【男子マラソン界の星・井上大仁 前編】

 昨年のリオデジャネイロ五輪では、佐々木悟(旭化成)の15位が最高成績に終わった日本男子マラソン。2020年の東京五輪に向けて新たなスタートとなる今年、8月にロンドンで開催される世界陸上選手権の代表には、34歳の中本健太郎(安川電機)と30歳の川内優輝(埼玉県庁)に加え、社会人3年目の24歳・井上大仁(ひろと/MHPS:三菱日立パワーシステムズ)が選ばれた。


東京マラソンで粘りの走りを見せ、世界陸上の代表に選ばれた井上 3人の中でのトップタイムは、2月の東京マラソンで日本人トップの8位に入った井上の2時間08分22秒(日本歴代22位)。初マラソンとなった昨年3月のびわ湖毎日マラソンを2時間12分56秒で走った井上が、2度目のマラソン挑戦となった東京で意識していたのは2時間07分台で、展開次第では2時間06分台も視野に入れていたという。

「東京では5km15分前後のペースでどこまで押せるかを試したかったので、1km2分58秒のペースメーカーにつく予定でした。でも、スタート直後から彼らが先頭のペースメーカーについていってしまい、5kmの通過が14分15秒という速いペースになってしまった。『このままいくしかない』と、近くにいた(ヨハネス・)ゲブレゲルギシュ(エリトリア)と一緒に前を追いかけたんですが、10kmの通過が29分13秒と速いままで。設楽悠太さん(Honda)はそのままいったんですけど、自分は厳しいと思ってペースを落としてしまいました」

 その後はゲブレゲルギシュと並走しながら粘り、失速した設楽を38km付近で抜いて日本人トップにはなったものの、「我慢できたこと以外は弱さを感じる結果でしかなかった」と井上は反省する。

「タイムは2時間08分22秒でひとまず形にはなりましたが、38kmで設楽さんを離すためにスパートをかけた後は足が動かなくなって、勝負できる力が残っていませんでした。最後の2kmでゲブレゲルギシュに置いていかれたのも悔しいです。川内さんや中本さんならそこでギアを変えていくし、最後の最後に追い切れる力がないと世界選手権では勝負にならない。そこが7分台に届かなかった原因だと思っています」

 理想としては、かつて2時間6分台を記録した藤田敦史や犬伏孝行、高岡寿成のように5km15分前後で最後まで押していくレースをしたかったという。

「そういうレースができるようになった上で、最初の10kmが29分前半になっても抑えずに1km3分弱のペースで走れる力を上積みしたいです。設楽さんが東京でやったようなレースをしても最後までついていける力があれば、五輪や世界選手権のように前半は遅いペースで後半に一気に上がるレースにも対応できるんじゃないかと。

 欲張りすぎだと言われるかもしれないですけど、記録や順位はもっと伸ばしたかったですね。東京では自分の前に7人も選手がいて、1位と約4分半も離されてしまった。黒木純監督は『持っている力は出し切れた』と評価してくれましたし、世界選手権も現状の力でうまく組み立てて戦うしかありませんが、さらに上の次元で勝負するためにはもっと力をつけることが不可欠だと痛感しました」

 レース後半の課題に気づいたのは、初マラソンのびわ湖だった。井上は15kmまで5km15分0秒台の集団につき、25kmまでもそれぞれの5kmを15分台前半でまとめるなど合格点に近い走りをした。しかし、そこからは15分48秒、16分30秒、17分04秒と失速して2時間12分56秒でゴールしている。

「びわ湖の時はマラソンを知らなすぎましたね。タイムだけを見れば最初は順調でしたけど、集団の中で走りを安定させることができなくて。それで後半になって一気に崩れてしまい、ゴールタイムは2時間13分近くまでかかってしまいました。経験や練習が不足していたというよりも、気持ちの面で準備が足りていなかったと思います」

 黒木監督が井上にマラソン挑戦を打診するきっかけとなったのは、昨年の元日に行なわれたニューイヤー駅伝だった。井上はエース区間4区を走り、チーム順位を10位から6位まで上げ、区間新記録を更新した設楽悠太とわずか30秒差の区間3位に入った。

 東京五輪をマラソンで狙うために、早いうちから五輪予選の緊張感を経験させておきたいと考え、黒木監督はその日の夜に「マラソンを走らないか」と井上に提案した。井上はひと晩考えて「やります」と返事をしたが、びわ湖までの準備期間は約2カ月しかなかった。

 練習内容は、同じチームの先輩で2014年に2時間08分09秒を出し、同年のアジア大会で2位になっている松村康平の練習を参考にした。ポイント練習は順調にできて、2時間09分台を出せるくらいの手応えはつかめたが、トータルでは少し抑えすぎた部分もあったと振り返る。

 しかしその挑戦が、大失敗でも大成功でもないという結果で終わったのは、井上にとって幸いだった。本人も「自信をなくしすぎる結果でもなかったし、調子に乗るような結果でもなかったので、次に必要なことを冷静に見極められたレースだった」と話す。

「マラソンで最後まで体力が持つようにするためには、土台を作ることが必要だなと感じました。ポイント練習だけできても、それは本番の後半には活きないなと。それで、先輩の松村さんや木滑良(きなめ・りょう=2017年に2時間10分30秒をマーク)さんがやっている、ちょっと体が重い状態で15〜16kmを朝夕1回ずつ走る練習を繰り返して、土台を作ることができたと思います」

 その練習の成果が今年1月のニューイヤー駅伝で発揮される。今年の4区は3年連続の区間賞を狙う設楽だけではなく、社会人1年目の神野大地(コニカミノルタ)や服部勇馬(トヨタ自動車)が注目されていた。

 そんな中、7位でタスキを受けた井上は、後方から追いついてきた今井正人(トヨタ自動車九州)や前を走っていた村澤明伸(日清食品グループ)と並走する。4.5kmで14秒後に走り出した市田孝(旭化成)に抜かれて突き放されるなど、「前半は体が重くてなかなか動かなかった」とレース後に話した今井と同じように、少し遅いペースにハマってしまった感じだった。

 だが、その今井と共に粘る走りをして徐々に順位を上げ、20.9kmで3位に浮上していた市田に追いつく。厳しい向かい風が吹く終盤では、今井と市田を突き放して単独3位に上がり、2位のトヨタ自動車に7秒差、トップのDeNAに11秒差まで迫ってチーム初入賞(4位)への足掛かりを作った。

 区間順位は前年と同じ3位。市田と今井にはタイムで僅かに及ばなかったが、競り合った2人より先着して「勝負では勝つ」という、昨年より成長した走りを見せた。

「スパートには自信があったので、何回か離されかけても『この人たちは自分より強いからしょうがない』ではなく、『絶対に負けない』という気持ちを出し切れました。最初は体が重くて我慢のレースになりましたが、最後の最後でいけたというのは大きなプラスになったし、苦しいなかでも粘り切る泥臭いレースができたと思います」

 そのレースが東京マラソンにつながる。設楽に離された時も、ニューイヤー駅伝で我慢できたことが力になった。井上は「最後の我慢勝負になったら負けないという気持ちを持つことができたし、全体を通して押していけました」と力強く語った。

 マラソン強化戦略プロジェクトリーダーを務める瀬古利彦氏は、自らの現役時代について「自分たちは2時間5〜6分の練習を常にしていたから、試合で2時間8分台を出せたし、何度も結果を出せた」と話す。井上も、東京マラソンではしっかり準備をした上で、自信を持ってスタートラインに立ち結果を残したものの、海外勢との「勝負」を見据える男に驕(おご)りはない。

「駅伝のような短い距離だったらごまかせるかもしれませんが、マラソンでは自分を過信してもダメだなというのを実感しました。初マラソンが2時間12分台で2回目の東京が2時間8分台と、今のところは着実にやれているなというのがある反面、ここから突き抜けられるのか、もっと上に行くためにはどうしなければいけないのか、という面ではまだ不透明な部分もある。

 本当に大記録を出せるのかとか、ケニア人選手と戦えるのかというのもずっと頭にあって……。ネガティブになるわけではないんですが、日頃の練習をしていても『これでいいのか? これで勝てるのか?』というのはいつも考えています」

 自分の成長に満足せず、足元をしっかり見ながらの前向きな発想。それは、山梨学院大で過ごした4年間で植えつけられたものかもしれない。

(後編に続く)

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