『「帝王学」がやさしく学べるノート』伊藤 肇 (著)プレジデント書籍編集部 (編集)プレジデント社

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■【胆識をもて】

立派な幕賓の最も重要な資格は、「胆識」をもっていることです。では、胆識とはどのようなものでしょうか。

知識は、断片的なことを記憶しているというだけの単なる大脳の働きにすぎず、それだけでは行動力へとつながりません。しかし、精神活動に理想が生まれ、志をもつようになると、それが知識と結びついて、道徳的・心理的判断ができるようになります。それが「見識」です。見識は人から借りることもできないし、付け焼き刃で身につくものでもありません。修業する以外に見識を身につけることは不可能なのです。

しかし、どんなに見識をもっていても、現実に事を処理し、進めることは容易ではありません。そのためには、さまざまな利害や矛盾や意見を抑え込んで、実践する決断力が必要になります。つまり、見識にこの決断力が伴ったものが「胆識」です。

■【浪人的風懐を身につけよ】

幕賓の第2の資格は「浪人的風懐」です。「浪人的風懐」につい孟子が、次のように明快に規定しています。

「仁という最も広い住まいに暮らし、礼という最も正しい位に立ち、義という最も大きな道を堂々と歩く。これぞ大丈夫(おとこ)の中の大丈夫といわれる人物の生きかたである。そして、自分の志が世に受け入れられれば、その道を行い楽しむ。だが、もし、志が世に受け入れられなければ、独り、自分の正しい道を行っていく。それが大丈夫(おとこ)たるものの人生への姿勢であり、いかなる富貴や快楽をもってしても、その精神を蕩(とろ)かして堕落させることができず、また、いかに窮乏の苦しみで圧迫しても、その志を変えることはできない。さらにいかなる権力、武力で脅しても、些(いささ)かも屈しない。それこそ大丈夫(おとこ)というべきであろう」

第1の資格である「胆識」と微妙に絡んできますが、『十八史略』に「時務ヲ知ルハ俊傑ニアリ」とあります。ビジネスの「事務」のほうは、ある程度の基礎さえあれば、機械的にやればすむが、「時務」となると、「時」の文字が示すとおり、その時、その場、その問題に対して、その人間がいかになすべきかという活(い)きた方策が必要になるため、その人物の教養・信念・胆識・器量といったものが不可欠になります。

空理空論を口走り、いたずらに悲憤慷慨するだけで、現実の問題を何一つ解決できない輩は「俊傑」とはいえません。つまり、今まさに直面している問題のなかで、何が最も重要な課題かを識別し、これを現実的に処理する能力のある人物を指して「時務ヲ知ルハ俊傑ニアリ」といっているのです。

■【5項目にわたる「宰相の条件」】

(1)浪人時代の交友

官をひいて家に居るとき、つまり浪人しているときに、どのような連中とつきあっていたかを観察することです。

(2)「時」と「金」とを人材養成に使う

莫大な金を握ったとき、それを何に使ったかを見ること。いきなり、女を囲ってみたり、書画骨董や宝石などにうつつをぬかしたりするようでは、宰相たる資格はありません。

(3)抜擢した人物、推薦した本

高位高官にのぼったとき、どのような人物を抜擢し、どのような書物を推薦したかを見ることです。過去において、とんでもない人物を抜擢していたら、それだけで宰相は失格です。「人をみる明」がなければ、宰相など一日としてつとまるものではないからです。

(4)「灰の時」の沈潜のしかた

人の一生を大きく分けると、「焔の時」と「灰の時」とがあります。「焔の時」とは、燃えさかる焔のように、勢いがあり、たいていのことはうまくいきます。一方、「灰の時」というのは、何をやってもうまくいきません。そういうときは何もやらないのが一番いいのです。ところが、小心者に限って、そういうときに何事かをやらかして失敗してしまいがちです。

「灰の時に入った」と自覚したら、静かに「灰の中」に没入し、沈潜して、人間を磨くことです。実力を養成するいいチャンスだというくらいに考えたいものです。

(5)貧ニシテ楽シム境地

懐具合もよく、万事好調のときは、人間はあまりオタオタしないし、ボロも出しませんが、同じ人間がいったん貧乏して困った状況になると、一変して悪くなることがあります。そして、それが手にしてはならない金だとわかっていても、ついポケットへ入れてしまうことが起きてきます。そんな誘惑をいかに歯をくいしばって我慢するかどうか、そこが人物のわかれ道となります。

※本連載は『帝王学がやさしく学べるノート』からの抜粋に、修正・補足をしたものです。

(伊藤 肇)