2011年3月11日に起きた東日本大震災。未曾有の被害が列島を襲ってからすでに6年が経った。伝わる情報を見聞きする限りは、着実に復興が進んでいるかのように見える。

 

街を復興していくうえで大きなカギとなるのが、鉄道を含めた公共交通機関の復旧と整備だ。そこで筆者は、5月初頭に岩手、宮城の沿岸地域を歩き、復興が進む現状を確認してきた。はたして、街の復興とともに公共交通機関の復旧は順調に進んでいるのだろうか?

 

◆被害が大きかった岩手・宮城の沿岸部それぞれの対応策

津波により大きな被害を受けた岩手県と宮城県の沿岸部。両県では、公共交通機関の再建方法が大きく異なっている。岩手県はあくまで鉄道路線による再建を目指す。宮城県の南三陸地域では鉄道路線の再建を諦め、BRT(バス・ラピット・トランジット)システムの利用による復興を進めている。

↑三陸鉄道南リアス線の盛駅(岩手県大船渡市)。この駅から南を走る大船渡線はBRTシステムにより復旧された。三陸鉄道のホームのすぐ横に大船渡線BRTのホームがある

 

今回は三陸鉄道を中心に、公共交通機関の維持を図ろうとしている岩手県の現状を見ていこう。三陸沿岸では町の復興が進む一方で、公共交通機関の今後の難しさを予感させるいくつかの現象に出会ったので紹介していきたい。

 

北リアス線の田老駅で見た光景

三陸鉄道は北リアス線(久慈〜宮古間)と、南リアス線(釜石〜盛・さかり間)の計107.6kmで列車を運行する第三セクター鉄道である。三陸沿岸を走る路線ということもあり、東日本大震災の影響は甚大だった。にもかかわらず、震災が起きた5日後には北リアス線の陸中野田〜久慈間の運転を、そして3月20日には北リアス線の宮古〜田老間の運転を再開させた。その後、徐々に運転区間を延ばしていき、2014年の4月には全線で運転再開を果たしている。

↑三陸鉄道北リアス線の田老駅。駅からは海岸にかけて今も多くの空き地が広がっている

 

北リアス線に平行するように土手上を国道45号が走るが、国道の海側も駅の側にも民家はほぼない。更地となり、そこには太陽光発電所やセメント工場が造られていた。高台にある田老駅だが、震災時に津波は10mの高さの大防潮堤を乗り越えて駅の築堤まで押し寄せたという。そのため、駅前や沿岸地域に立つ民家が大きな被害を受け、200人近い死者と行方不明者を出したとされる。現在、津波が残した痕跡はきれいに片づけられ、駅からやや離れた高台に住宅が新設されている。

↑田老駅から見た田老海岸方面、かつての住宅地は更地にされ太陽光発電所となった

 

南リアス線唐丹駅の駅前で進むかさ上げ工事

次に訪れたのは南リアス線の唐丹(とうに)駅。この駅にもホーム上まで津波が押し寄せ、唐丹湾を臨む小白浜の民家も甚大な被害を受けた。約200戸の家屋のうち4割が全半壊、駅近くの小学校も被災した。

↑南リアス線の唐丹(とうに)駅。駅前後の路盤はかさ上げされ復旧されている

 

唐丹駅は地盤沈下したため、30cmほどかさ上げされ、路盤が修復された。駅前の小白浜地区では防波堤の新設と共に、全半壊した住宅の跡地は更地となり、かさ上げ工事が行われている。高台に造られた仮設団地で住む人々も、こうした工事が終われば同地区に戻ってくるのではないだろうか。

↑唐丹駅前の現状、国道45号の海側では元住宅地のかさ上げ工事が始まっていた

 

北リアス線と南リアス線を結ぶ旧山田線の修復が進む

北リアス線の宮古駅と、南リアス線の釜石駅の間はJR東日本の山田線55.4kmが走っていた区間でだ。この山田線も例に漏れず、沿岸部を走る路線を中心に被害を受け、震災後は列車の運行がストップしたままになっていた。

↑駅舎が残るJR山田線の津軽石駅。ホーム下では路盤の修復工事が進む

 

JR東日本では、気仙沼線、大船渡線の一部をBRT方式で仮復旧させたが、山田線でもBRT方式での復旧を岩手県に打診した。だが、岩手県および沿岸自治体では頑なに、鉄道による復旧を求めた。その思いに折れる形で、JR東日本は山田線の復旧工事に着手(修復費用のうち一部は公的資金を利用)。2018年度には釜石〜宮古間の路線が復旧される予定だ。実際に釜石駅から2つめの駅だった津軽石駅を訪れたが、路盤工事も順調に進められていた。

↑津軽石駅近くの修復現場で。路線バスを待つ高校生たちがベンチで一休み

 

この山田線はJR東日本の手で復旧工事が進められている。だが「復旧後の運営は三陸鉄道でやって欲しい」とJR東日本では無償譲渡を申し入れた。これによって南北リアス線が直接結ばれることになる。一見、順調にことが運んでいるように見えるが、これは三陸鉄道と地元にとって素直によろべることではなかったようだ。

↑山田線跡を山側に一歩入ると、各所でレールが震災前の姿のまま残されている

 

山田線の無償譲渡でさらに苦難の道を歩むのか

筆者が訪れた田老駅に唐丹駅。行ったのが休日ということもあったのかも知れないが、列車が発着しても乗り降りする乗客の姿がほとんどいない。列車の乗客も少なめだった。三陸鉄道の乗客のうち、平日は10代が44%を占めている。ようは通学利用が大半なわけで、休日に列車が空いているのは当然といえるのだろう。

 

とはいえ、2014年度の収支を見ると営業収益4億5365万円で、6億296万円の営業費用がかかっている。これを差し引くと、1億4931万円の赤字なのだ。さまざまな補助金を計上することで、ようやく純利益8683万円の黒字になる状態で、輸送人員は年々のように減り続けている。

 

この最大の原因として上げられるのが、沿線12市町村の人口が減り続けているという現実。一方で、沿線自治体の乗用車台数は増え続けている。三陸鉄道の輸送人員が開業時(1984年度)を100とすると、2010年には31.7%にまで減少していて、さらに追い討ちをかけたのが東日本大震災だった。

 

◆住民の8割が三陸鉄道を利用していない現実

過去に岩手県では、駅周辺に住む人を中心に三陸鉄道に関するアンケートを行っていた(回答者976人)。その結果、三陸鉄道を「全く利用しない」が39.8%、「ほとんど利用しない」が41.5%と回答。つまり、沿線に住んでいても8割ほどの人が三陸鉄道を利用していないわけだ。その理由は「ダイヤが不便」(26.4%)、「バスとの乗継ぎが不便」(17.2%)、「駅が使いにくい」(13.2%)」という交通環境の整備に関するものに集中。一方で、50%の人たちが自動車を「毎日利用」と答えている。

 

三陸鉄道の“苦戦”は、震災によって住環境が変化してしまったことも大きいように思われる。田老駅や唐丹駅のように沿岸部にある駅の場合、駅近くの住宅が津波の被害に遭い、駅から離れた高台に造られた新築住宅や仮設住宅への転居を余儀なくされた。駅から離れてしまうと、おのずと列車を使わず、マイカー利用や国道45号を走るバスを頼りにする人が増えてしまうのだ。

↑岩手県の沿岸部では高速道路の整備が精力的に進められている

 

バスと列車の便利さの違いについても言及しておこう。三陸鉄道の列車本数は少なく、日中は約2時間に1本という状態。例えば、田老駅前を通るバスはほぼ一時間に1本が走り、釜石市街地へ出ることができる。JR山田線の津軽石駅などでは、朝夕のバス便は15分おき、日中でも30分〜1時間おきに釜石市中心部へバスが走る。たとえ山田線が復旧しても、バスに太刀打ちできないように思えてしまう。

 

しかも、三陸沿岸では沿岸を南北に縦断する高速道路の建設工事が急ピッチで進められている。高速道路がくまなく沿岸を走れば、さらに三陸鉄道の利用者は減っていくことになるだろう。

 

さらに現在、盛岡駅と宮古駅を結ぶ山田線が走っていない。2015年末の土砂崩れと、台風10号により川内(かわうち)〜上米内(かみよない)間が不通になったままとなっている。この区間の復旧は2017年の秋ごろになる予定で、盛岡〜宮古間の移動はバス利用しかないのが現状。弱り目にたたり目ではないが、三陸鉄道の営業に少なからず影響していると思われる。

↑JR宮古駅はJR山田線と北リアス線の接続駅。ところが宮古駅と盛岡駅を結ぶJR山田線も災害によって寸断されている

 

だが、三陸鉄道もそうした逆風に手をこまねいているわけではない。北リアス線でも南リアス線でも週末を中心に観光列車を運行、多くの利用者を集めている。北リアス線では「お座敷列車北三陸号」を運転。車内で新鮮な三陸の海の幸が楽しめるとあって人気だ。ほかに「こたつ列車」「ランチ列車」「震災学習列車」「お絵かき列車」「ゾロリ列車」など、企画列車をことあるごとに運行している。あわせて、乗客の高齢化にも対応。一部の駅のバリアフリー化も推し進めている。

↑北リアス線の観光列車「お座敷列車北三陸号」。車内で海の幸などが楽しめる

 

先の沿線住民へのアンケートでも、三陸鉄道の必要性を聞いたところ71.1%が「将来に渡り維持、存続させていくことが必要」と回答している。乗らないけれど、維持はして欲しいという気持ちが強いわけだ。

 

厳しさを痛感した筆者も、三陸鉄道には今後ともぜひ走り続けて欲しいと願う。そのためには官民一体の支援と、地元だけでなく私たちのような遠方地に住む人たちも、積極的に乗りに行くことが必要だろう。

 

2018年度には山田線の復旧により、北リアス線と南リアス線が結びつく。美しい三陸海岸を南北に結ぶ三陸鉄道。それを機会にぜひとも楽しい列車、乗りたくなる列車を運行して欲しいものである。