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 湯浅政明監督による初のオリジナルアニメ映画『夜明け告げるルーのうた』が、5月19日より公開された。同作は、両親に対する複雑な心境のもと、周囲に心を開くことができない少年・カイが、人魚の少女・ルーと出会うことで少しづつ自分の気持ちを言葉にすることができるようになっていく様子を描く。『くちびるに歌を』の下田翔大が主人公・カイを、『君の名は。』の谷花音が人魚の少女・ルー役をそれそれ務めるほか、篠原信一がルーのパパを、千鳥の大悟とノブが漁師役を演じる。

参考:松江哲明の『夜は短し歩けよ乙女』評:精神世界をポップに描く、湯浅監督の手腕

 リアルサウンド映画部では今回、ドレスコーズの志磨遼平に本作をいち早く鑑賞してもらい、その感想を語り尽くしてもらった。志磨遼平はドレスコーズとして3月1日に5th アルバム『平凡』を発表するなど、精力的に活動を続ける一方、2016年より俳優業を始め、『溺れるナイフ』などの映画にも出演している。映画やアニメを観るのが大切な趣味のひとつだと語る彼にとって、『夜明け告げるルーのうた』はどのように映ったのか。

■志磨遼平の映画・アニメ観

 僕はこれまで、人に自慢できるほど多くの映画を見てきたわけではありませんが、数少ない大切な趣味のひとつとして、自分なりに楽しんできました。なので「映画評」というよりは、仲の良い友達と最近見た映画について話すような感覚で、自分なりの感想を語っていければ、と思います。

 はじめに僕の好みをいうと、アクションやショッキングなホラー映画のような、スペクタクル! といった感じの刺激的なものより、どちらかというと淡々とした青春ものや恋愛ドラマを観ることが多いです。好きな映画としてよく挙げるのは、『小さな恋のメロディ』(71年)。まだ子ども同士のイノセントな恋愛を描いた作品にはめっぽう弱いですね。“かけおち” ものとかですね(笑)。他にも、60〜70年代のアメリカン・ニューシネマやヌーベルバーグ系が好きでした。

 アニメに関しては、2000年代に入ってからですね。バンドが忙しくなる前、2005年にフジテレビのノイタミナ枠ができたくらいから、深夜アニメにオルタナティブで面白い作品が増えてきましたよね。『涼宮ハルヒ』シリーズ、『とらドラ!』(2008年)『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』(2010年)『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(2011年)などはすごく好きでした。たとえば、アニメの中で描かれるヒーロー像や恋愛模様って、現実ではあり得ないほど潔癖で、純度の高いものとして完結させることが可能じゃないですか。2時間なら2時間、全10話なら全10話で、物語上の登場人物の関係性を閉じ込めて、たとえば「君が好きだ」という感情を腐らせることなく永遠に保管できる。

 それは映画も同じなんですけれど、アニメだとよりアクロバティックな感情移入が可能ですから、どんなにあり得ないシチュエーションであろうと、鑑賞者はなぜかその世界に安心して没入することができる。美少女に囲まれたハーレム状態の学園生活だとか、人にはない不思議な能力が備わっているだとか…… なんでも良いんですけど、「2次元」と呼ばれるフォーマットにのみ、その信憑性が宿るというか。「永遠に愛を誓う」「悪は滅びる」みたいな理想論だって堂々と物語ることができる。実写に比べて圧倒的にシナリオの自由度が高いからこそ、感動的な作品が生まれているんだと思います。

■音楽映画としての『夜明け告げるルーのうた』

 湯浅政明監督の初オリジナル作品『夜明け告げるルーのうた』も、そういった意味でとても感動的な作品でした。イノセントな少年少女の物語であり、ファンタジー性の高いアニメ作品であり、同時に音楽映画でもあるというのが新鮮でしたね。湯浅監督が手がけられた最近の作品はまだ未見なのですが、ロビン西さんの原作漫画が好きだったので『マインドゲーム』(2004年)はとても興味があります。ただ、子どもの頃から親しんでいる『ちびまる子ちゃん』や『クレヨンしんちゃん』の作画監督として、我々の世代には馴染みが深いですから。よく指摘されていることですが、どんなに平面的なタッチのキャラクターでもそのイメージのまま動かせるのは本当にすごい。揺らぐ線や独特のパース、強烈な色彩感覚は圧倒的です。60年代のディズニー映画のようなサイケデリックなヤバさが湯浅監督の醍醐味ですね。

 まず特筆したいのは、音楽映画としての面白さ。主人公たちの演奏シーン、人魚のルーの尾びれがメタモルフォーゼして(笑)軽快なステップを踏むシーン、町の人々がミュージカルのように踊り出すシーン、どれも新鮮な躍動感にあふれています。また、たっぷりと静かに描いた導入部から、アップテンポな楽曲に合わせて物語が走りだす場面での、80〜90年代アニメを彷彿とさせるタイトルバックなど、長尺のTVアニメを観ているような贅沢さがあります。軽快なテンポ感は、ミュージックビデオ的とも言えます。

 主人公のカイ君が典型的なギター少年などではなく、MPCでの宅録とウクレレをやっている、という設定は革新的じゃないでしょうか。どちらも家の中でひとりで完結させられるものを彼は選んでいる。エレキギターだったら、外に出なくちゃいけないでしょう。他人とバンドを組んだり、アンプがある防音スタジオに出向かなきゃいけなかったり。だからもう、MPCとウクレレの時点で彼がどんな性格なのかがよくわかる(笑)。あまり社交的ではなくて、友達からバンドに誘われても乗り気ではない。

 かといって彼が完全に孤独かというと、そんなわけでもなく、YouTubeにこっそり自作曲をアップしてちゃんと世界とつながっている。そういう主人公のキャラクター設定は、とても現代的ですよね。舞台となっている地方の漁村に東京から引っ越してきたわけですけど、これといって喪失感もない。彼の性格なら、ネット環境さえあれば事足りる。だからこそ、あまり周囲の人々と深い関係を築く必要性を感じていなくて、それが彼自身の課題にもなっています。

 ところで、カイ君のお父さんがかつて作ったミックステープの手書きラベルが気になって、一時停止して解読したところ、ブルーハーツや奥田民生さん、RCサクセションの楽曲名なんかが記されていました。なぜかRadioheadが1曲だけ入ってる背伸び感もリアルで(笑)。つまり、お父さんは80年代後半〜90年代初頭に青春を過ごしていて、僕より少し年上。カイ君よりもお父さんの方が年が近いことに軽いショックを受けましたが(笑)、ともあれ細かなところまで作り込んであるなあと。一方、主人公が使っているMPCが比較的リアルに描かれているのに対して、遊歩と国夫のギターやベースは主人公たちの身体と同じく、柔らかい線でデフォルメされていて、そのあたりも主人公の興味の希薄さのようなものが現れているのかもしれない。

 音楽的な部分では、なんといっても主題歌である斉藤和義さんの「歌うたいのバラッド」(97年)ですよね。歌詞がそのまま、この映画のテーマにリンクしています。ぼくは学生の頃にTVの深夜番組で、斉藤和義さんが野外フェスでこの曲を歌われているのを観て「なんて良い曲を作る人なんだろう」とたちまちファンになったんですが、今ではもうすっかり日本のスタンダードナンバーですよね。以前、斉藤和義さんにお会いした時に、「こんな良い曲ができた日って、どんな気分なんですか?」って聞いたことがあるんです。そしたら「書いた時はまだ歌詞がなくて、しばらく置いといたかな〜」なんてことを淡々と仰っていて。もし僕だったら、これで一生安泰だな、なんてその日のうちに家とか買っちゃいますね(笑)。

 劇中ではカイ君が「歌うたいのバラッド」を熱唱するシーンがあって、そこからラストに向かうクライマックスの流れがとても感動的でした。カイ君の声優を務める下田翔大さんは役柄と同じ14歳だそうで、その年頃ならではの非常に瑞々しい歌声です。大人と子どもの間の、あの頃にしか出せない声での目一杯の熱唱が素晴らしかった。

■イノセンスな「好き」の意味

 湯浅監督は今作のテーマを、同調圧力が蔓延する現代において「心から好きなものを、口に出して『好き』と言えているか?」と語っています。ともすれば閉塞的になりがちな地方都市が物語の舞台で、僕自身も地方出身ですし、主人公たちの環境はよく理解できます。

 ただ、主人公たちは中学生で、社会の厳しさだとか大きな挫折を味わうにはまだ早い。自分たちの趣味や、淡い恋心など、社会に出る前段階での内面的な苦悩と格闘していて、その中で「好き」という感情をちゃんと表現することの難しさ。あくまで独善的で、だからこそ純粋な「好き」という瑞々しい言葉の響きが、主題として何度も繰り返されます。主人公の友人となる遊歩ちゃんと国夫くんは、てらいなく自分の感情を表現できるタイプで、カイ君とは真逆です。

 そして、今作のタイトルにもなっている人魚のルー。彼女はさらに純真無垢な存在として描かれています。カイ君に教えてもらって彼女が知る「好き」の概念は、男女間における「好き」も、親子間における「好き」も、海や土地そのものへの愛着も、すべてを内包している。人間とは似て非なる生き物だから、ひとつも悪びれることなく、恥ずかしがることもなく、すべてのものに「好きー!」と叫ぶ。はじめにお話ししたように、このテンションを描けるのはやはりアニメだからこそだと思います。人魚と少年の、恋愛と呼ぶにはあまりにあどけない関係。実写ではなかなか演じることの難しい関係性です。

■『崖の上のポニョ』との違い

 本作におけるもうひとつの大きなモチーフが「海」です。昨年僕が出演した映画『溺れるナイフ』もそうでしたけれど、海は “母なる自然” の象徴であるとともに、黄泉の世界への入り口というか、この世とあの世の境目というような、神秘的な領域として描かれていて、ルーはその使いのようなイメージです。日本人的な死生観や宗教観が反映された設定といって良いでしょう。カイが海に落としたスマートフォンをルーが届けてくれるのも、現代版のおとぎ話のようで、ますます神話的です。

 実際、海の中のシーンでは湯浅監督のタッチはとても大胆に線が歪み、この世ならざるサイケデリックな光景が繰り広げられます。湯浅監督は『ちびまる子ちゃん』のオープニングなどもそうでしたが、精神世界をビジュアル化するのがとても上手で、今作でもその技法は健在です。ネタバレになるので詳述はしませんが、最後はすべて「水に流す」のも、日本人的な美意識の表れなのかもしれません。

 そんな世界観の中で語られる、登場人物たちのセリフはどれも寓話的なメッセージに富んでいて、たとえば、国夫くんが町内放送をするときの「あせるな、ゆっくり途切れ途切れだ」というアドバイスは、そのまま彼らの成長にも置き換えられますし、カイ君を諭すお父さんの「思った通りにやっていいんだよ」というセリフであるとか、子供にも大人にもポジティブに響くメッセージがところどころに散りばめられています。

 最後に、誰もが連想するであろう『崖の上のポニョ』(2008年)との類似性も指摘しておきたいと思います。ルーのキャラクターや設定はどうしてもポニョを連想させますし、なにより、海が黄泉の国のメタファーとして描かれている点などとても似通っていますが、どちらかというと『崖の上のポニョ』の方がより示唆的で、尾を引くような不気味さがあったと(笑)、個人的には思います。あれは子供向けの娯楽映画ではなかったですよね。宮崎駿監督に関しては、もう確信犯だと思うんですけど。対する『夜明け告げるルーのうた』はもっとシンプルで、主題歌の歌詞の通り「ハッピーエンド」を描いたものです。観ていてとてもポジティブな気持ちになれる。それはもしかしたら、湯浅監督が初の監督作にのぞんだ心境そのものなのかもしれません。(ドレスコーズ・志磨遼平/取材・構成=松田広宣)