足歩行を始めるのと並行して、脳も大きく成長し、複雑な行動、運動が可能になっていきます。その成長の最初の段階で見られる、重要な「指標」の1つに「指差し行動」があります。

 10〜11か月齢ほどで見られ、最初のお誕生日あたりまでにはきちんとものを指で差し、それを見据え、またお母さんに「これ、これ」と指し示すこともできるようになっている。個体差の大きい現象なので一概には言いにくいですが、こんなふうに言って大きく外れないでしょう。

 人間の乳幼児が、単に泣くのでなく、主として母親/養育者との間で、世界に存在する第3の事物を関連させる、最初のコミュニケーションの1つが「指差し行動」にほかなりません。

 あかちゃん学では「指差し行動」に、少なくとも3つほどの意味があると考えます(このあたりは様々な考え方があり、小児科のお医者さんなどご異見おありでしたら、ぜひ編集部までお知らせいただけば、参考にさせていただきます)。

 第1は、自分の興味、関心のあるものを指差す行為、端的に言えば「これが欲しい」「これが食べたい」という意思表示で、自分の欲望が示されます。

 指を差さねばならぬのは、欲しいと思っても自分自身でさっさと取りに行くだけの脚力も能力もまだ未発達、非力でか弱い存在であるために、まず指差しから始まる。中国語で「食指」というのは、ここに生理的、発達的な起源があるものと考えて大きく外れないでしょう。

 これは発達すれば自然に後退していくものです。大人なら、いや、すでに機敏に活動する少年少女であれば、指差しの必要がありません。

 第2の指差しは、興味や関心のあるものを指さして、お母さんに「これとって」「あれ頂戴」とリクエストする要求、あるいはテレビ画面に「ピカチュー」など知っているものが登場すると「アレ、アレ」とお母さんに伝える、主として共感のコミュニケーション・ツールとしての指差し行動が見られます。

 ただ単に自分の欲望を発散する、夜泣きの延長みたいな指差しよりも、高度に発達した知能が必要になるわけです。

 これも、普通に成長して別途のコミュニケーション能力を獲得すれば、わざわざ指差す必要はなくなり、使用頻度が減っていく性質のものです。

 さらに第3の指差しとして、いまだ言語能力が十分でないとき、自分の思考や意思、あるいはクレームを伝達するなど、理解・応答のコミュニケーションに指差しが使われます。

 「マーちゃんはミルクが欲しいの? それともリンゴ?」

 「⇒」

 幼児は多くの場合、簡単にご機嫌斜めになり、泣いたり怒ったりするわけですが、

 「おもちゃ取られちゃったの?」

 「」(頷く)

 「誰が取ったの? お兄ちゃん? それともポチが取っちゃった?」

 「⇒」

 こういう反応ですね。何にしろ、人間として成長、発達し、適切に能力が身につけば、目立つ指差しの行動は見られなくなっていきます。赤ん坊が直情的に使うコミュニケーションですから失礼とされ、マナー上禁止する文化も出てきます。

 ちなみに私たち指揮者はオペラの演奏で、舞台上にいる歌手に左手で指示を出すとき、できるだけ「指差し」せず、人差し指から小指まで4本の指をそろえてキュー出しするように教わります。

 一本指で差すのはキツいシグナルになります。

 でもきついシグナルが必要な場合もある。オーケストラのひな壇で、隣に並んでいる2番フルートとピッコロを指し示し分けるようなタイミングですね。

 こういうときは、指の腹を上にして示すと、はるかに柔和なニュアンスになります。そういうテクニックを30年来、仕事で反射的に使っていますので、この種の案件に私たちは敏感なのです。

 いわゆる「指差し」を行うときには「私は皆さんより上位にいますよ」と宣言する意味があふれまくりますので、プライドの高いオーケストラ楽員会を敵に回したくない指揮者は、そういうことは避けるものです。この種のことに鈍感な人がポジションを失う例は枚挙に暇がありません。

 社会的な場で人を指差す人がいれば、それは「自分が相手より上位だ」と鋭くアピールしようとしている潜在意識が強く想定されるでしょう。

 この際、指差している人は、何らかの心理的フラストレーションをためており、かつそれを自分自身では解決する能力を持たない、非力でか弱い本質を持ちながら、それを見せないよう虚勢を張るような場合、頻繁にこの種の乳児行動が出てきてしまう、一種のチック症状と思って見る方が、処世術としては安全でしょう。

 もし身近に、頻繁に指差す人がいれば、私の知る中にもそういうかわいそうな教授屋さんがありますが、自分の無力、非力に本質的にはイライラしながら、それをマナーで隠す賢慮を持たない人であると懸念されますから、近づかない方が安全かもしれません。

 国会などで人を指差す人物がいれば、野党議員であろうと閣僚であろうと、実際にはイライラをためた、本質的には非力で無能な人が立ち居振る舞いの基礎マナーも学び損ねている可能性が高い。

 次回選挙では間違ってもそういう人には投票しないのが、自然科学の背景から指摘できる1つのアドバイスではないかと思います。

筆者:伊東 乾