『社畜!修羅コーサク』(江戸パイン/講談社)

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いま「サラリーマン漫画」に地殻変動が起きている。『課長 島耕作』のような出世物語が廃れ、『社畜!修羅コーサク』のような「社畜漫画」が増えているのだ。現役サラリーマンで、『サラリーマン漫画の戦後史』(洋泉社新書y)の著者が、その背景を読み解く――。

■漫画に社畜が増えている!

「ノマド」が消えて「社畜」が残った。日本人の働き方を巡る過去5年間の議論を圧縮すると、つまりそういうことになる。

新しい自由な働き方/生き方として提唱されたノマド・ワーキングは、会社にしがみつく不自由なサラリーマン=社畜への強烈なカウンターとして一世を風靡した。しかしノマドが従来のフリーランサーと大差ないという現実が明らかになるにつれて幻想は剥がれ、ブームは沈静化。ノマドによって掘り起こされてしまったサラリーマンの社畜意識だけが、むき出しになって晒され、ブラックな労働環境の是正が課題として浮かび上がっている、というわけだ。

顕在化した社畜意識は、漫画の世界にひとつのトレンドを生み出した。社畜を主人公とした漫画が目立ち始めているのだ。

サラリーマンを描く漫画は、もう長いこと「島耕作」という圧倒的存在をベンチマークとして、働く喜び、労働のポジティブな側面にフォーカスするものが主流だった。しかし、島耕作のような安定した老舗大企業での出世物語は、今や共感を得られない。

長時間労働が社会問題化する中で、会社に縛られた非人間的な働き方の是非を問う視点が生み出した、サラリーマン漫画の新しい潮流「社畜漫画」。その守備範囲はギャグから実録まで幅広い。

■島耕作パロディ、『カイジ』スピンオフ……社畜系ギャグ漫画

社蓄漫画として最もスタンスが明快なのが、弘兼憲史も黙認する究極の島耕作パロディとして話題の『社畜!修羅コーサク』(江戸パイン/講談社/2016〜)だ。若い頃の島耕作に似た主人公が、修羅の国・墓多(はかた)に左遷され、社畜ならではの壮絶な自虐技を駆使してサバイブするという展開は、さながら島耕作ミーツ北斗の拳。劇画調のシリアスな絵柄が、ギャグの強度に拍車をかけている。

もともと本家の島耕作も「嫌な仕事で偉くなるより、好きな仕事で犬のように働きたいさ」と“畜生志向”を公言する、潜在的な社畜。しかも部署異動しようが左遷されようが、与えられた仕事は全てクリアして結果的に偉くなるという、究極のファンタジーとしてアイコン化している。そんな象徴的な存在を茶化し、会社を阿鼻叫喚のディストピアに反転させた修羅コーサクは、島耕作の社畜性をアイロニカルに暴き出している。

既存漫画の登場人物を社畜に見立てたパロディとして、『中間管理録トネガワ』(萩原天晴・他/講談社/2015〜)も挙げておきたい。福本伸行の代表作『賭博黙示録カイジ』に登場する悪徳企業幹部の利根川を主人公にしたスピンオフで、「このマンガがすごい!2017」のオトコ編1位を受賞するなど、世間的評価も高い。

利根川は、たとえ休暇中であっても横暴な会長の無理難題に応えなければならず、一方で気まぐれな部下たちからの信頼を得るために四苦八苦する。本編では憎々しく君臨した大幹部も、裏側から見ればブラック企業の歯車、過重労働の中間管理職だったという悲喜劇が、悪魔的なギャグに昇華されている。『カイジ』本編では、利根川はパワハラどころではない悲惨な体罰を受けて失脚してしまうので、そうなる前になんとか転職してほしくなる。

社畜ギャグ漫画には『社畜と幽霊』(日日ねるこ/集英社/2016〜)のような変わり種もある。オフィスで深夜まで残業する主人公に対し、女の幽霊が身の毛もよだつ嫌がらせを執拗に繰り返す。仕事に集中したい主人公は幽霊を無視したり逆切れしたりして、やがて二人の間に奇妙な連帯感が生まれ始める。幽霊はまるで仕事中にかまってほしがるペットのようで、孤独な深夜オフィスに癒しを提供する存在に見えてくる。

社畜的な状況をギャグで笑い飛ばそうとする作品がある一方で、敢えて社畜のポジティブな面にスポットを当てる作品も登場している。『商人道』(細野不二彦/小学館/2014〜15)と『ハートボール』(原秀則・風巻龍平/小学館/2015〜17)は、共に「マグロ」と揶揄される、常に働き続けずにはいられないモーレツサラリーマンが主人公。どちらも情熱的に仕事に没頭することの魅力を真正面から描いており、サラリーマンの矜持を感じさせる良作だ。

社畜を肯定する作品として同時代性を最も感じさせるのは『社畜人ヤブー』(那智泉見/PHP研究所/2015〜16)だろう。タイトルや主人公の名前こそ昭和の奇書『家畜人ヤプー』のパロディになっているけれど、漫画の合間にビジネス書の紹介コラムを織り交ぜており、読後感は自己啓発書に近い。

主人公の薮隣一朗は、「社畜たるもの、常に体を張り、恥を捨て、その仕事に尽くすべし」をモットーとし、「サービス残業は会社へのおもてなし」と断言する馬車馬界のエリート。実は売上トップの優秀な営業であり、仕事では猛烈な下積み、つまり「守破離」の「守」の段階が必要であることを後輩たちに身を以て理解させる。若い社員は藪に触発される形で、慣れない会社生活に順応し、成長していく。

どんなにつらい仕事であっても積み上げてきたもの全てに価値がある、という下積み必要論は、概ね正論だ。しかし一歩間違うとブラック企業賛歌になりかねず、この作品に十分な説得力があるのかどうかは、読者各自が実体験を通して判断するしかないだろう。

■「無職を殲滅せよ! 社畜界のトップエリート、閃光のワーカー・ホリック!」

『働かないよ!ロキ先輩』(柳ゆき助/KADOOKAWA/2015〜16)は、敢えて寓話的なホワイト企業を舞台とすることで、ブラック企業の非人間性を対照的にあぶり出そうとする。

長時間労働による過労で倒れ、大手エリート企業を解雇されてしまった主人公は、ロキと名乗る謎の美青年に導かれ、片田舎の小さな印刷会社に再就職する。そこでは社員がほとんど働かずに、低賃金で好き勝手にやっていた。主人公は社畜意識を強く残すため、自由過ぎる先輩たちに苛立つが、やがて「自分のほうがおかしいのかも?」と自省しはじめる。

「ロキ」とは、北欧神話に登場する悪戯好きの神の名前で、この漫画では北欧神話のさまざまな意匠が多用される。過酷な労働環境の大企業とは対極にある、まさに神話的な場所に避難することで、「エリート落ち」を恥じていた主人公は社畜意識を浄化していくのだ。

同じように対立構造で社畜を描いた漫画としては、『高機動無職ニーテンベルク』(青木ハヤト/KADOKAWA/2014〜)という、ガンダムのパロディSFもある。「社畜対無職」をうたい文句とする本作は、どんなクズでも一人前の社畜に仕上げるデスマーチ軍に対する無職同盟のレジスタンス闘争を描いている。

シャアを模した「人の3倍のノルマをこなす社畜界のトップエリート」が登場するほか、絶妙に“本家”を連想させる各キャラクターのセリフ回しなど、パロディとしてのクオリティはかなり高い。一方で、人間らしい労働環境を取り戻そうと問題提起をする要素も垣間見られる。

長時間労働が常態化した労働環境の改善は、今や日本の最優先課題のひとつだ。2016年から政府が「働き方改革」を本格的に推進する中、大手広告代理店の過労自殺が社会問題化し、事態は大きく動き始めている。

過労自殺に関する情報が連日報道された昨年の10月。「昔、その気もないのにうっかり自殺しかけました。」と題する漫画がTwitterに投稿され、30万リツイートされた。汐街コナというイラストレーターが、月100時間残業していた会社勤務時代に自殺しそうになった実体験を描いたものだった。

長時間労働の渦中では、「死ぬくらいなら辞めればいい」という冷静な判断力すら失われてしまう。では、判断力を失わないためにはどうすればいいか。多くの読者を救ったであろうこの漫画は、精神科医による監修・執筆を加えて『「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)』(汐街コナ/あさ出版/2017)として先月書籍化され、再び大きな反響を呼んでいる。

実はこの実録作品より少し前から、『いきのこれ!社畜ちゃん』(結うき・ビタワン/KADOKAWA/2016〜)は同様のメッセージを発信していた。ギャグ4コマではあるが、IT企業に勤務していた原作者自身の実体験をベースにしているため、いま労働集約型の職場で何が起きているのか、若いサラリーマンはどんな困難に直面しているのか、意外なほど切実に描かれている。

本作のハイライトは、1巻の後半に収録されているエピソード「社畜ちゃんの昔話」だろう。入社1年目の主人公が出向した先は、厚生労働省が本気になったら書類送検間違いなしのブラックな職場。出口の見えないハードワークの連続で脱落者が続出する中、責任感の強い主人公は踏ん張っていたけれど、先輩の前で不意に泣き出してしまう。そこで先輩は「逃げ出してもいいのよ」と助言してくれるのだ。その一言で気持ちが軽くなった主人公は、再び仕事に向かえるようになる。

「逃げてもいい」。この一言を言ってくれる人が同じ部署にいてくれるだけで、どれだけの若者が救われることか。修羅場が人を成長させるという従来の職場美談は、今後は「逃げてもいい」という言葉とセットで語らなければいけないのだろう。

■社畜のいない未来はあるか?

かつて「24時間戦えますか」という広告コピーが圧倒的に支持された時代があった。いわゆるバブル景気の真っ盛り。当時はブラック企業という概念は無く、青年漫画誌で描かれるサラリーマンは誇らしく輝いていた。『ツルモク独身寮』『東京ラブストーリー』『なぜか笑介』そして『課長島耕作』。

バブルが崩壊すると、『サラリーマン金太郎』『100億の男』『働きマン』など、シビアな実力主義・成果主義が描かれた。そこでは過重労働は成果を出すための必要条件として黙認された。そして現在、長時間労働に苦しむ人たちの心のSOSに漫画が感応している。働き方を巡るファンタジーは不可逆的に変化を続け、時計の針は戻らない。

働き方改革の推進によってブラックな労働環境が本当に駆逐されれば、社畜漫画はいずれ収束するだろう。社畜漫画をブームとして過去形で語れる未来が、近い将来に確実に来ればいいのだけれど、果たして……。

(真実 一郎)