取材・文 武田葉月(ノンフィクションライター)

 新横綱の逆転Vに沸いた春場所。その千秋楽の相手が照ノ富士だった。日本中を敵に回しての孤独な戦いの最中、彼は何を考えていたのか。魂の咆哮!

 5月14日、東京・両国国技館で初日を迎えた大相撲夏場所。新横綱・稀勢の里の“奇跡の逆転優勝”で沸いた先の春場所に続き、前売り券は完売し、空前の盛り上がりを見せている。

 V2を狙う稀勢の里とともに、先場所の優勝戦線を牽引したのは、大関・照ノ富士だった。14日目、大関復帰を目指す琴奨菊に叩き込みで勝利。前日の相撲で左肩を負傷した稀勢の里は強行出場したものの、2敗目を喫したため、照ノ富士は千秋楽を前にして、圧倒的な優位に立った。

 だが、千秋楽、日本中の大注目を浴びた稀勢の里戦で、まさかの2連敗。茫然と天を仰いだ照ノ富士は、このとき、何を考えていたのか? 胸中を聞いた。

――春場所後は母国モンゴルに帰って、(春場所中に悪化した)ひざの治療に専念されていたそうですね。

照ノ富士(以下=照)春巡業の前半戦を休場して、2週間くらいモンゴルで治療したおかげで、だいぶ回復してきました。食事療法と軽い運動で、11キロ近く体重を落とし、稽古まわしを30センチも切ったほど、お腹回りもスッキリしました。春場所直後は、歩くのもやっとだったんです。ひざに負担をかけないように、肉体改造をしていきたいという狙いもありました。

――先場所は14日目、大関復帰を目指す琴奨菊との一戦で、立ち合いの“変化”で勝利。観客からヤジが飛びました。そして千秋楽、まさかの2連敗。それでもケガのことは一切、口にしませんでしたよね。

照 わ〜、やっぱり、この話になるんですね……。今さら何を言っても、言い訳になるから話したくないんですよ。どうせ自分はヒール(悪役)だから、何を言っても通用しないでしょ(笑)。今、言えるのは、「前向きに頑張る」ってことだけかな? こう見えて落ち込むと、メチャクチャ落ち込んじゃうタイプなんですよ。

 平成27年の夏場所で、関脇で初優勝して大関に上がって、それからも優勝に絡んでいたんですが、次の年の夏場所、2勝してから13連敗してしまった。あのときは、何をやってもうまくいかなくて、場所に通う道順を変えるなどして、ゲンを担いだりしたけれど、結果的に立ち直れなかった。だから今回、いろいろと言われたことに関しても、なるべく落ち込まないようにしていたんです。

 千秋楽、結び前の稀勢の里戦。1敗の照ノ富士が勝てば、この時点で照ノ富士の2度目の優勝が決まる。「(肩を負傷している)稀勢の里の優勝は、ほぼないだろう」――ファンはもとより、解説者もそう予想しての立ち合い。左に“変化”して突き落としを見せる稀勢の里に対し、こらえる照ノ富士が攻めていくと、稀勢の里の右からの突き落としが決まる。この瞬間、館内は異様な空気に包まれた。稀勢の里への大声援が飛ぶ中、続いて行われた優勝決定戦は、3秒余りの相撲で決着。小手投げで土俵に沈んだ照ノ富士は、人生最大のアウェイ感を味わうことになった。

 忘れられないシーンがある。平成13年夏場所の貴乃花-武蔵丸の横綱同士の優勝決定戦だ。ひざの負傷を押して出場した貴乃花の「復活V」に、観客が酔いしれる一方で、敗者となった武蔵丸が、淡々とした表情で引き揚げる姿である。

――千秋楽での館内の声(「モンゴルへ帰れ!」「そこまでして勝ちたいのか?」など)は、大関の耳に聞こえていたのでしょうか?

照 千秋楽以来、ずっとずっと(メディアから)聞かれているんだけど、これは話したほうがいいのかな?(沈黙後)……本当は聞こえていましたよ。自分だって人間ですからね……。

――相撲も取りづらかったでしょうね。しかも、体調も万全ではなかった。

照 13日目(の鶴竜戦で)、古傷を痛めてしまったのは自分の責任ですし、そういうことを人前で言うべきじゃないと思っていました。これまでも、そうしてきたつもりです。だからこその「肉体改造」なんです。

――なるほど。そう考える転機はあったのですか?

照 大関2場所目(平成27年秋場所)の稀勢の里戦で、右ひざをケガしてからなんです。それまでは、「どういう相撲を取っても俺は勝てる」みたいな意識があって、自分は右四つが得意なんですが、相手が左四つなら左四つでも気にしなかった。行司さんの軍配が「ハッケよい!」と返ったら、体と稽古量を信じて、勢いで相撲を取っていたんですね。でも、「それじゃあ、ダメなんだ」と、初めて気づきました。ケガを含めて、自分の相撲に責任を持たないといけない……と。

 だから春場所、稀勢の里関がウチ(伊勢ケ濱部屋)の横綱(日馬富士)との相撲で(13日目)肩を打ちつけて「ケガをさせられた」なんて言われているようですが、横綱も「相手をケガさせよう」なんて思っているわけじゃないし、一番一番、一生懸命相撲を取っている結果だと思うんです。

――そうですよね。では、ここで大関の過去を振り返ってみたいと思います。平成21年、相撲留学(鳥取城北高)で来日して、翌年、角界入りしたときは、現在とは別の部屋に所属していたんですよね。

照 日本には、2歳年下の逸ノ城(現・幕内)と同じ飛行機で来ました。自分は1年で高校を中退して、初めは間垣部屋(元横綱・二代目若乃花)に入ったんです。大関時代までの師匠の四股名が「若三杉」だったので、「若三勝(わかみしょう)」という四股名をいただきました。東日本大震災が起きたり、相撲界にもいろいろなことがあって、夏場所が「技量審査場所」となった平成23年5月に初土俵を踏んだんです。間垣部屋は力士の数が少なく、アットホームな部屋だったんですが、師匠の健康上の問題などがあって、2年後に閉鎖することになってしまって……。

 力士は、相撲部屋に所属しなければ土俵に上がることができません。それで、自分は、関取になってから付け人を務めてくれている兄弟子の駿馬さん(現・幕下)たちと一緒に、伊勢ケ濱部屋に移籍することになったんです。「これから、どうなっちゃうのかな?」と不安でしたよ。伊勢ケ濱部屋には当時、大関だった日馬富士関、ベテランの安美錦関、宝富士関などの関取衆も多かったですし……。

――環境がガラッと変わったわけですね?

照 ハイ。生活環境もそうですが、稽古の環境が180度変わりました。部屋にたくさんの兄弟子がいたので、いろいろなタイプの人と稽古できるようになったのが大きかったですね。それに加え、伊勢ケ濱部屋は毎日の稽古がとても厳しい。横綱昇進がかかっている日馬富士関は目の色を変えて稽古していたし、ベテランといわれる安美錦関も休まない。幕下の自分は、そうした先輩たちについていくので必死でしたし、受け入れてくれた今の師匠に対しての感謝の気持ちもありました。結果、移籍して2場所で十両に昇進できたんです。

――転機になった?

照 まさにそう。部屋を移ってよかったと思うし、移っていなかったら今の自分はいないでしょうね。人生、どこにチャンスか転がっているかわかりません(笑)。

――昇進を機に、四股名を「照ノ富士」に改めました。

照 昭和の横綱「照国」関と、ウチの師匠の「旭富士」関からいただいたものです。おかげさまで、次の年の春場所で幕内に上がることができました。ただ、その年の初場所(1月)で初土俵を踏んだ高校の後輩・逸ノ城が、夏場所(5月)で新十両、秋場所(9月)には幕内に昇進して、一気に「逸ノ城フィーバー」が起こるんです。それと、遠藤ね。逸ノ城より1場所遅れで日大から入門してきて、同じ場所で新入幕ですよ!「相撲界の話題を全部、この2人に持って行かれるんじゃないか」というくらいの騒ぎになったわけです。

――悔しかった?

照 そんな思いはなかったですよ。かわいい後輩ですから(笑)。でも、世間が逸ノ城(平成5年生まれ)と遠藤(平成2年生まれ)ブームのときから、「この力士は強いな」と思っていたのが、高安なんです。平成生まれの初の関取でもある高安(平成3年生まれ)は、自分が十両に上がって以来、ずっと稽古を一緒にしてきた間柄です。鳴戸部屋(現・田子ノ浦部屋)は稽古が厳しいことで知られていましたが、春場所では12勝して、今場所は大関獲りにリーチがかかっています。平成生まれの関取の中で、誰の地位が上がっているか。今を見ると、分かりますよね。つまり、稽古をした力士なんです。

――なるほど……。大関も地道に稽古を積んだ結果、27年春場所、新三役(関脇)に昇進。その場所は初日から7連勝と突っ走ります。

照 安美錦関も7連勝していたんですよ。いいときも悪いときも、いろいろアドバイスをもらっていたので、「このまま一緒に勝っていければいいな」と思っていましたが、8日目、安美関は嘉風関から初黒星、自分も稀勢の里関に負けてしまった。翌朝の稽古場では「安美錦関が負けたから、俺も負けちゃいました。兄弟子のことはまだ越せないですね」なんて冗談を言い合っていたんです。

 ところが、10日目の取組で安美関が右ひざをケガして、そのまま病院に運ばれて、翌日から休場。「(安美錦関のためにも)負けられない!」と思いましたね。その思いで戦って、13日目、横綱・白鵬関に初めて勝つことができたんです。この場所、13勝を挙げることができたのも、安美関からパワーをもらったおかげじゃないかと思っています。

――そして、翌場所は12勝3敗で初優勝し、一気に大関に昇進します。

照 師匠、兄弟子たちに稽古をつけてもらったおかげです。逸ノ城、遠藤の陰に隠れていたのも良かったのかな(笑)?その後「一気に上(横綱)を狙う」と思っていただけに、昇進した場所で(番付上、格下の)豪栄道関に負けた一番はものすごく悔しかったし、忘れられない相撲です。それと、さっき話に出た、翌場所の右ひざを負傷した稀勢の里戦も。そう考えると、稀勢の里関とは、いろいろな因縁があるものですね。

――大関には先場所の準優勝を受けて、夏場所での活躍が期待されます。

照 ひざの負傷以来、成績が安定しないので、まずは成績を維持していきたいと思っています。でも最近、相撲を取るのが楽しいんですよ。前は、そんなことは思わなかったのに……(笑)。たぶん、“相撲を取れること”自体が楽しいのかもしれませんね。

 自分が大関に上がった頃は、メディアを含め、たくさんの人がチヤホヤしてくれたこともありました。でも、ケガをしたら、周囲から人が……。自分はそうした時期も変わらず応援してくれた人たちを忘れないし、ずっと大切にしていきたい。そういう人たちのために一番一番、頑張りたい。自分が、どこまで行けるか試してみたいんです。

 取材中も、ひざの電気治療を受け、時折、苦痛に顔を歪めながらも、ヤンチャな笑顔を絶やさずに質問に答えてくれた大関。あの日、敗者となった武蔵丸は、「痛みに耐えてよく頑張った。感動した!」という小泉首相(当時)の貴乃花への祝福メッセージを聞いて、「自分だって精いっぱい戦ったのに……。もう、相撲を辞めよう」とまで思い詰めたという。

 現在、4人の横綱はいずれも30代である。春場所の“心の傷”を糧に、25歳の照ノ富士が角界の頂点に立つ日は来るのだろうか。今後を見守りたい。

照ノ富士春雄 てるのふじ はるお

本名=ガントルガ・ガンエルデネ 1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル市出身。09年、鳥取城北高校に相撲留学後、11年1月、角界入り(間垣部屋)。13年3月の間垣部屋の閉鎖後、伊勢ケ濱部屋に移籍し、同年9月に十両昇進。翌年3月に新入幕を果たし、15年3月に新関脇、5月場所で初優勝(大関昇進)。昇進後2場所目となる秋場所13日目の稀勢の里戦で、右ひざを負傷し、その後、両ひざのケガ、左の鎖骨の骨折などの影響もあって成績が低迷。今年の初場所も4勝11敗と大きく負け越したが、カド番で迎えた春場所では13勝2敗と好成績。新横綱・稀勢の里との優勝決定戦は記憶に新しい。身長191センチ、体重174キロ。得意は右四つ、寄り。