MINI クーパーD クロスオーバー

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ミニ『クロスオーバー』が新しくなった。驚いたことに、そのラインナップからは何とガソリン仕様車が消えている。

今回は「クーパーD」と「クーパーSD」の設定のみで、ALL4の名を持つ4WDモデルは双方に。一方FWDモデルは安い方のDにのみ設定されている。だが、ガソリン仕様車はなくなった。遅れてPHEV仕様のモデルが投入されることになっているが、純粋なガソリンエンジンのみの搭載車の設定はまだ未定だという。その理由となったのは、先代クロスオーバーもおおよそ8割ほどがディーゼルの販売で占められていたことによるものらしい。

DとSDの差は単純にチューニングの差だけ。ともに直列4気筒2リットル。B47C20Aというエンジン型式も全く一緒だ。性能的には高性能なSDが190ps、400Nmというパフォーマンスを持つのに対し、Dの方は150ps、330Nm。今回試乗したのはFWDモデルなので、車重が最も軽く1540kg。先月試乗したSD ALL4は1630kgなので、きっちり90kgの差がある。というわけで、パフォーマンスの差はその重さの差でほぼ相殺された感があった。

ご存知かと思うのだが、DとSDには外観上の違いもある。それはグリルだ。Dの方はクリーンな丸みを帯びた台形グリルを装着しているのに対し、SDの方はその両端の底辺をぎゅっとつまんでへの字にしたようなグリルを持っている。先代まではそのつままれた底辺の下に別のグリルが顔を開けていたが、現行モデルはDのグリルの中に、クロームで縁取った例のへの字グリルが存在する形状となった。まあ好みによると思うが、個人的にはDの方がシンプルで好きだ。

ボディが大きくなって居住性が高まり、ラゲッジスペースにもゆとりが出来たから、ファーストカーとしての資質は十分に整ったと思う。元々ミニの中ではその雰囲気を最も強く持っていたのがクロスオーバーだったのだが、『クラブマン』が新しくなって、立派なドアを備えるようになると、ミニブランドとしてファーストカーを名乗れるモデルがもう1台登場し、しかもあちらはよりエレガントなスタイルを持つとなると、ファーストカーとしてのミニを求めていた層があちらに流れるのは必然。昨年ミニがブランド車種別販売ランキングでVW『ゴルフ』を抜いて、1位になった大きな原動力も、実はクラブマンにあった。

ならば新しいクロスオーバーはどのような位置づけとなるべきか。それは最早必然ともいえる、本来持つべきSUVとしての資質を際立たせることだったのだろう。軽い遊び心も持ち合わせた新しいクロスオーバーは、ラゲッジスペースの床から反転してピクニックベンチが出てくる仕掛けも作った(オプションだが)。実際に出して座ってみたが、悲しいかな、短足ゆえに少々足が地面に届きにくい(嗚呼!)。でも、何となくこんなものもあるといいなと思う仕掛けでもある。

肝心の走りである。冒頭に記したB47C20Aと名付けられた新しいユニットは、いわゆるモジュラー型の最新鋭エンジン。気筒当たりの排気量を500ccとして、それに気筒数を組み合わせれば自然に排気量がわかる。つまり3気筒にすれば1500cc、6気筒になると3000ccというわけだ。勿論ガソリン仕様も同じである。一つ不可解だったのは、JC08モード燃費だ。一番軽くてフリクションもないはずのFWDモデルが21.2km/リットルなのに対し、4WDのALL4は21.3km/リットルと、軽くてフリクションのないFWDのそれを凌駕していること。まあ、あくまでシミュレーション上の問題だと思う。

で、実際に走ってみるとこれで十分…というかこっちがいいや…とも思える。理由は元々ディーゼルの高トルクはアクセルを深く踏まずして十分な加速が得られ、特にクルージングからの加速はガソリン車を寄せ付けない。で、150psと330Nmというパフォーマンスは日本の道で走らせたときに、これ以上何が必要なの?という素朴な疑問を沸かせるほど必要十分であったからだ。それにSDではFWDが選べない。最近はスタッドレスタイヤの進化が著しく、敢えて4WDを選ばなくても、都市内の雪道ならスタッドレスで十分。ならば少なからずフリクションを発生させる4WDじゃなくても、パワフルなSDじゃなくても…という考えに至るわけである。

それに回答性が良くて、ゴーカート感覚とは言わないが、スイスイ感はALL4よりこちらが上である。ミニらしく走るという点で、「こいつがいいや」と思った次第。

■5つ星評価

パッケージング:★★★★

インテリア居住性:★★★★

パワーソース:★★★★★

フットワーク:★★★★★

おすすめ度:★★★★★

中村孝仁(なかむらたかひと)AJAJ会員

1952年生まれ、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾るクルマ好き。その後スーパーカーショップのバイトに始まり、ノバエンジニアリングの丁稚メカを経験し、その後ドイツでクルマ修行。1977年にジャーナリズム業界に入り、以来39年間、フリージャーナリストとして活動を続けている。 《レスポンス 中村 孝仁》