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日本代表に入りたての女子ハンドボールの注目株に会ってきた。 河原畑祐子(かわらばた ゆうこ)。自らを「女の子らしいと言われたことはない」というが、まったくそんなことはない。笑う、照れる、はにかむ。それでいて171cmの体躯からシュート力を評価される存在感は大きい。 女子日本代表は開催国として東京五輪本大会の出場権を得ている。「先輩たちが上手なので、一緒に五輪のコートに立ちたい」。そんな思いでもがく日々を送る。

撮影 岸本勉 中村博之(PICSPORT) 取材  久保弘毅  構成 編集部



○激しさと駆け引き。身体が小さくても活躍できるスポーツ



――まずは競技のことをお聞きしましょう。ハンドボールはヨーロッパではサッカーに次ぐ競技人口を誇る人気競技です。ずばり、その魅力とは?

走って、跳んで、打って、大きい人でも小さい人でも活躍できるスポーツです。大きい方が有利なこともありますが、小さいからこそできる技もあるので、色んな人が活躍できるスポーツです。私の強みは国内だと身長がある方(171cm)だし、ロングシュートが期待されています。でも、大きいだけでなく、大きくても小さい人と同じ動きができるように、オールマイティな選手を目指しています。

――初めて観る人におススメの楽しみ方は?

球技の格闘技ですよね。思いっきり相手のことを捕まえたり、相手とドーンとぶつかる激しさもありながら、緻密な駆け引きがあります。シュートを打つときなら、まずGKとの駆け引き。OF(オフェンス)とDF(ディフェンス)の攻防でも、DFが前に攻めながら守ったり、後ろで引いて守ったり、あちこちで色んな駆け引きが起こっています。OFは1人余らせる(=ノーマークを作る)ために色んな戦術を考えてプレーしています。OFでぽっかりと1人余ったら、OFの勝ちですね。

○兄の影響で「投げることはしていた」



――始めた時期は?

小4からです。それまではピアノを習ったりはしていましたけど、ウチはスポーツ一家で、兄たちがスポーツをしている姿を見ていたから、私も何かスポーツをやりたくて。最初は母がやっていたバレーボールをやろうと考えましたが、近くにチームがありませんでした。そうしているうちに、友達の斗米菜月(現東京女子体大)から「一緒にハンドボールをやろうよ」と誘われて、東久留米ハンドボールクラブに入りました。斗米とは、のちに高校(佼成女子高)まで一緒にプレーすることになりました。

――投げるのは得意だったのですか?

兄が野球をやっていたので、一緒に投げたりはしていました。小学校でもドッヂボールは得意でした。男の子と一緒に遊んだり、活発な子供でした。「女の子らしい」とは言われたことがありませんね(笑)。

――ハンドボールを始めて、最初のポジションは?

最初はGKでした。小6になって、自分たちの代で打ち屋(ロングが打てる選手)がいなかったので、そこからバックプレーヤー(上から打つポジション)に転向しました。小学校から中学の途中までは、ただハンドボールをやっていただけでしたね。全然体力もないし、走れないし、2対2も全然できないし、仲間と一緒にいるのが楽しかっただけでした。

○プレッシャーに対しては「純粋に自分の考えを」



――それでも中学校(東久留米西中)では2度の日本一になります。

そうですね。(私たちの代は)中2までは本当に下手で、ろくにパス回しもできないようなチームでした。中3になる直前の春の全国大会(春中)が東日本大震災で中止になって、自分たちの中にも複雑な思いもありましたけど、今思うと、春の全国大会に出ていたら初戦負けするんじゃないかというくらい下手だったんですよ。春休みの期間はずっとパスの練習をしていて、優勝した瞬間は今までのハンドボール人生で一番感動した記憶があります。苦しい場面でもみんなで「頑張ろう」と声をかけ合えるチームだったんで、そこが勝利への道だったのかなと思います。

――高校でも日本一になりました。このときは本命視されながらの優勝でしたね。

(2年生のとき)1つ上の先輩たちと春のセンバツを優勝したときは、苦しい練習を重ねて優勝できた大会でした。すごく感動した記憶もあります。自分たちの代のときは、周りからも期待されて、プレッシャーもそのときは感じていませんでしたけど、(春と夏に優勝した後の)秋の国体で負けた瞬間に「今までプレッシャーを感じていたんだな」と、肩の荷が軽くなった気がしたんですね。佼成女子高ではハンドボールで充実した環境にいましたし、周りからも期待されている分、私たちも「優勝しなきゃいけない」という風になってしまって、自分たちで追い込んでたかなと思います。

――重圧に押しつぶされそうになったとき、どうやって克服していったのですか?

自分よりもレベルの高い先輩たちと一緒にプレーすると「なんでこんなにできないんだろう」と毎回思うんですよね。先輩たちの魅力的なプレーを見ると「自分もああいうプレーがしたいな」と思って、それが毎回モチベーションになりました。どんなに重圧がかかっても、「勝て!」というプレッシャーがかかっても、純粋に「もっとうまい選手になりたい」と思える機会があったので、そういうモチベーションが自分を支えていたのかなと思います。



○“憧れ”はつくらない



――去年は一度日本代表にも呼ばれましたが、憧れの選手はいますか?

みなさんとても上手ですよね。中学時代などに憧れの選手を聞かれたときには答えていたんですけど、「憧れの選手を作ったらいけないんだな」と自分の中で思うようになりました。自分が越えていきたい目標というか、越えたい選手をどんどん見つけていかなきゃと思って。憧れる部分はいっぱいありますけど、何とかその人を越えたいと置き換えてやってきました。この間(招集された)日本代表でもいろんなタイプの魅力的な人がいっぱいいたので、1人には絞れないんですけど……。難しいなぁ。「憧れを作ると越えられない」って言葉に、自分でも妙に納得したところがあって。

――では昔、この人を越えたいと思った選手は?

2つしか歳が離れていないんですけど、イベント(ハンドボール専門誌)にもいっぱい名前が出ていた佐々木春乃さん(北國銀行)でしょうか。何度か代表でも一緒にプレーさせていただいたこともあって、身近な存在でありますし、高校時代も石川先生から佐々木春乃さんの存在を言われていたこともあって、目標にしていたところはありました。

○競技に向き合い、自分に変化が生まれた



――性格の話を。ここまでの話を聞く限り、意外とタフだなと感じたのですが。

そうですかね。とてもネガティブな人間だと思います。周りにもよく言われます。考え込んでしまう癖があって、それが負の連鎖に自分で陥りやすいというか。周りから見たら、声は出そうと決めているし、陰のような感じはないかと思うんですけど、根本的な性格はネガティブ人間だと思います。負けず嫌いではあると思いますが。

――高校時代はたまに試合中に落ち込むときがありましたけど、そこをどうやって克服していったのですか?

喝を入れてもらって、立ち直る方なのかなと思います。褒められると調子に乗ってしまうんで。ネガティブだけど、お調子者みたいなところもあるので。でも怒られるのは嫌だし、監督の喜ぶ姿を見たいから頑張ろうというのはありました。高校時代はとくに、石川先生が喜んでいる姿を見たいなよねと同期とも話していたので、それをバネにしていました。

――自分なりの気持ちの切り替え方はありますか?

周りを驚かせてしまったりするくらい、オンとオフの差があるなと思います。それはハンドボールに対して真剣に向き合うようになってからですね。高校2年生ぐらいですかね。中学3年生のときからU16に参加させてもらったりしていたんですけど、なんとなくその頃は目標が曖昧で。でも負けず嫌いだからそういう代表にも選ばれたいし、という感じでやっていました。高1のときにU18に参加して、先輩たちの上手なプレーを見て、自分ももっとハンドボールが上手くなりたいと思ってから、高1〜2年生のあたりから、ハンドボールに真剣に向き合うようになりました。

――真剣に向き合うことで、変わったことは?

人に自分の目標を話せるようになりました。ハンドボールは楽しいとか、これが凄いとか。それまでは、真剣にハンドボールに向き合っている自分が恥ずかしいというか、そういう時期があったんですよ。でも高校2年生あたりから、自分がこうしたいとか、こうしようとかをみんなに言えるようになりました。



――周囲からの評価は?中学、高校の先生からはどう言われていましたか?

まじめすぎてずるがしこさがない。単純って言われます(笑)。大学生になって母校に顔を出しても「いやぁ、変わらないね」と言われますね。直したくても直せないんですよね。正直なのかわからないですけど、色々真に受けてしまうというか。だからネガティブにもつながるのかなと思います。女の子らしいとは言われないですね。小学校のときも男の子と一緒に遊んでいたから、女の子らしい仕草もできないし……。

――大学生3年生になりました。ふだんはどう過ごしていますか?

休みの日はけっこう家にいるタイプです。あまり外出したくないんで。(外に)興味がないわけではないんですけど。昔から変わらず、休日は家で休んでいます。料理は簡単なものを。凝ったものはできませんけど、簡単な料理を自分で作っています。一人暮らしです。個人的にはオムライスが好きなので、自分で作ります。そんなに難しくはないと思います。固い卵ではなく、ふわふわにしてご飯に乗っける感じです。お菓子作りはやらないですね。誰かと一緒ならやるでしょうけど、“自分ひとりで時間がある”と思ってお菓子作りをしようとは思わないです。

――2020年東京へ向けての思いを

あと3年だと考えると、時間がないなと思うんですけど。でもある意味「あと3年(もある)」と考えて、今できることを必死にやっていきます。無駄な時間をなくして、ハンドボールに向き合えたらいいですね。ひとつのプレーにこだわるのではなく、色んなプレーを多彩にできる選手になりたいです。自分はひとつに長けている選手だとは思わないので、チームのメンバーやタイプを見ながら、自分は何を補えるか考えていきます。サッカーの長谷部選手の本を読んで、そう思ったんですよね。長谷部選手はそういう考えで代表で活躍するようになったと書いてあって、近いところを感じました。代表チームの先輩たちが本当に上手で、一緒にプレーできることが嬉しいことだし、是非一緒にハンドボールをしたい。日本代表として、先輩たちと一緒にコートに立ちたいと思っています。


こっちもやんなきゃな。そんな思いにさせるインタビューだった。河原畑は世にいう“大型新人”。体格にも環境にもこれまでの実績にも恵まれてきた。そんな存在であってもコート上では自分がどうあるべきかを考え抜き、オフタイムには読書でそれを深める。「無駄な時間をなくしてハンドボールに向き合いたい」とさえ言い切る。決して奢ることなくこれを続けているのだから。



<プロフィール>
河原畑祐子(かわらばた ゆうこ)

1996年4月20日生まれ 東京都出身。東久留米ハンドボールクラブ―東久留米西中→佼成女子高―筑波大。171cmの体格から繰り出すシュート力などに定評のあるバックプレーヤー。中3時に2つの全国大会で優勝し、U-16日本代表入り。高校時代にも所属チームでインターハイ得点王&優勝を果たすなど、幾多のタイトルを獲得。U-18日本代表に招集され2013年アジアユース、14年の世界ユース選手権で活躍した。フジテレビ「ミライ☆モンスター」でも特集された東京五輪の期待の星。