2017年5月10日、大統領選挙の翌日にあわただしく就任した韓国の文在寅(ムン・ジェイン=1953年生)新大統領は、前大統領の弾劾・罷免で長期化した「空白期間」を取り返すかのように精力的に動き始めた。

 「大統領が変わり、新しいことが始まるという期待感を明確に示すことがまずは重要だ。うまく動き始めたのではないか」

 ベテラン政治記者は文在寅大統領が就任してから1週間をこう総括した。

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「空白期間」のなかで就任

 2016年秋以降、韓国では朴槿恵(パク・クネ=1952年生)前大統領と長年の知人を巡るスキャンダルで揺れ続けた。12月に弾劾訴追案が国会を通過してからは、権力の空白期間が続いた。

 いろいろなことがストップしてしまったかのような印象を与えていた中で、文在寅大統領就任以降、連日ニュースがてんこ盛りなのだ。

 各国首脳との電話会談、首相をはじめ人事の発表、政策指示、国内視察・・・とにかくニュースは文在寅大統領の動静をそれこそ朝から晩まで伝えている。

 文在寅大統領の言動を見ていると、韓国の大統領の持つ権限の輪郭が見えてくる。5月15日、文在寅大統領はソウルの小学校を訪問した。この場で、大気汚染対策を発表した。

老朽火力発電所をシャットダウンせよ

 韓国はここ数年、大気汚染がどんどんひどくなっている。韓国を訪問した日本からの知人は、飛行機が金浦や仁川空港に着陸する前に、空気が東京とは全く異なることにすぐに気づくはずだ。

 「東京の空は本当に青かった」。多くの韓国人も東京から戻ると、こう語る。「PM2.5」の量は、多い日は東京の10倍以上に達する。

 中国からのPM2.5の飛来も大きな原因だが、それだけではない。韓国の大気汚染対策も遅れていたのだ。

 文在寅大統領はこの日、老朽化した石炭火力発電所の一時稼動停止、建設初期段階の火力発電所の工事中断、LNG発電所の稼働率引き上げ、などを発表した。簡単に書いたが、これはかなり大きなエネルギー政策の転換でもある。

 韓国はこれまで、エネルギー政策については、どちらかと言えば、経済合理性を優先させてきた。産業界にできるだけ低価格の電力を提供することが優先課題だった。また、コストを抑えるために老朽化した石炭火力発電所もできるだけ寿命を引き伸ばしてきた。

 全体の電力生産量の依存度を見ると、石炭火力発電所40%、原発25〜28%となっていた。石炭火力と原発を合わせると、65〜68%とかなり高い水準だった。

 文在寅大統領は、これを「多少のコストがかかっても親環境を軸に置く」と転換する方針を明らかにした。LNG発電所の稼働率も40%から60%に一気に引き上げる。「脱原発」にも着手する。

「大統領のひと言」でエネルギー政策転換

 もちろん、こうした方針は大統領選挙の公約には入っている。ただ、これだけの転換だとしたら、あれこれ議論を重ね、結論が出るまでに何年もかかりかねない。

 これを小学校訪問時に「すぱっ!」と発表する。老朽化した石炭火力発電所の停止は6月からという即断即決、即実行ぶりだ。

 韓国電力など、関連事業体が公企業であるとはいえ、「大統領の権限」の強さか。

 5月12日、文在寅大統領は就任後初めての外部日程として仁川国際空港に向かった。ここでぶち上げたのは、「任期中に公共部門の非正規雇用をゼロにする」という方針だった。

公共部門で非正規職をゼロにせよ!

 文在寅大統領はこの日、仁川空港の非正規従業員などと懇談し、「過去10年の間に韓国では非正規職が100万人増えた。任期期間中にこの問題を必ず解決する」などと語った。

 公団が運営する仁川国際空港は、開港3年で黒字化するなど効率経営で知られていた。その理由の1つが、徹底した外注化だった。

 現在、仁川国際空港公団の正規職は1284人だが、非正規職はその5倍以上の6831人だ。2017年の年末に第2ターミナルができれば非正規職は1万人近くに達する見通しだ。

 このため、仁川国際空港はこれまでの「非正規職問題」の象徴として非正規職労組などの攻撃対象だった。だが、公団社長は「国際的な空港間競争を勝ち抜くには効率経営で収益を上げて投資資金を確保する必要がある」などとして譲らなかった。

公団社長の豹変「私が先頭に立って・・・」

 ところがどうだ。文在寅大統領が訪問するや、「私が先頭に立って、1万人全員を正規職にする」と語ったのだ。

 これぞ、公団社長なのか・・・いままでの批判に対する反論は何だったのか・・・これも、まさに「大統領の力」そのものだった。

 就任から1週間。文在寅大統領は精力的に動いている。なにしろ、過去数カ月間、韓国では「大統領の動静」と言えば、弾劾、罷免だったから、国民受けは良い。韓国メディアは、就任1週間の文在寅大統領の言動を3つのキーワードで表している。

雇用拡大、過去清算、意思疎通

 「雇用拡大」「過去清算」「意思疎通」の3つだ。

 いずれも大統領選挙期間中の重要公約だった。最初の外部日程に仁川国際空港を選んだのは、「雇用拡大」をアピールする狙いだった。

 「過去清算」とは、前大統領のスキャンダルを受けて、過去の誤った政策の見直し、不十分な捜査の徹底、歴史認識の見直し・・・などを意味する。

 文在寅大統領は、青瓦台(大統領府)で大きな権限を持つ民政首席秘書官にこれまでの検察出身者という慣例を破って進歩系のソウル大教授を任命した。

 前大統領時代に検察などに対して影響力を振るったという疑惑をもたれている元民政首席秘書官などについて調査する方針を明らかにしている。「過去」を巡っては、前政権時代にきまった国定教科書を廃止した。

 「意思疎通」も重視で、大統領の動きが分かるようになった。朝、起きてから大統領はいったい何をしているのか。前大統領時代には、全くの「なぞ」だった。

 文在寅大統領は、青瓦台内での出勤風景をメディアに取材させる。ブリーフィングも細かく、大統領が今日、どこで何をしたのか、きちんと伝わるようになった。

 5月14日早朝。北朝鮮が弾道ミサイルを発射した際には、大統領の言動を分刻みで公開した。「警備」を優先させてきたこれまででは考えられなかったことでもある。

 「まずは、無難なスタートではないか」。5月9日の選挙では保守系候補に投票したという大企業幹部も、文在寅大統領の1週間にほっと一息の雰囲気だ。

 その理由を「首相候補に李洛淵(イ・ナギョン=1952年生)全羅南道知事を指名するなど、多くの国民の受け入れられる人事をしている。雇用拡大と言いながらも、強硬労組とは一線を画すような姿勢も見せた」と話す。

人事は万事-大統領が決めるポストは1万5000も

 韓国紙デスクはこう話す。

 「歴代大統領でも就任直後には、相当高い支持率を記録したことがある。文在寅大統領も、そうなる可能性はある。だが、韓国の場合、70%や80%に達した支持率が急落するのもあっという間だった」

 では、何がポイントなのか。このデスクは、「まずは人事と外交安保は最初の関門になる」と言う。

 韓国では、閣僚、青瓦台秘書官人事をはじめとして膨大な人事を大統領が任命する。その数はどのくらいなのか。

 「毎日経済新聞」は「大統領が、直接、人事権を行使する場合のポストだけで1万204、政府傘下の委員会、協会など団体などを含めて間接的に影響力を行使できるポストを含めると1万5000に及ぶ」と報じた。

 「人事は万事」だ。ポストには人が群がり利権になりかねない。これだけの人事をどうコントロールするか。

 外交安保も難題だ。北朝鮮を巡る情勢は予断を許さない。米国、中国、日本、ロシアといった周辺国とどう向き合うのか。文在寅大統領は、これら主要国首脳との電話会談をまずは、大きな問題なくこなした。

日米中露などに特使派遣

 文在寅大統領は5月16日、「6月末に米韓首脳会談を開く」ことを明らかにした。対米関係を外交の機軸とするとの姿勢は、韓国の保守層も安心させることだ。

 さらに、日本、中国、ロシア、EUには、大統領と親しい「大物特使」の派遣を決めた。日本には、6選の文喜相(ムン・ヒサン=1945年生)議員が訪問する。与党議長、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代の初代青瓦台秘書室長などを歴任した。韓日議員連盟の会長も務めている。

 地上配備型ミサイル迎撃システム(THAAD=サード)の配備問題を機に冷え切っていた対中関係でも、「一帯一路会議」に参加した韓国の有力議員が、周近平国家主席と短時間会うことができた。近く特使として元首相を派遣し、首脳会談の日程を調整する。

 もともと「対北対話路線」だが、いまはとても動ける状態ではなく、韓国が突出した行動に出る可能性もきわめて低く、当面は、主要国との関係構築に力を注ぐはずだ。

 だが、どの国との関係も、安保、経済、さらに理念や歴史問題などが絡み合い複雑で、外交安保問題が大きな懸案であることには間違いない。

 「前の政権よりは良いじゃないか」

 文在寅大統領の評価が底上げされていることは間違いない。その間に、人事や外交安保でつまずかずに政権を順調にスタートさせられるか。

 まずは、月内に首相の人事同意案が国会で通過するかどうか、主要国との早期首脳会談の日程が組めるかが最初のハードルになる。

筆者:玉置 直司